ローカル鉄道は観光資源です。

数年前には考えられなかったことですが、昨今はローカル線ブームです。
各地で観光列車が走ったり、レストラン列車が走ったり。
おそらく私たち公募社長がまったく別の業界からローカル鉄道に参加して、孤軍奮闘ながらも前例にとらわれない活動をしてきたことがきっかけになっていることは確かなことですが、その割に私たち公募社長が待遇面でも社会面でもきちんと評価されていないという現状は頭が痛いものです。
しかしながら、少なくとも「ローカル線は使えますね。」という考え方が浸透したことで、今あるローカル線を簡単に廃止できない社会になってきたという点においては、鉄道が好きでローカル線の経営に飛び込んだ身としては、自分がこの世に生まれてきたかいがあったと考えないでもありません。
最近ではいろいろなところで、「ローカル鉄道は観光資源だ。」という言い方を耳にするようになりました。
それはそれで、そのような評価をしていただいている点では私はありがたいと考えておりますが、一つだけ、「?」というところがあります。それは、「資源」とされている点です。
皆さん、「資源」って何でしょうか?
私が考える資源とは原料であったり、宝石の原石であったり、つまり「磨けば光るもの」だと思います。
「磨けば光るもの」が資源であるとすれば、「磨かなければ光らないもの」が資源であります。
原材料ですから、適切な加工を施して初めて完成品になるわけで、完成品にしなければ商品化できない。だからお客さんは来ないというのが資源だということです。
だとすれば、観光資源を商品化するためにはどうすればよいか。
それには2つの能力が必要です。
1つは磨けば光る資源を見つける能力。
単なる石ころなのか、宝石の原石なのかを適切に見分ける能力がなければ、単なる石ころをいくつ拾っても、何の価値もないからです。
2つ目は宝石の原石を見つけたら、それを磨いて完成品にする能力。
いくら良い原石を見つけても、磨き方を知らなければ「何とかに真珠」です。
この2つの能力を持ち合わせて初めて資源を活用することができる。
逆説的に言えば、資源というのは、それに気づかない人間や磨き方を知らない人間にとって見たら単なる石ころと同じということなのです。
さて、ではローカル鉄道が観光資源であるとわかったようなことを言っている人たちは、はたしてどうしたらその資源を磨いて光らせて、完成品にして商品としてお客様に選択していただくところまで持っていくのか。私はそのことに大変興味を持っているのです。
なぜなら、観光というのは産業であり、産業であれば当然ノウハウがあって、経験があって、その蓄積の上に商品加工をするものだからです。
まして田舎のローカル線ともなれば、「お金がない」わけですから、商品化のために多額の加工費をかけることはできません。
それでも、そういうことをすべて克服して初めて資源が活かされるわけで、そう考えると日本全国でローカル鉄道は観光資源であるとありがたいお言葉をいただいていたとしても、その中の一体いくつが完成品にたどり着くかは甚だ怪しい気がしてなりません。
予算をたくさん取って、お金をかけて、例えば5億円かけて蒸気機関車を復活させることができれば、そりゃあ人は集まります。
でも、そういうことができるのは僅かな地域であって、いすみ鉄道も含めてほとんどのところにはお金がありませんから、実はとても困ったもんなのです。
では、実際に資源を売り出すためにはどうしたらよいか、やってみましょう。
下の写真をご覧ください。

私の得意な前面展望ですが、この写真を見てあなたならどのように売り出しますか?
美しい渓流や富士山が見える路線であれば、いくらだってお客様はいらしていただけますが、地域にはそんな恵まれたところばかりではありません。
でも、観光資源だというからには、このトンネルにお客様がいらしていただけるような、「ぜひ行ってみたい。」と思わせるトンネルにしなければならないのです。それも、お金をかけずに。
さて、私のやり方は・・・
ずいぶん古いトンネルですが、よく見ると、単線の線路の割にはトンネルの入口が大きくありませんか?
不思議ですね。
この路線は九州福岡県の平成筑豊鉄道のトンネルです。
この平成筑豊鉄道というのは旧国鉄なんですが、建設されたのは今から120年も前の明治28年なんですね。
で、なぜそんな時代に建設されたのかというと、その理由は筑豊地区で産出される石炭を港へ運ぶため。
当時は富国強兵の時代でしたから、原動力としての石炭の産出に力を入れていたんですね。
それで、最初は単線だけど、いずれは複線にするという大きな夢があったんです。
だから、トンネルは複線用として最初から作られたのです。
今の世の中緊縮財政でギリギリの建設しか行いませんが、明治の時代はもっと財政は厳しかったはずです。
にもかかわらず、当時難しかったトンネルの掘削に外国人技師を招いて、将来複線にするぞという気概でこのトンネルを建設したのです。
そう考えると明治の人たちの意志や思考がわかるような気がしますね。
結果として筑豊地区からは他の鉄道ルートが建設されたことにより、この路線は単線のままで今日に至っておりますが、石積み、レンガ造りのこのトンネルは、九州の鉄道の中で一番古いトンネルなんですね。
どうですか?
こういう話を聞くと、このトンネルに興味がわいてくるでしょう。
これが商品化するにあたってのストーリー作りです。
では次に、下の写真をご覧ください。

私が住んでいる佐倉市を走るJR成田線です。
この写真の場所を「行ってみたいなあ。」と思わせる場所にしてみましょう。
皆さんならどうしますか?
この場所がどうして資源なのか。こちらの写真をご覧ください。▼

昭和44年。今から45年以上も前の同じ場所。
成田線にはC57がけん引する列車が走っていました。
後ろの山も手前のあぜ道もほとんど手付かずですね。
どうですか、これなどはストーリーなど付けずとも、2枚の写真を比較するだけで観光地になりませんかね。
だとすると、こちらはどうでしょうか?▼

地下鉄東西線の原木中山駅です。
快速電車の運転席に乗せてもらって原木中山の駅を通過するときに撮影しました。
どうしてこんな写真に意味があるかって?
▼こちらの写真を見てください。

やはり45年前の昭和44年に撮影した東西線開業当初の原木中山駅を通過する快速電車です。
上のカラー写真と同じ位置。向こうとこっちという位置関係で写真を見てください。
カラー写真の左側に見えるホームの隅から電車を撮ったのが下の白黒写真。
保線用の引き込み線もホームの柵もそのままでしょう。
違っているのは周りの風景。
東西線が開通した当初は、高い建物などほとんどなく、西船橋駅から原木中山駅が見えたんです。
それが、今ではこんな感じ。
そう考えると、この原木中山駅のホームの端へ行って写真を撮ってみたくなりませんか?
これが観光なんです。
今の時代何も遠くへ行くばかりじゃないんです。
つまり、観光資源はどこにでもあって、見せ方によって「行ってみたい場所」になるということで、だとすれば、私は日本全国どこへ行っても石ころなど1個もなくて、落ちている石ころに見えるものは、すべて宝石の原石だと思うのです。
ただし、資源というからには磨かなければ石ころと同じ。
だから、一生懸命磨きましょうと、いすみ鉄道を例に実演ショウを展開しているのでございます。
さあ、あなたには何が見えますか?