鉄道の歴史はスピードの歴史。明治5年にこの国に鉄道が開通してから、少しでも早く目的地に着くことが最大の使命とされてきたのですが、いよいよそれも行きつくところまできた感があります。
技術革新の積み重ねで鉄道がスピードを付けて、できるだけ短時間で目的地へ到着するのはまぎれもなく「文明」のなせる業で、文明無くして今日の鉄道は成り立たないのが事実でありますが、でも、文明だけなら近い将来絶対に中国に負ける。なぜなら、日本の10倍以上の人口がいる国ですから、分母がでかい分優秀な人間も多くいるわけで、今は「中国なんか」と笑っているけれど、彼らだってものすごい勢いで発展しているわけですから、いずれ追い越されるのです。
ということで、私は常々、鉄道が速く走ることをちょっと忘れて、のんびりと走ることをはじめてみると、そこには「文化」が生まれる。目的地へ向かって一目散に走っていくことが文明であるならば、のんびり時間をかけてそれぞれの旅を楽しむのが文化でありますから、のんびり走る観光鉄道というのはまさしく文化であり、文化というのはその人の心の問題でありますから、中国に抜かされるとか、そういう心配もいらなくなるわけです。
さて、この「ゆっくり走る」こと以外に、もう一つ別の考え方もあると思います。
それは、目的のない旅であります。
昔から、内田百閒先生がおっしゃられているように、「特に目的はないけれど、汽車に乗って出かける。」ということも、文明の利器である鉄道を、目的地へ行く以外に利用するという点で、私は文化だと思います。
つまり「旅」ですからね。
旅は文化なのであります。
ということで、本日はこんな旅をしてみました。
▲今回の「旅」で用意した3枚の切符です。
▲始発駅はここ。
▲今回の旅のテーマは「新幹線を乗り継いで九州から北海道まで1日で行ってみよう!」
それも、日の出から日没までに到着すること。
なぜならば、旅の楽しみは車窓風景でありますから、真っ暗になってしまっては意味がないと考えたからです。
▲日本最南端の新幹線の車止め。
新幹線の旅はここからスタートします。
▲第1ランナーは鹿児島中央6:58発の「みずほ600号」
▲九州新幹線の指定席は2X2のグリーン車並みのゆったり感。
▲鹿児島中央を出るときには4割程度の乗車でしたが、熊本でほぼ満席。博多で半分が下車しましたが、その後、小倉、広島で結構乗ってきて岡山で満席になりました。
▲ツバメのマークのモーニングコーヒー。
▲熊本平野もお天気がよくありません。
▲遠賀川付近。山が煙っています。
▲新大阪到着直前、宮原を俯瞰。
なんだか、いいのがたくさん停まっています。
車庫の中にも貴重なものが隠してあるんだろうなあ、きっと。
▲10:42 新大阪到着。20番線は大渋滞。ご覧のとおり外国人ばかりです。
▲ホーム、階段の大渋滞で、乗り継ぎ時間8分があっという間に経過。
何とか乗り継げた第2ランナー「のぞみ222号」。新大阪10:50定刻に発車。
▲京都の桜
▲梅小路を見ようと思ったら221とはるかがかぶった。
▲そのかぶった「はるか」。京都の桜もまだ残っていました。
▲南正時先生がよく撮影されていらっしゃる関ケ原付近では、あちらこちらで桜が満開。
▲都内に入ってもまだあちらこちらで桜が見られました。昨日の嵐に耐えた花ですね。
▲定刻の13:22に東京到着。やはり外人が多い。
以前はレールパスを使うために外人は「のぞみ」に乗れず、「ひかり」に集中すると言われていましたが、今はそんなこと関係ないようで、みんな切符を買って「のぞみ」に乗っています。バックパッカーは別ですが。
考えてみたら「ユーレールパス」なんか使ってヨーロッパを旅行するのもバックパッカーですからね。
個人観光客やツアー客はそういうところでハードルに引っかかることなく、サクサクと旅行しているようです。
▲ということで、鹿児島中央から延々つづいてきた九州、山陽、東海道の新幹線線路はここでいったんおしまい。
私は50分間の時間を利用して、途中下車して大丸の地下で食料を仕入れます。
▲本日の第3ランナーは東京を14:20に出る「はやぶさ23号」
▲近くの会社に勤務する応援団の清水さんが、私のFACEBOOKをみてホームまで声援に来てくれました。
▲清水さんにシャッターを押してもらって記念撮影。
東京駅の新幹線乗り場で記念撮影などしたことありませんから、貴重な1枚です。
清水さん、駆け付けてくれてありがとうございました。うれしかったです。
▲そして北への線路はここからスタートします。
▲新函館北斗って違和感ありますね。
大人の事情を感じます。
▲田端の桜
▲飛鳥山の桜。だいぶ散ってきていますね。
▲ここいらで、そろそろ宴の時間。
普通車の座席は狭いので、隣のおじさんに遠慮しながらちびちび始めました。
