どうして北海道が地域負担の上下分離をする必要があるのか。
1つや2つの行政の管内で完結する国鉄の支線のようなローカル線であれば、地域需要のために地元の行政が線路の維持管理の負担をするのも理解できます。でも北海道のような広大な過疎地で、都会の食料として大量の農産物を運ぶ役割があって、日本に観光客を呼び込めるところでは、インフラを整備するのは「国益につながるもの」でありますから、地元の行政に上下分離の下の部分に対する負担をお願いするというのは筋が通りません。
まして、JRのような会社は、自社の基準を徹底して求める傾向がありますが、その自社の基準というのは実にハードルが高く、ローカル線に対しても幹線並みの線路基準を求めてきますし、その基準で線路設備の工事ができる業者はJRの息がかかったような会社しかなく、地元の建設事業者が主体になって入り込める余地がありませんから、もし上下分離して地域行政が線路の工事にお金を出すようになったとしても、地域にとっては高いお金を払わされる割には、地元にお金が還元されないシステムになってしまいます。
だったらいっそのこと、JRが上下分離の下の部分をやれば、自分たちの基準で自分たちの業者の利益や雇用を確保することだってできるわけですし、そこに地域行政がお金を出す必要がなくなれば、まあ、お好きにやっていただいて構わないわけです。
営業損益が10億円と言ったって、その内訳をよく見ると、ハイスペックで単価が高い線路工事だったり、年収800万円以上の運転士が誰も乗らない列車を運転していたりしませんか。つまり、JRがやるからそれだけの赤字になるけれど、田舎の会社がやったら、もしかしたら半分ぐらいで済むのではないでしょうか。そして、上下分離の下の部分の負担が不要となれば、十分に収益が見込める構造になると私は考えます。
それともう1つ、大切なところは、国鉄時代から線路を廃止する理由に必ず挙げられてきたのが「1日当たりの利用人数」という数字でありますが、私がいつも理不尽に感じるのは、乗らないからという理由でどんどん列車本数を減らして不便にしておいて、「乗らないから廃止します。」と言っていることです。
利用人員という数字は、中央に本社がある大きな会社にとっては、言い訳に使うのはとても都合が良いデータであって、人間は一見こういうデータを示されると、反論できない。特に鉄道の素人の田舎の人が、中央に本社があるJRに対してはぐうの音も出なくなってしまう、全く中央思考のまやかしなのです。
例えば今回の発表で2番目に収益性が低い路線として挙げられている根室本線の富良野から新得にかけての区間について言えば、上の部分(営業の部分)を地元が負担する上下分離を作れば、何人乗ろうが乗るまいかは問われなくなります。「乗らなくても残せ」という責任分担を地元が取るのですから、「乗らないから廃止する」という理由が言えなくなります。
上下分離の上を地元の行政が責任を持つことで、日本全国のローカル線廃止議論の核になる「1日に当たりの乗車人員」という、国鉄時代から続いてきた「言い訳」が消えるのです。地元が駅を残したいと思えば、誰も乗らなくても残せるようになります。そして、その責任は運営という形で地元が責任を持つだけなのです。
私は、今までこういうことをやってこなかったのですから、ローカル線の営業責任や駅の運営責任を地元が上下分離の上の部分を負担するという形を取れば十分にできると思いますし、捨てる前に、やってみるべきだと思います。
九州の観光列車「いさぶろう・しんぺい」が山の中の肥薩線を走っています。
途中の真幸駅、矢岳駅、大畑駅で10数分停車して、お客様は駅の構内を散策し、地元の人たちと会話をして、特産品を買って、時間になったらまた列車に戻って行ってしまいます。乗降カウントとすれば「ゼロ」ですが、地元の駅としては立派に機能しています。実際に真幸駅、矢岳駅、大畑駅は峠の駅ですから、1日の利用者数は片手で足りる数字です。でも、実際には毎日数十人、いや、数百人がこれらの駅に降り立って、地元との触れ合いを楽しんでいる価値ある駅なんです。
今回の提案で利用者数が第2番目に少ないと言われている根室本線の新得-滝川間ですが、この区間は石勝線のバイパスルートとしてきちんとしたインフラの使命がありますし、例えば、新千歳空港からトマムリゾートを経由して石勝線と根室本線の合流地点で折り返して富良野を結ぶ観光列車だって十分に運転可能な区間ですから、幾寅駅も金山駅も東鹿越駅もまだまだ使いようがあると私は見ています。
