北海道型上下分離のススメ

 

おおかたの予想通り、いきなり13区間もの見直しを発表しましたが、地元へのきちんとした説明を後回しにして、まず発表してしまうというやり方は感心しません。

こういうのを日本語で、どさくさまぎれのなし崩しというのですが、現場の従業員がいくら一生懸命働いても、会社の幹部は公的企業としての自覚が全くないということの証明であり、これがJRの地域に対する考え方なのです。

 

さて、この見直し案の中で、多くの路線が上下分離を含んだ提案というのが前提になっているようなのですが、この上下分離というのは路盤の維持管理を行政が負担して、列車の運行を鉄道会社が行うというもの。

いすみ鉄道もそういうスタイルで運行していて、経営資源が乏しく、関連事業がしにくい第3セクターの会社としては実にありがたいシステムであります。

 

上下分離を行う理由というのは、当然ですが競争相手の路線バスと同じ土俵で勝負できるようにするためで、すなわち路線バスは行政が作った道路の上を走るのですが、鉄道は線路の維持管理を自前でしなければなりませんから、バスと対等な勝負ができません。これを防ぐために、線路の維持管理のお金は行政が負担しましょうというものです。

これは、「公設民営」という考え方で、実はアメリカでもヨーロッパでも、鉄道では下の部分は「公」が出して、上の部分を「民」がやるというスタイルが一般的なのですが、実はこの上下分離というのが大変なまやかしで、それはなぜかというと、アメリカやヨーロッパでは「公」というのは基本的には国の機関がやっているのに対し、日本では都道府県や地方自治体が負担しているのです。

 

いすみ鉄道のような国鉄の赤字ローカル線を引き継いだ距離の短いローカル線であれば、もともと国が廃止するといったものを地元が鉄道として存続させた経緯もありますから、国ではなくて、ある程度の地元負担はやむを得ないという考え方も理解できますが、もともと国がJR北海道のスタイルを作り上げて、国の指導で長年やってきたものを、ダメになったからと言って、地元が下の部分を負担してくださいというのは実に虫が良い中央の理論であります。

まして、国は上下分離万能論のような考えで10年ほど前から上下分離を推奨しているところがあって、つまり「上下分離すれば、経営がうまくいくはずだ。」というものですが、では、行政が作った道路の上を走る「完全上下分離」の路線バスが田舎ではどこも赤字であって、その補てんを国がやっているという現実はどう受け止めるのか。鉄道よりも小回りが利いてお金がかからない有利であるはずのバスが上下分離で赤字であるのだから、バスに比べてお金がかかり小回りも利かず不利な鉄道が黒字になるという考えは幻想にすぎないのです。

 

こういうことの検証も満足にしないまま、「上下分離をすれば鉄道は生き延びられる」という提案を今回JR北海道は沿線地域の自治体にしているわけで、自治体の人たちは基本的には鉄道の素人ですから、その素人に上下分離の負担を強いて、無理なら廃止、受け入れられれば大きな負担を自分たちは免れようとしているとしか思えないわけですから、まやかしだというのです。

 

さて、ここで、ではどうやったらJR北海道と地域住民の両方にとって有利な状態で経営していかれるだろうかと考えてみたわけですが、上下分離したって北海道のような広大な過疎地帯では上の部分の営業だって結局は赤字になることは見えているわけです。

つまり今の状態はJRが下の部分の赤字を負担し、上の部分の営業赤字も負担している座標軸でいえば第3象限にあたる(マイナス・マイナス)の状態であるわけですが、このマイナスを一つ減らせば当然JRにとって見たって楽になるはずです。

ということで私が提案するのは、同じ上下分離でもJRが下の部分を負担して、地域行政や住民が上の部分を負担するという方式です。

今までの上下分離と全く逆の方式です。

JRが下の部分を負担することで、(マイナス・マイナス)のマイナスが一つ減りますから、JRのマイナスは大きく削減されます。経営がかなり楽になるはずです。ここに国が支援することで、インフラが守られるという考え方です。

