「昔はよかったなあ」と言うおじさん その3


房総半島だけじゃなくて、日本の田舎には「昔はよかったなあ」と口癖のように言うおじさんがあちらこちらにいると思います。


 


 


人間は誰でも過ぎ去った時は常に優しいという傾向がありますから、ある程度の年になれば「昔はよかったなあ。」と思うわけですが、田舎の町で「昔はよかったなあ。」と言うのは、昔は地場産業が盛んで、人がたくさんいて、経済が循環していたとか、観光客が多くて商売がウハウハ儲かったなどということがその理由にあります。


 


例えば地場産業の話をすると、千葉県は漁業が盛んです。東京という大消費地を控えて、大漁に獲れた魚を貨物列車に乗せて東京に向けて出荷すると、距離が近いですからすぐに届けられる。だから、「千葉の魚は新鮮だ。」というイメージがあるわけで、考えてみれば千葉県の人たちは獲れた魚を東京に運ぶだけで生きて来られたわけです。


 


交通があまり発達していなかった昭和40年代ぐらいまでは、銚子からC57やC58がけん引する貨物列車に乗せたとしても、朝とれた魚が夕方には東京に到着できる地の利としては、千葉県は絶対的な優位性があったわけですが、これがだいたい昭和50年を境に変わり始めます。


 


高速道路や航空機が発達すると、東京に近いというだけでは市場価値がなくなってしまったのです。


銚子漁港を例にとると、大衆魚としてのいわし、サバ、サンマがよく水揚げされます。脂がのって大変美味な魚類です。でも、東京の消費者から見たら、今の時代、九州からも北海道からも空路で魚がやってきます。千葉県から来るのと同じ時間で東京へ届けられるのであれば鮮度は変わりませんね。


 


スーパーマーケットの店頭で、サバが並んでいるとしたら、銚子のサバと九州の関サバと呼ばれるブランドサバのイメージのサバと、どちらが消費者の目によく映るでしょうか。


 


銚子で揚ったサンマと根室で揚ったサンマがほとんど同じ値段、同じ鮮度で売られているとしたら、皆さんならどちらを手にしますか?


 


東京に近いというだけで重宝がられていた千葉県の魚は、近いというだけではその魅力をアピールできなくなっていることはすぐにお分かりいただけると思います。でも、千葉県の魚は東京に近いというだけでずっと商売をしてきましたから、その魚に付加価値をつけるということをしてこなかったわけで、つまり、近いという以外の競争力はないわけですから、交通が発達した今の時代では勝負にならないということになります。こういう現象を見て「昔はよかったなあ。」と言うおじさんたちがたくさんいるということなのです。


 


 


 


観光という切り口で見てみましょう。


 


昭和40年代までは房総半島は大変な賑わいを見せていました。海水浴需要です。房総の鉄道は毎年夏になると「夏ダイヤ」といって特別な列車ダイヤが設定されていました。東京からの海水浴客を運ぶために臨時列車をたくさん運転してさばいていたのですが、それでも列車は大混雑で、乗せきれない状態が続いていました。


 


昭和47年に外房電化が完成し、東京駅から直通の特急や快速が走り始め輸送力が大きく向上しましたが、たぶんそのころがピークだったと思います。そして昭和50年を境に観光地としての房総半島も大きく変わり始めます。


 


昭和50年代に入り、海水浴客が減り始めると、地元の人たちは鉄道から車へ観光客が移動したためだと考えていました。モータリゼーションでマイカーが普及して若者でも自動車を持てるようになると、混んでて座れないような列車に乗るよりもマイカーが好まれるようになるのは理解できます。でも、鉄道から車に観光客が移行しただけならば、房総半島の海水浴場は同じように観光客であふれている光景が見られたはずです。


でも、海水浴場に観光客はいなくなり、見られるのはサーファーだけという光景になりました。


 


では、実際には日本全体でどのようなことが起きていたのかと言うと、昭和50年という年は沖縄海洋博が開催された年で、それが転機となって、観光というものが大きく様変わりしたからなのです。


沖縄の本土復帰が昭和47年。その3年後に海洋博が開催され、沖縄が観光地として脚光を浴びるようになりました。「南の島のきれいな海」は千葉県の海とは比べ物にならないほど都会の人の目には魅力的に映ったのを覚えています。


 


つまり、航空機や新幹線が発達すると、それまで行かれなかったところへ行かれるようになるわけで、それまで観光地として選択になかった沖縄が登場すると、人々の目にはそれはそれは魅力的に見えたのです。同じころまで新婚旅行先として一番人気だったのが宮崎県ですが、沖縄が選択肢に入るようになると、宮崎県は新婚旅行の希望地としてはあっという間に順位を転落させていきました。今の若い皆さん方からは信じられないと思いますが、昭和40年代には宮崎県が新婚旅行の一番人気の目的地で、そのころは寝台特急「富士」の切符はプラチナチケットだったのです。


 


前回お話しさせていただきました八ヶ岳なども同じ例で、東京から夜行列車に乗って行くような不便なところであっても、都会人にとっては「避暑地の高原」に行こうと思えば八ヶ岳以外に他に行くところがないですから、皆出かけたんですね。ところが避暑地という点では北海道に勝るところはないわけで、航空機が一般的になると、「夜行列車で八ヶ岳へ行く。」ことを考えたら、「飛行機で北海道へ行く」ということが好まれるようになってきましたし、経済状況の好転により、都会では普通の人たちが飛行機に乗って遠くへ行かれる時代になったのです。


 


 


このように、交通が発達すると、それまで価値があったところや産物があっという間にその価値を失うわけで、今、あちらこちらで問題になっている「新幹線ができると地元が廃れる」といった現象も全く同じだと言えるのです。


 


新幹線ができたために日帰りできる地域になる。そうするとホテル業や旅館業はお客さんがいなくなる。誰も歩いていないシーンとした地方都市の夜の景色は、そのことを象徴しているということになりますね。


 


そういう現象を目の当たりにすると、かつての繁栄を知っているおじさんたちは「昔はよかったなあ。」と言うことになるのです。


 


 


 


(さらにつづく)