要は、JRの目で見たら「要らない路線」かもしれませんが、線路がつながっていれば、いくらでも未知数の可能性を秘めているわけで、それを上の部分を地元が負担するシステムを作って、小回りが利くきちんとした営業的手法で運営すれば、必ず有効活用ができると私は見ています。上の部分を地元の行政が支えるということは、たとえ鉄道運賃収入では黒字にならなかったとしても、地域全体でトータルに考えてプラスになればよいわけですから、これは下の部分を地元が支えるのとは全く違った効果が生まれることになるわけで、だとすれば私は捨てる必要はないと考えています。
では、JRはどうして収益が上がらない下の部分にお金を出さなければならないのかという疑問がわくと思いますが、JRという会社は特別の法律があって、もともと国鉄の負債を棒引きにしてもらって、持参金までつけてくれて「しっかりやりなさい」と言われて発足した経緯の会社ですから、今になって「やっぱりやめます。」では許されないわけで、私が申し上げたいのは、やめるんだったらそれ相応のお金を負担しなさいということで、線路設備の維持管理費と営業赤字の両方を抱えている会社が、2つの赤字の片方の営業赤字を抱えなくてよくなれば、それはそれはありがたい話であるはずで、そこに、地域住民たちの参加を求めることで、依存型ではなく自立型の地域社会が出来上がるのではないかと私は考えるからです。
では、上の部分を地元が作った会社がやるというのはどういうことか。
これは幸いなことに、JR北海道は北海道の中でほぼ完結していますから、他の都道府県との調整が不要です。北海道の鉄道を残すということは、大きな視点で見れば北海道と日本の国にプラスになることですから、日本の国もきちんと参加をするべきで、ただ、上の営業部分に国がお金を投入するということはなかなか難しい制約が発生するでしょうから、国は下の部分をJRと一緒にやって国益のためにインフラを守り、北海道は地域行政とともに、列車が走る部分をしっかりやっていくことで、北海道そのものも依存型から自立型に転換できると考えています。
他の都道府県が関係せず、国と北海道だけの話ということになれば、地勢学的不利さを考慮すると「特区」も作りやすくなりますから法律の改正も可能です。例えばたくさん走っている貨物列車を利用して、機関車のすぐ後ろ、コンテナ車との間に客車を連結して貨客両用列車も走らせることが十分に可能になりますし、それができれば運行経費を抑えながら列車本数を増やすことだって十分に可能です。今、国は都会の電車にどうやって貨物を載せようかと考えているのですから、田舎の貨物列車に人が乗る車両を連結することだってできないわけありませんよね。そうやってあらゆる可能性に挑戦していくことをまずやってみて、そのうえで、鉄道がどのような効果を地域に与えるのかを見て、要るのか要らないのかは、それから判断するぐらいなことをやらなければ、地方創生だとか、活性化だとか、結局は掛け声だけで、その責任は最後の最後には地域住民が取らされることになるということは、国鉄の負債をだれが負担したかということを考えれば、誰の目にもわかると思います。
ということで、上の部分を列車が走って鉄道の価値を上げるということにおいては、いすみ鉄道で過去7年半私がやってきた方式は、いろいろ使えるのではないかと考えております。そうやって、北海道の人たちが、いすみ鉄道のやり方を取り入れて、少しでも鉄道を廃止しないで活用できる道が開けるのであれば、私はいすみ鉄道が結果として日本のお国のための役に立つと考えていますし、そうすれば、国だって、まあ3億5億程度のお金であれば、「いすみ鉄道さん、これを使ってさらに活性化のお手本を見せてください。」という話になるでしょうから(笑)、結局はいすみ鉄道の利益になって、房総半島の利益になって、千葉県の利益にもなるし、ローカル線にあこがれを持っていただいている都会の人たちの幸せにもなることですから、やっぱり「三方よし」なんです。
つまり、どこから見てもローカル線は「おいしい存在」だということで、そのおいしいローカル線をおいしくいただくためには多少の調理技術が必要だということなのであります。
北海道知事さん、ここはひとつ大きなリーダーシップを示す時期ですから、どうぞお早めにお願いいたします。
宗男先生も千春さんも、そろそろ出番ですからスタンバイをお願いします。
私が何を言おうとも、所詮「よそ者」でございますから。
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