ましてJRは長年にわたって客離れを食い止めることができなかった。食い止めるどころか、杓子定規なお上のようなやり方で、逆に客離れを加速させてしまったわけですから、今から上の部分をしっかりやっていきますなどということは言い訳としてもできないはずです。きめ細やかな輸送や、お客様の利便性のための輸送が本当にできるのであれば、民間会社として30年の歴史の中ですでにやっているはずですから、実際問題としてJRにはできないということです。

 

JRだけでなく、地域住民としての責任も無視できません。不便だとか乗りたくないとか言って今まで放置してきた責任の半分は地域にあります。だから、「鉄道を残したい」というのであれば、上の部分、つまり列車が走る部分を地元がきちんと責任を持ってやるということです。もちろん地域の市役所が鉄道会社をやることはできませんから、ここに鉄道運行会社を作って一路線だけではなく、鉄道を残したい地域の路線を一元的に運行管理を行い、行政はここにお金と人的資源を出すということです。

今までは「列車本数を増やせ」「駅をきれいにしろ。」とJRに対して要望を出すだけだった地域行政や住民が費用負担するという痛み分けですが、こうすれば自分たちの望む時間帯に列車を運転することも可能になりますし、欲しいサービスを実施することもできるようになります。

もちろん列車だけでなく駅構内の管理も地元に移譲します。そうすれば地元のやる気次第で自分たちの町の玄関口である駅を、お客様をお迎えするにふさわしい姿にすることができますし、今まで思うようにできなかった駅でのイベントや、鉄道の運行と一緒に地元の駅を使った様々な活性化が可能になるわけで、地元の建設業者の仕事にもなるという効果もありますから、地域住民の本気度に合わせて、きちんと効果が出る地方創生の拠点にすることができるのです。

 

こうすることによって、地域住民にとっては依存型から自己責任型になるわけですし、それだけでも地域にとっては大きなチャレンジですが、行政依存型、JR依存型の地域住民は自ら変身しなければ今後生きていくことは難しいという現実に、きちんと対応できる一歩になるのです。

また、線路の上を走る列車だって、自分たちでスポンサーを募っていろいろな列車を走らせることができるようになりますし、SLだって観光列車だって可能になります。今、大企業は地域貢献というのが一つのテーマになってきていますが、JRに対してお金を出すことはできなくても、田舎の鉄道会社にお金を出すことならできるはずです。鉄道に出資するということで地域貢献という目標を達成できるばかりでなく、都会人だけでなく外国人も憧れる「北海道ブランド」が手に入るのですから、こんなにおいしい話はありません。

 

JRは負担軽減になり、地域住民は鉄道をツールにして自分たちの地域を活性化できて鉄道も守られる。都会の大企業にとって見たら地域貢献しながら北海道ブランドが手に入るという、「三方よし」の「おいしいローカル線」になる、起死回生の提案でございますが、このぐらいのことをやらないと、今の北海道はどうにもなりません。

 

一つだけはっきりしていることは、30年間国が指導して、その指導の下にJRがやってきて、結果としてダメになったのですから、そういう人たちが改革案を出して今後もやっていくということ自体が間違っているということだけは事実なのであります。

 

▲富良野観光の中心、富良野駅です。

 

設備が古くなっていて、トイレが臭い。

国際観光地の玄関の駅としては実に情けない話です。

地元がいくらJRに改善を申し入れてもJRはなかなか動かないんです。

JRが儲からないという理由で、国際観光地の顔が丸つぶれです。

痺れを切らした行政が、費用負担を申し入れたらやっと少し動きがあるようです。

どうせお金を出す覚悟があるのなら、JRになんか任せておかないで、最初から自分たちでやったらいいんです。

田舎の駅のトイレの改修すら中央にお伺いを立てなければ何もできないようなJRが、列車の運行や駅の管理をやるより、その方がよほど活性化につながるし観光地としての責任も果たせるということなのです。