ありえない話

今日の新潟で大きなニュースになっているのは佐渡金山の世界遺産登録申請の話。

韓国が因縁をつけて来たから・・・
強制労働の歴史があるところが世界遺産など認められない。

そんな話のようですが、ありえない話です。

新潟県の花角知事が「江戸時代に世界に類を見ない金山を運用したことに世界遺産としての価値がある。戦時中の話とは関係がない。」と意見表明していますが、まったくその通りだと思います。

どうして日本は何かにつけて難癖をつけてくる韓国や中国にそこまで配慮するのか。
甘くみられるだけだと思います。

私は百年以上前の鉄道建設に伴う強制労働の歴史を調べたことがあります。

もともとは明治時代に日本人が強制労働をさせられていました。

私が調べようと思ったのは北海道の石北本線の常紋トンネルの幽霊話からです。
保線係の人が歩いてトンネルを通ると話声や鳴き声が聞こえると言った幽霊話が昔からあったのですが、国鉄がトンネルの補修工事をしたときにトンネルの壁をはがしたところ、多数の人骨が出て来たことから、それまで地元の長老などが語り継いできていたトンネル建設時に事故死した労働者が埋められていたという話が事実だということになりました。

では、どういう人が強制労働の対象になっていたのかと言うと、都会で仕事がない人たちです。

明治時代には東京には「残飯屋」という商売がありました。
料亭などから出る残飯を集めてきて、まだ食べられそうなものを詰めなおして販売するような、そういう商売です。
今の世の中では考えられないことですが、世の中全体が貧しかったんです。
そういう時代でした。

その明治時代に日本で一番人口が多かったのはどこかと言うと実は新潟県で、東京は人口が少なかった。なぜなら新潟県はコメの産地ですから喰いっぱぐれることがない。これに対して東京は何とか賃金をもらう仕事にありつかないと食べて行かれない。東京の土地と新潟の土地の価値を比べたら新潟の方が高かった時代です。

そういう時に都会で喰いっぱぐれた人たちが仕事を求めて鉄道などの建設現場に送り込まれました。

こういう労働者が実は2種類いて、自雇と他雇と呼ばれていました。

自雇というのはいわゆる普通の労働者で、賃金をもらって労働力を提供する人たちですが、これに対して他雇というのは借金などを背負って労働で返済しなければならない人たちです。
建設現場での待遇も当然のように自雇と他雇では大きく違っていて、宿舎も他雇の人たちは大広間に詰め込まれて雑魚寝のような形で生活していました。
これがいわゆるタコ部屋というやつで、タコ部屋のタコは他雇から来ているのです。

そういう劣悪な労働環境では当然病人も出れば死者も出ます。
そういう人たちがきちんと埋葬されることはなかったのです。

トキめき鉄道でも妙高高原に建設中の事故で命を落とした労働者の慰霊碑がありますが、今から140年前の明治時代の日本はそうやって国を作っていったのです。

そして日本が朝鮮を併合します。
ある日突然朝鮮半島に入って行って、「今日からここは日本だ。」と言ったのです。
これは朝鮮半島の人たちにとっては屈辱的なことだということは確かにあると思います。

では、それまでの朝鮮半島はどうだったかと言うと、両班(りゃんばん)というごく一部の上級階級の人たちが人民を仕切っていて、とてもじゃないけど食べて行かれる状態ではなかった。そこに日本が入って行ったのですから、結果として朝鮮半島の人たちの生活が向上したのです。
なぜなら日本は港を作って道路を作って鉄道を作った。
地下鉄まで作ったのですから、景気がよくなって食べることができるようになる。
さらに、日本に働きに来る人達も多くみられるようになりました。

この人たちの子孫が今の在日韓国朝鮮人で、当時は職を求めて日本に渡ってきた人たちがたくさんいたのです。

そして戦争になるとどうなるか。

今まで自雇や他雇で働いていた労働者が兵隊さんとして戦争に行ってしまうと労働力が不足する。
その時に日本は朝鮮半島から労働力を集めたのですが、これが韓国が言う強制労働というやつです。
でも、朝鮮半島から集められた労働者にも自雇と他雇と同じように、契約に基づいて労働力を提供する労働者と、借金など何らかの事情で働かなければならなくて日本に連れてこられた人がいたのです。

こういう人たちが各地の建設現場や港湾、あるいは炭鉱などで働かされていて、その一つが佐渡金山だったという話なのですが、それを理由に世界遺産登録をボイコットするようなことは、許されるものではありません。
だから、佐渡金山に関しても、日本は事実をもっと押して、難癖をつける国に抗議をするべきだと思います。

明治から昭和初期にかけての労働史というのはとてもここで書ききれるものではありませんが、私は20代の頃に韓国の会社にお世話になっていたので、在日の友達もたくさんいますし、韓国人のものの考え方も普通の日本人よりは知っているつもりです。

30代の時は労働組合の書記長、副委員長と幹部をやっていましたので、日本の労働史の書籍をむさぼるように読みましたから、従軍慰安婦の話も含めて、韓国人が言っていることは間違いではありませんが、そういうことは一部の話であり、全部が強制的に働かされていたわけではないということをもう少しアピールすべきだと思います。

私が28歳の時のことですからもう30数年前ですが、ソウル近郊の水原(スウォン)というところに鉄道博物館がありました。
そこに見学に行った時のことです。

一人のお爺さんが話しかけてきました。
もちろん日本語です。

当時、鉄道博物館などを訪ねる日本人はほとんどいませんでしたから、懐かしくなって話しかけてきたのです。

「あなた、日本人か? 汽車好きなのか?」
「ここの機関車はミカ型ですね。」

お爺さんは久しぶりに日本人と話をしてうれしそうでした。

そして、こう言うのです。

「日本がいたころの朝鮮半島は良かったなあ。日本は山に木を植え、クローバーの種を蒔いた。野山にはウサギが走り回っていたんだよ。それが終戦で日本がいなくなって、残された朝鮮人たちは木を全部切って売り払ってしまったし、ウサギはみんな捕まえて食べてしまったんだ。」

そして「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」というふるさとの歌を歌いだしたんです。

「本当にこの歌の通りだったんだよ。」

遠い目をしてそんなお話をしてくれたお爺さん、生きていればもう百歳を超えていると思いますが、書いているうちに名前を思い出しました。

イ・キルナンさんという方でした。

漢字で書くと李吉男さんです。

「当時はみんな日本人の名前を付けたんだよ。だから私は吉男なんだ。」

そういうって笑っていました。

今、そういう時代の人たちがいなくなって、次の世代の人たちが日本を敵視している。そして、韓国人というのは自分に都合が悪いことは言わない。強く自己主張しないと負けてしまうというような考え方が一般的ですから、謙遜ということが無いんです。

本当は愛すべき人たちなんですよ。
いい人がたくさんいる。
いや、いい人ばかりです。

でも、韓国人という集団になるとどうもおかしなことになる。

でも、コレ、日本人も同じですよ。

一人一人はいい人だけど、集団になるとおかしなことになる。
戦争に突き進んでいったこともそうですね。
会社組織という集団だってそうかもしれません。

だから韓国のことを一概に悪く言うつもりはありませんが、友達も多いし、でも、佐渡金山のことはもっと強く言うべきだと今日のニュースで知事の会見を聞いて、私はそう思うのであります。

世界遺産になれば佐渡が安泰ということでは全くありませんが、振り回されるべきではないと強く思います。

※本件に関してのご意見は求めませんので悪しからずご了承ください。