夜お風呂に入っている時に、ふと思い出しました。
うちは子供に恵まれて、5人の子育てをすることができました。
5人子供を育てるということは、おそらく独身の方から見たら、気が遠くなるような、「遠慮させていただきます。」と思えるようなことかもしれませんが、いきなり5人の子供の親になるわけではありませんし、結果として私はそうは思いません。
上4人は成人しましたが、5人目の子供がまだ高校生ですからまだまだ気は抜けませんが、今となってみると、子育てを通じて、ずいぶん楽しい時間を過ごさせてもらったなあと思います。
子育てというと、いかにもですが、どちらかというと、親が子供に育てられてもらったという方が適切な表現かもしれません。
もし、所帯を持っていなかったら、もし、子供が生まれていなかったら、私は一生懸命仕事をしたかどうか、実に不安が残りますし、自分の性格を考えたら、たぶん、適当に仕事をして、適当に人生の時間を使ってきたかもしれません。
そういう意味では、私の人生の未知数の部分を、家族を持って子育てをするということで、子供たちに開花させてもらったと言えると思います。
さて、子育てをしてきたと偉そうなことを言っても、実際には家内が生んで家内が食事させて、とカミさんの力の部分がほとんどで、正直私はほとんど何もしておりません。最近の若いお父さんは「イクメン」というのでしょうか、子育てを分担しなければ奥さんに逃げられてしまうのかもしれませんが、しっかり育児に参加している方が多くいらっしゃいますが、私が家族を持つにあたって心がけたことはただ一つ。「子供にはお腹を空かせない。カミさんには寒い思いをさせない。」ということだけ。
つまり、「ひもじい思いはさせない、」ということだけで、30数年やってきましたが、そのポリシーだけは何とか守れたのではないかと思います。
それともう一つ、私がずっとやってきたことは、子供とお風呂に入ること。
赤ん坊がタライのお風呂を卒業すると、その後は、まあ小学校の3年生ぐらいまでですが、子供とお風呂に入るのはお父さんの役目でありまして、2人も入れると、たいていはのぼせてふらふらになるのが日課でした。
夜お風呂に入って、ふと思い出したのは、キャーキャー言う子供たちの姿で、今はそれもなくなって久しいですから、一人で入っていて、「そんなこともあったなあ。」と考えたのですが、子供とお風呂に入るときに、必ず歌っていた歌が「おまけの汽車ぽっぽ」なのであります。
ご存知の方いらっしゃいますか?
「おまけの汽車ぽっぽ」の歌 ←クリック
うちの子は全員が幼稚園の頃この歌を歌ってお風呂から出る、ということをしていました。
もうのぼせたから早く出たい。
そう言っても、ちゃんと歌うまで出られませんでした。
皆さんはこの歌はご存知でしょうか?
私たちが子供の頃は、よく会話にも出ていましたよ。
例えば10個幾らのお菓子なんかを買うときに、お店のおじさんが「おまけの汽車ぽっぽだよ」と言って、ひとつ余分に入れてくれたり、そんな会話にも出てきました。
そう考えると、鉄道って、とても身近な存在だったんだと思います。
鉄道を題材にした子供の歌(童謡)って思いつくだけでもたくさんありますよね。
これは常磐線の歌ですね。明治時代の四倉から広野にかけての風景が題材です。
この歌はもともと軍歌として作られたようです。
最初の頃の歌詞は
「汽車汽車 ポッポポッポ
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に日の丸の
旗を振り振り送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳」
だそうですが、戦後、童謡にとして引き継がれたようです。
汽車ぽっぽ という歌はもう一つあります。
蒸気機関車が国鉄線上から無くなって40年以上経ちますから、30代、40代の方々にはこちらの方が懐かしいかもしれませんね。
うちの子供たちも子供の頃夢中になって歌っていました。
鉄道というのは、それだけ小さい子供たちに親しまれて受け入れられる素材なんですね。
そして、子供の頃夢中になったり、覚えたものは、その人の人生には一生ついてくるものですから、鉄道会社はもっと真剣にこういう活動をやって行かなければならないと思います。
各地で鉄道博物館が次々と誕生しています。
だけど、なんとなく「博物館」としてのアカデミックさに欠けるんです。
営業至上主義的と言いますか。
貴重な機関車だけど、同じ機関車が2両あったら貴重さに欠けるから1両解体してしまうとか、貴重な車両なのはわかっているけど博物館に入りきらないから捨ててしまうとか、そういうことを平気でやる人たちが運営している博物館ってなんなんでしょうか。
博物館って言うのは展示スペースの同じぐらいか、それ以上にバックヤードが必要なんですが、費用対効果なのでしょうかね。
前日、某鉄道業界の大先輩と宴席を共にしたときに、その先輩が、声を大にしておっしゃられていたこと。
「JRがやっている博物館は単なるCompany Musiumだ。秋葉原にあった交通博物館はNational Musiumだった。彼らはNational Musiumを潰して、Company Musiumを次々と作っているだけだ。」
この国は、アカデミックな部分まで株式会社としての運営を求めるという、そういう国になってしまったようです。
鉄道を身近に感じることができるのは、もしかしたら今の人たちまでかもしれない、というちょっと不安な気持ちになりますが、でも、そういう所に、我々が活躍するニッチな隙間があるのかもしれまないと思うことにしています。
小さなお友達は、いすみ鉄道で鉄道だけでなく、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、そして兄弟と一緒に、田舎の鉄道に乗って、田舎の思い出をたくさん作りましょう。
そうすればローカル線と日本の田舎が次の時代につながります。
きっと。
最近のコメント