釧網LOVE

私が検討会議の委員を務める北海道観光列車の旅から一週間たちました。

早いですねえ。

 

網走に到着した晩に、写真家の矢野直美さんと会食をしました。

その席上で、矢野直美さんが、

 

「鳥塚さん、愛してますか?」

 

と聞きますから、私も、

 

「はい、もちろん愛してます。」

 

と答えました。

 

矢野さんはニッコリ笑って、

 

「その言葉を聞いて安心しました。」

 

と言われました。

 

外は深々と雪が降る北国の街で、皆さんが憧れる矢野直美さんから、「愛してますか?」と聞かれて、「はい。」と答えた私。

でも、この会話、二人の男女の仲の話ではありません。

「釧網(せんもう)本線LOVE」のお話です。

 

私も矢野さんも、釧網本線にはかなり深い愛情を持っていまして、一生懸命愛しています。

矢野さんが私に、「愛してますか?」と聞かれたのは、その愛情の確認なんです。

 

釧網本線は、おそらく日本で一番素晴らしい路線で、ちょうど今頃はオホーツク海に流氷が接岸しているシーンが見られますし、世界遺産の釧路湿原の中を走り、駅には丹頂鶴が来るという、とてもとても言葉では表現できないぐらいの路線なんですが、これがJR北海道の営業施策という観点から見ると、「要らない路線」と言われかねない状況であることに、二人は大変危惧しているのです。

だから、ことあるごとに愛情の確認が必要で、愛してるんだから一生懸命やりましょうということなのです。

 

皆様ご存知の通り、私はかなり以前から茅沼駅の構内の土地の一部を所有していて、つまり茅沼駅は私の駅なのでありますが、もし、釧網本線が廃止されるようなことがあれば、私の駅が駅じゃなくなってしまいますから一大事なんです。

 

ということで、愛情の確認作業の翌日、つまり先週の日曜日ですが、矢野さんとその茅沼駅に降り立ちました。

 

 

 

観光列車が茅沼駅に到着した時、ちょうど丹頂鶴が駅に来ていました。

 

矢野直美さんと、茅沼駅の私の動輪の前で記念写真を撮りました。

 

この時に、「そうだ!」とどちらからともなく閃いて、「顔はめ写真を撮りましょう。」ということになりまして、

 

 

こんなカットも撮影しました。

美女と間抜けオヤジの構図です。

 

この動輪はC58形の動輪で、実は釧網本線で最後まで活躍した蒸気機関車と同じ形式の動輪なんです。

縁あって四国の方から私が譲り受けて、こちらに設置しました。

 

釧網本線でC58が活躍していたのは昭和49年まで。客車と貨車が一緒につながった混合列車で、だるまストーブが車内に設置されている大変旅情がある列車でしたが、その時私は中学2年生で、残念ながら間に合いませんでした。

昭和52年になって、初めて釧網本線に乗ることができたときには、すでにC58の姿はありませんでしたが、混合列車はまだ健在で、DEに引かれた列車に網走から釧路まで乗車したことが強烈な思い出になっています。

 

 

1977年8月、塘路駅ですれ違うキハ22とDE10牽引混合列車。

 

この時が私の釧網本線LOVEの始まりで、それ以来40年間で数えきれないほど通い続けていて、茅沼駅に土地を購入したのも、将来、リタイアしたらここに住むぞ、と思ってのことなのです。

昨日今日のことではないのです。

 

だから、無くなってもらっては困るわけで、だから、一生懸命やっているのです。

 

これが私の「釧網本線LOVE」。

 

だって、世界的に見ても貴重な最高の路線なんですから。

 

▲釧路湿原を走る観光列車、クリスタルエクスプレス。(撮影:小野寺俊さん)

 

この鉄道は、何としてでも守る必要があるのです。