福知山線事故の教訓

今日は福知山線の大事故から17年とのことで、各社が報道されていました。

知床遊覧船の事故もそうですが、この時期は悲惨な交通関係の事故が多いような気がします。

思えば名古屋空港の中華航空墜落事故も1994年の4月26日。
古くは京浜東北線の桜木町事故も4月24日(1951年)、常磐線三河島事故は5月3日(1962年)でした。
一旦起きてしまって原因究明が進むと、事故というのはいつ発生してもおかしくない状況があったことがわかりますが、交通機関というのはお客様の生命と財産を乗せて走っているのですから、本当に安全というのは重要なことであります。

そして、過去の歴史を紐解くと安全というのはイコールお金であることが多く、第3セクターの経営者としては、様々な外圧や困難と戦いながら、安全の確保を最低限の使命として維持していかなければならないのです。

あくまでも安全というのは輸送事業にとっては最低限のことなのです。
鉄道会社の綱領には「安全は最大の使命であり」とありますが、私は、安全は最低限のことと考えていて、なぜならその土台の上に各種サービスがあるわけですから、その土台が崩れるようなことがあったら観光列車どころではありませんからね。

でも、その基本中の基本である安全ということは、そう簡単に実現できるものではないということを、私はかれこれ30年以上の交通輸送事業に従事した経験で身をもって叩き込まれていて、それも航空と鉄道という両面から経験しているわけですから、これが守られずして、ビジネスなどありえないと考えているのであります。

何しろ、トキめき鉄道は赤字の会社ですから、人様はそういう目で見るわけでして、まして私のような人間は批判の対象になりやすい。
「あいつは金を儲けることしか考えていない。」などと陰でいろいろ言われていますから、安全で手抜きがあろうものなら世の中から袋叩き似合うわけで、根拠のない安全神話などを表明することなど私にはできないのです。

皆さん意外に思われるかもしれませんが、私は昭和の重大鉄道事故のほぼすべての発生状況や原因が頭の中に入っていますし、それに加えて昭和40年代以降の航空事故の発生状況や原因分析なども諳んじていますから、会社の会議でも私が過去の事故とその原因の話をすると幹部連中が不思議そうな顔で私を見るのです。

私は周囲から金儲けばかり考えているような人間に見えるのでしょうけど、実は交通のプロというのは安全対策のプロであり、その安全対策の基本は過去の事故原因の究明と分析から成り立っていますから、例えば「ばんだい号」などという言葉を聞いただけで軽く1時間はお話しできるのであります。

ということで、コロナ禍の今、大きな鉄道会社だって、「赤字だから」と、ともすれば安全神話が崩れるかもしれない状況にあるわけで、心してかからなければとあらためて考える今日であります。

安全対策というのは正直申し上げてキリがありません。
事故というのは未知の原因で発生することも多くあります。
だから、私は、考えられる限りの安全対策をしっかりと取ることが最重要だと考えています。
未知のことを心配して臆病になる必要はありませんが、過信してもいけません。

もし、事故が起きてしまったとしても、十分に対策を立ててあったのとそうでないのとでは、自分の心持が全く違うのだということを、過去の事故の教訓から学んでいくしかないと考えています。

事故の教訓は何年たっても風化させてはいけないのです。

それにしても、あの時に対向列車が突っ込まなくてよかったなあと思います。防護無線などの安全対策が効果あったのでしょう。
福知山線事故は本当にいろいろ考えさせられる「まさか平成にこんな事故が起きるなんて。」という事故でした。