特急「あずさ」が運転開始50周年とかで、国鉄形車両で臨時列車も運転されて、皆さん大盛り上がりしていました。
50年とかいうと、ずいぶん昔のような気がしますが、還暦が射程距離に入ったオジサンから見たら、「あずさ」が走り始めたとき、すでにこの世に存在していたということですから、50年という言葉の重みが多分若い人たちとは違っているんでしょう。
「登場当時のあずさ号」というコピーで、懐かしい昔の写真や動画があちらこちらのテレビで流れていましたが、どれも不思議だったのは出てくる電車がボンネットではなくて、電気釜と悪口を言われる車両の映像ばかり。「ああ、これは登場時のあずさではないな。」と違和感を感じるのも、当時すでにこの世にいた人間だからでしょう。
以前にも出したことがあると思いますが、この写真は私が小学校6年生の時に日曜日の朝、千駄ヶ谷の英語塾に行く途中で寄り道して撮影した「あずさ」。
登場時の写真ではありませんが、でも「あずさ」といえばこの電車。というのが私の感想です。
小学校6年生といえば1972年(昭和47年)です。
この「あずさ」が登場から50年ということは、私がシャッターを切った昭和47年は登場から6年目ということになりますが、当時の特急列車は花形で、庶民はやっぱり急行列車という時代だったと記憶しています。
だからこそ、わざわざ寄り道してまで撮影したんだと思います。
▲ちょっと大きく表示してみると、この時の「あずさ2号」は9時ちょうど発。
狩人が歌う「あずさ2号」がヒットするずっと前の1枚ですが、「9時ちょうどのあずさ2号で」では歌になりませんから、作詞家の先生の心には響かなかったのでしょうね。
でも、あの歌がなかったら、登場から50周年なんでイベントは、大々的にはされなかったかもしれませんよ。
さあ、「わかしお」「さざなみ」の50周年まであと5年ちょっと。
今からでも歌を作って盛り上げないと。
「さざなみ」も「わかしお」も海岸線まで届かなくなりそうですからね。
小さいうちに鉄道体験をすることの重要さを、私は身をもって知っているのです。
いすみ鉄道のスタッフにもそういう人が何人もいます。
だから、クリスマスにちびっ子プレゼントを配ろう、なんて発想が生まれるのです。
少しでも多くの子供たちの思い出に残るように。
あと14年で木原線開業百周年です。
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