国鉄木原線の写真 その3

 昨日に続きまして、葛飾区の石田俊幸さんが送ってくれた国鉄時代の木原線の写真をご紹介します。
現在61歳になられた石田さんが中学生の時に撮影した昭和44年の木原線です。
当時はまだ新小岩や佐倉に蒸気機関車が残っていて、都内でもモクモク煙を吐いて最後の活躍をしていましたが、昨日ご紹介した国吉駅の貨物列車もそうですが、木原線はすでに無煙化されて、通勤形気動車のキハ35系が走っていたんですね。

国吉から乗った単行のキハ30は大多喜止まりでした。
駅を出て大原方にやってきた中学生の石田少年は、構内踏切を渡って、今乗ってきた列車が折り返し大原行となるのを待ち構えます。
腕木信号機がガタンと下がって、大原行の区間列車が発車していきました。


▲ほぼ同じ位置。
猛暑日が続いていますので、涼しい写真をお届けします。

▲大多喜駅前です。
駅舎は今もほぼ同じです。
駅前に高校生がたむろするのも今と同じでしょうか。
考えてみれば、彼らはすでに60代半ばなんですね。
時が恐ろしい速度で人生のコマを進めているようです。

▲次の列車。上総中野行が単行のキハ30で大多喜駅に到着したところです。
タブレットの交換が行われています。
上りホームにはDD13の貨物列車が発車待ちのようです。
今、いすみ鉄道で運輸課長として働いてくれている磯野さんが、大多喜高校を卒業して国鉄に入社したのがこのころだと思います。
最初は蒸気機関車の掃除があったけど、すぐにディーゼルになった。よくそうおっしゃっています。
磯野さんはDD13、DD51、EF65などの機関車畑出身の人ですが、60過ぎのJRのOBの人たちの中で、電車畑出身の人と機関車出身の人とでは運転の仕方が違います。
機関車出身の人は、静かに、ゆっくり発車していきますから、すぐにわかります。
電車出身の人は、ある程度の速度まで一気に加速します。
それが、運転の違いなんですが、区間所要時間はピッタリ一緒ですから、ベテランの技は大したもんです。
新米運転士のおじさんたちにも、こういうところを叩き込んでほしいんですよね。
写真の列車はキハ30-59。先ほど大原から国吉まで乗った2両編成のうちの1両です。
大原で1両切り離して、日中は1両で運転していたことがわかる貴重な1枚でもあります。

▲こちらは今の大多喜駅。ほぼ同じ位置です。
塗り替え前のキハ52を置いてみると、当時の雰囲気がよみがえりますね。
記録するって素晴らしいことですね。
そして、今、いすみ鉄道が観光鉄道として何をしたいか、何を目標としているかという「びじょん」もご理解いただけるのではないでしょうか。
次回は終着駅上総中野に向かいます。