パックは鹿児島で仕入れた黒伊佐錦の15度。あらかじめ水で割ってある芋焼酎です。
九州ではこのようにあらかじめ水で割ってある焼酎がふつうに売られていますが、こちらではほとんど見かけません。
飲むときに水で割るのに比べ、あらかじめ割ってあるものは味がまろやかなんです。
▲大丸の地下で仕入れた食糧その1.ニソワーズサラダ。594円。
私は、駅弁の予算は大体1500円って決めていますから、デパ地下で仕入れる方が満足するものを頂けるということです。
ところが、売り子のお姉さんが箸を入れわすれてくれました。
さあ、どうしましょう。
でも大丈夫。旅の小道具の中にちゃんと割り箸を入れてありますので、あわてませんよ。
▲宇都宮の桜。新幹線が見える高台の霊園です。私もここに入りたいなあ。といつも通るたびに思います。
▲食糧2つ目。2つ合わせて1500円以下に収まっているでしょ。
でも、その割には豪華でしょう。
▲仙台にて旧型客車発見。SLはいなかった。
▲ここを通る時は必ず見てしまいます。くりでんの廃線跡。
線路残ってるから、何かに使えそうだよねえ。
▲だんだん天気が悪くなってきた。桜もまだ咲いてません。
▲盛岡到着。昔、ここに扇形機関庫があって、かなり遅くまでC58が1両保管してありましたが。
今、復活したC58が試運転をやっていると聞いたのですが、いませんでした。
▲盛岡で「こまち号」切り離しのため数分間停車。
▲青い森鉄道の陸奥市川駅が見えると八戸に到着です。
▲本日のはやぶさの車内の状況。
東京、大宮で満席。仙台で結構降りて結構乗ってきて8割の乗車。
盛岡で2割降りて、八戸で3割下車。新青森で降りるお客よりも八戸の方が多かった。
▲青森が近づくと山に雪が残っていました。
▲新青森到着。さあ、ここからが新規開業初乗り区間です。
▲と、思ったらお客さんみんな降りちゃった。
私が乗車した2号車に残ったのは10名でした。
▲こちらはお隣の3号車。やはり同じ程度です。
▲津軽半島を青函トンネルに向かって走ります。
でも、速度が出ない。
青函トンネルのはるか手前からスピードを上げずに走行しています。
貨物列車と共用の3線区間だけかと思ってましたが、新青森-木古内間ほぼ全区間眠くなるようなスピードでした。
▲3線区間です。1435と1067ですね。
▲青函トンネルを抜けて北海道上陸。あちらこちらに雪が残っています。
▲木古内を通過したら加速して新幹線の走りに戻りましたが、あっという間に函館山が見えてきて、終点の新函館北斗に到着しました。
▲お客さんがみなさん改札口へ向かった後、がら~んとした新函館北斗駅ホーム。
10両編成から降り立ったのは100人ぐらいでしょうか。そのうち20人は中国語を話していました。
▲18:32 新函館北斗 到着。
本日の函館の日没時刻は18:35。日の出から日没までに到着するという条件もクリアしました。
東京から862km走ってきた「はやぶさ」
▲北海道新幹線の終点。ここで線路は終わりです。
鹿児島中央から2326.5km。
11時間34分の旅が終わりました。
ちょうど東京からロンドンへの飛行時間と同じですね。
世間では4時間の壁とかが議論されているようですが、今回の北海道新幹線開業で私にとってとても大きな意義があるのは、九州から北海道まで新幹線でつながったということ。
子供のころから、将来は新幹線が全国に広がるんだと言い聞かされてきた世代としては、感慨深いものがあるのです。
なので、実際に体験してみたということです。
だから何だ。
と言われれば、「内田百閒先生の気分でございます。」と答えるしかありませんが、実際にやった者でしか味わうことができない達成感と世界観がありますよ。
何しろ、日本人が一生懸命研鑽してきた技術の粋を集めた新幹線を、何の目的もなく端から端まで乗ってみたわけですから、こんな贅沢なことはないわけで、これこそが文化であると思うのであります。
「あの社長はバカだねえ。」と思われるでしょうが、「だったらいっぺんやってみなはれ。」というのが私からのメッセージでございます。
【追伸】
▲新函館北斗で乗り継いだ本日の第4ランナー、2844D。キハ40の単行でした。
新函館北斗と名乗っていますが、考えてみたら渡島大野だもんね。これが一番似合いますよ。
▲ということで函館駅に到着です。
新幹線開業からわずか2週間ですが、駅のホームも、駅構内も、駅前も、そして街全体がシ~ンとしています。
函館の 青柳町こそ 悲しけれ
友の恋歌 矢車の花
困ったなあ、教養があふれ出てくる、函館の夜。
(末広町のビジネスホテルにて。)
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