夜行列車の需要

土曜日に日帰りで米子へお邪魔した話をしましたが、日帰りですからもちろん飛行機。
東京行最終便が米子を出るのは20時50分でした。
ずっと以前、まだブルートレイン「出雲」が山陰本線廻りで走っていたころ、米子の皆生温泉に泊まったことがあります。
その時、海に面した部屋の窓から外を見たら、米子空港から離陸していく飛行機の灯が見えました。時刻は夜8時過ぎ。
「ああ、まだ便があるんだ。」と思いました。
当時ブルートレイン「出雲」が米子を出るのが19時頃でしたから、出張のお客様でしたら当然飛行機ということになります。
「出雲」が鳥取県のもう一つの都市、鳥取を出るのが20時20分ごろでした。鳥取空港からの最終便も夜8時ですから、駅から空港までの距離を考えても、飛行機に軍配が上がると思います。
飛行機は寝台列車よりも窮屈ですが、何しろ1時間とチョットで東京に到着するのですから時間ではかなうはずがありません。
夜行列車というのは、輸送手段として考えた場合、まず問われるのが時間。
昔は寝ている間に移動できることが売り物でしたし、飛行機がそれほどたくさんのお客様を乗せることができず、夜遅くまで飛ぶこともできませんでしたから、自動的に皆さん夜行列車のお客様になったわけです。
そのころの夜行列車はブルートレインと呼ばれる寝台専用列車ばかりでなく、1編成の列車に4人掛けの座席車と寝台車が連結されていたり、座席車だけの列車だったりと、お客様の懐具合に合わせていろいろ用意されていましたが、飛行機が発達するにつれて、特急寝台という最上顧客が飛行機へ移行し、一晩中座席に座っていても良いからできるだけ安いのがありがたいというお客様は高速バスへと乗り換えていったので夜行列車は衰退してしまいました。
つまり、現代では夜行列車というのは飛行機の最終便よりも遅くに出発して飛行機の始発便よりも早く到着することに意味があるということになりますし、それができないのであれば、飛行機より安く移動できるとこが存在の条件となるわけです。
今残っている首都圏発着の定期の夜行列車は「サンライズ」と「あけぼの」のみですが、「サンライズ」も「あけぼの」も主要区間では「飛行機の最終便よりも遅くに出発して始発便よりも早く着く」ダイヤになっていますし、6300円という高額な寝台料金を払わなくても横になって寝て行かれるカーペット車両が連結されていますので、高速バスにも対応できていることが存続できている理由だと思います。
(「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」などの観光列車は除きます。)
ところが、時代には流れというものがあります。
私がお話しした「飛行機と高速バスとの対決」のためには夜行列車だけではなく、当然新幹線網の整備という手もあります。
上越、東北新幹線ができてからちょうど30年ですが、その後、秋田、山形、長野、鹿児島へと新幹線網が整備されてきたのも夜行列車衰退の原因であるわけです。
そして、夜行列車がほとんどなくなってしまった現在、それに付帯するサービスも消えてしまいました。
列車に連結される食堂車が一番早く淘汰されましたが、深夜に出発し早朝に到着するお客様のための駅構内での食堂の営業やお弁当の販売もほとんどありません。
1本や2本の列車相手では商売になりませんから当然といえば当然ですが、これがお客離れに拍車をかけるわけです。
若い方は信じられないでしょうが、昔は東京駅構内に温泉があって、夜行列車で到着したお客様が一風呂浴びることもできたわけですが、そうした付帯サービスも消えてしまった今、夜行列車としての時間的条件を備えているとはいえ、「サンライズ」や「あけぼの」という列車も無条件で生き残れる時代ではなくなっているのです。
東京に住んでいると気にも留めませんが、地方へ行くと皆東京や大阪を見ていることに気づきます。
駅構内や町なかの旅行会社の店先などに並ぶ広告やパンフレットなども「東京行」「大阪行」商品がビジネス需要、観光需要ともに大きく宣伝されています。
そういう都市では、東京へ行く選択肢として夜行列車が存在を主張していますが、それではあくまでも片方のマーケットをターゲットにしているにすぎませんから、当然利用者数も限られてしまいます。
東京と地方を結ぶ輸送手段としては、やっぱり東京というマーケットをどう味方につけていくかが大切なことなのだと思うのです。
(つづく)