高崎線トラブルの1日

千葉県の田舎を行ったり来たりしている身にとってはピンと来ないのですが、今日は始発から高崎線がトラブルだったようで、利用されていらっしゃる皆様方はさぞかし大変だったことと思います。
首都圏の大動脈がほぼ1日運転できない状態で、そのトラブルが明日まで続くということは、これはとても大きなことだと思います。
まして今の時代は、高崎線の電車が新宿にも来るし、そのまま東海道にも入っていくわけですから、籠原で火事があると平塚方面まで影響を受けるわけで、利用者にとってみたら対岸の火事では済まされない事態ですね。
電気系統の火災は信号も使えなくなりますから、当然電車は走らせることができないと思いますが、それでも走らせようと思えば代用閉塞でも使えば何とかなるのでしょうが、そういう余計なことをやって、もし何かあればさらに大変なことになりますから、動かさない方が良いという考えなのでしょう。
飛行機は飛ばさないことが一番安全ですし、電車は走らせないのが一番安全だというのは、「では、お客様はどうなるのですか?」という点を考慮しなければ、まさしく正論なのです。
航空会社に長く身を置いた人間とすれば、悪天候や機体の状況など、いつもギリギリのところでオペレーションをするのが当然で、すべておぜん立てが揃った状態でなければオペレーションできないという考え方では、飛行機の就航率はグーンと下がってしまいます。つまり、航空の現場は決断の連続であり、その決断の責任は現場長がとるわけで、それが間違っていれば、会社のTOPにその責任が行くわけです。
だから、私は、最近のJRは「何としてでも走らせよう。」「お客様を何とか運ぼう。」という気概を会社から感じなくなっているような気がして、「もし何かあったら誰が責任取るんだ。」と、輸送の使命感とは程遠いところにいるような気がしてなりません。
「誰が責任取るんだ。」という話になれば、電気系統の火災で始発電車から丸1日大動脈が動かないということだけで、当然TOPの首が飛ぶぐらいの大事件だと思いますが、現場の保守作業は下請け任せでしょうから、本体の上役の首が飛ぶことはないのでしょう。
自分たちを守るためにそういう構造になっているのでしょうから。
「何かあったら誰が責任を取るんだ。」ということで安全が確認できるまで列車を走らせないという選択は間違ってはいないと思いますが、そういう選択をするのであれば、それは会社としてのBCPができていないということになりますから、それは明らかに会社TOPの責任問題であります。
でも、もしそれすら気付いていないのであれば、そこがまさにスーパードメスティックカンパニーと呼ばれるゆえんだということになります。
かわいそうなのは現場の職員の皆様方で、「いつになったら動くんだ。」と血走った眼付で詰め寄る乗客たちの前で、判断をしたがらない上司からは的確な答えをもらえないまま、1日中クレームの矢面に立たされているのですから、本当に大変なお仕事だと思います。
せめて一つだけ言わせていただくとすれば、そういう現場で修羅場を何度も経験した人たちが将来幹部になっていくシステムがこの会社にあればまだ救われると思いますが、自分たちの会社を「インフラ系」と考えているような学生ばかりを採用しているとすれば、どこかの電力会社のように、近い将来オペレーションで大きなミスを犯すことは目に見えていることなのですが、TOPの方々はそういうことにお気づきでいらっしゃいますでしょうか。
鉄道会社は決して「インフラ系」ではなくて、「オペレーション会社」なのであります。
ということで、高崎線利用者の皆様、鉄道会社職員の皆様、本日は受難の1日でしたが、大変お疲れ様でした。
職員の皆様方の今日1日の頑張りと、忍耐にエールを送りたいと思います。
私も空港で何度となく家に帰れない目にあってきましたから、皆様方のご苦労はよく理解しているつもりです。
でも、高崎線って、昔からこんなだったようですね。
私だったら、高崎線を利用して通勤する住民にはなりたくないというのが今の心境です。
1960年の高崎線通勤列車