昭和の残照 その9 日本一の水

昭和の時代と平成の時代とを比べて、日本人が変わったなあと思うのは「水」に対する考え方だと思います。

 

昭和の時代の日本人は水にお金を払うことはまずありませんでした。

 

日本人が世界の中で見たらのんびりしている国民であるということを示す言葉で、「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と言われていますが、水は水道をひねればどこでも出ますし、「すみません、水を飲ませていただけますか?」と尋ねられれば、どこの家の人だって、「どうぞ、どうぞ、好きなだけ飲んでください。」というのではないでしょうか。

松下幸之助先生が唱えた「水道哲学」というものも、「物資を大量に生産して世の中の富を増やすことで、水道の水のようにただ同然で供給することができれば、社会は豊かになる。」というものです。

つまり、水というのはありがたさは当然理解しているとはいえ、ただ同然のものだったのが昭和の時代です。

 

もっとも、今でも水道をひねればジャージャーと水が出ますから、その点では昭和の時代と何ら変わらないのですが、平成の日本人は「飲み水」と「水道水」を分けて考える人が多くなったと思います。

つまり、水道水は生活に使用するためには必要だけど、飲み水は水道水ではなくてボトルに入った水を購入するようになったということです。

もちろん昭和の時代にもミネラルウォーターなどはありました。

お酒を飲むようなお店では、ボーイさんがウイスキーと一緒に氷とガラス瓶に入ったミネラルウォーターを運んできてくれます。

そういうお店ですから、しっかり請求書には水代が加算されているのですが、だいたい使い回しの空瓶に水道水を入れたものがほとんどでした。どうして水道水と分かったかといえば、ボーイさんがガラス瓶の栓を目の前で開ける姿は見たことがなく、2~3本持ってくるそのミネラルウォーターの瓶の中の水が、水位がまちまちでしたから、「ああ、水道水を入れてきたな。」と誰が見てもわかりました。

でも、それをだれも文句を言う人もいませんでした。

なぜなら、それこそが「水商売」だからで、文句を言うぐらいなら、そういうお店でお酒など飲まなければよいだけのことだからです。

 

そういう昭和の時代ですから、水を買って飲むなどという習慣がなく、そういう習慣がなければ、水を売っているお店も自動販売機もありませんでした。今のように、駅や町中の自動販売機で普通にペットボトルの水を売っているなどという光景は、昭和の日本人が見たら驚くと思いますし、それをお金を出して買っているのは、なおさら驚くと思います。

私がとても衝撃的だったのは、昭和51年に上野の日本食堂という会社でアルバイトで特急列車の食堂車に乗っていた時のことです。

金沢行の「白山」だったと思いますが、長野駅から蕎麦を搭載するんですね。折詰に入った蕎麦で、今でこそコンビニで当たり前にざるそばが食べられますが、当時としては珍しかった。その蕎麦を搭載するときに、一緒に麦茶の缶詰を載せてきたんです。

1本50円。

今でも値段を覚えていますから、相当衝撃的だったと思うのですが、まだ缶コーヒーも一般的でなかった時代に、麦茶の缶詰。つまり缶入り麦茶ですが、それを1本50円で売る。コーラやファンタと同じ値段です。私は「こんな麦茶なんてお金を出して買う人間がいる」ということが不思議でした。

日本がまだそれほど豊かじゃなかった時代は、甘いジュースならともかく、水や麦茶にお金を払うという感覚はほとんどありませんでした。

わずかに、駅弁と共に茶器に入ったお茶を買う習慣がありましたが、それだって15円か20円ぐらいで、茶器があれば10円ぐらいでお湯だけ入れてもらうこともできましたから、せいぜいその程度のものだったわけで、コーラやジュースと同じ金額で麦茶を買うということが理解できませんでした。

 

さて、そういう時代に、では日本人はどうやって旅行中に水を補給していたのかというと、駅のホームには必ず水飲み場というのがあって、列車が着いたときに、そこに並んで水を飲んでいました。

駅によってはアルミのコップがチェーンでつながれていて、それをすすいで使うのです。

昭和を代表する旅シリーズの「寅さん映画」によく出てくるセリフで、「水が合わない」とか「水に当たった」などという言葉がありますが、そうやって旅行中に駅や公園の水飲み場でガブガブただの水を飲んでいると、時としておなかを壊すことがありますよ、という意味の言葉ですが、でも、日本人は普通に駅や公園の水飲み場で水を飲んでいたのです。

 

 

前回の続きですが、昭和52年8月に同級生の木村君(左)と函館本線の山線を旅行中の私。

倶知安駅のホームにある「日本一の水」を水筒に詰めているところです。

羊蹄山の湧水を引いたこの「日本一の水」は、ふだん東京で水道水を飲んでいる私にはとてもおいしく感じられました。

こうして水筒に詰めて、1~2日、汽車の中でその水を飲むというのが、当時の旅行スタイルでした。

(画面をクリックすると当時のジャニーズ系の私が拡大されます。ちなみに後ろは特急「北海」。周遊券では乗れませんでした。)

 

 

水筒をもって旅行するといえば、日本人はほとんどしなくなりましたが、台湾では今でも一般的です。

この写真は女性車掌さんの乗務中の持ち物を見せてもらったもの。

水筒の中には熱いお湯が入っていて、乗務の合間や折り返し時間に水分補給するのが一般的なようです。

日本のお菓子も普通にコンビニで売っています。

暑い国ですから水分補給や甘いものの補給が欠かせませんが、冷たいものではなくて熱いお茶を飲むというのは日本人にない習慣かもしれません。

 

日本では鉄道会社によっては「水分補給」すら満足に許可されていない会社もあるようですが、気候帯が変わってきている今の世の中、私たち日本人は、台湾人から学ばなければならないことがいっぱいあると私は感じています。

 

甘いものにはお金を払うが、味のないものにはお金を払わなかった昭和の日本人のお話でした。

 

ちなみに、今の私は水とお茶以外は買いません。

甘いジュース類などは一切買いませんので、一番変わったのは私自身かもしれませんね。