今日は3.11。大震災から5年です。

今日は3月11日。
東日本大震災から今日で5年がたちました。
テレビでもあちこちの局で震災の教訓を忘れないようにとメモリアル番組を放映しています。
3月11日に震災が発生してからというもの、私も大変な日々を過ごしていました。
幸いにしていすみ鉄道沿線では大きな被害はなく、鉄道にも被害は発生しませんでしたが、東京電力の計画停電というのがネックになり、列車を運転できない日々が続きました。
東京電力が停電すると、道路の信号も消えてしまいますが、踏切警報器だって作動しなくなる可能性があります。非常用の自家発電装置はありますが、数時間稼働すればよいですから、半日単位の計画停電には通用しません。
突然発表される計画停電の知らせに右往左往させられて、列車が運転できなくなるなど、鉄道会社を預かる身としてはかなり気をもんでいました。
当時のブログを見返してみると思いだすことがたくさんあります。
2011年3月10日のブログ 「ボンネットバスがやってくる。YA・YA・YA!」

震災前日の3月10日。いよいよ菜の花のシーズンが到来し、キハ52のデビューに合わせて、いろいろなイベントを計画していました。
2011年3月11日のブログ
この日は千葉県庁で会議があるために車で向かっていました。
会社へ連絡しても電話が全く通じません。
大原の津波も心配でしたが、連絡が通じなくても鉄道のプロたちですから、きちんと対応してくれていることを信じるしかありません。道路も渋滞が始まり、あちらこちらで全く動かない状況になりました。
とりあえず自宅へ帰り、数日間の食料品などを入手しました。
当時は4人の子供がお腹を減らして口を開けている状態でしたから、食べさせることが最優先順位でした。
その後、近所の一人暮らしのお年寄りの家などを見まわって、倒れた家具などのあと片づけを手伝ううちにあっという間に深夜になりました。
2011年3月15日のブログ
計画停電による列車の運休を計画し実行していきました。
いすみ鉄道はディーゼルカーですから電車のように走行のための電気は使用しないのですが、信号や踏切に不安が残ります。このため、ご迷惑がかからないように、あらかじめ事前に計画運休を発表していきました。
幸いなことに、震災で観光客が来なくなってしまっていましたので、ほとんど混乱なく運休させることができました。
2011年3月16日のブログ
勝浦の民宿のオヤジさん(当時はいすみ鉄道の運転士さん)が、気仙沼への船に支援物資を載せるという話を持ってきました。漁船仲間が寄港するという話です。そこで、煎餅などを積んでもらうように大量に渡しました。
今の日本で一番忘れ去られてしまった交通機関は、海上交通だということを改めて認識させられました。
2011年3月17日のブログ
震災から数日が経過し、いすみ鉄道も落ち着きを取り戻してきていました。
昨日は気仙沼へ船が出ると聞き、自分たちにできることが何かあるだろうかと考えて、千葉県の被災されていらっしゃる方々がたくさんいらっしゃるのですから、そこへ何かを届けようという話になりました。
いすみ鉄道では売店で販売するお菓子類がたくさんあります。でも、震災で観光客が誰も来なくなってしまいました。このままで行ったら在庫のお菓子類が全部だめになってしまいます。
ということで、被災地で避難生活をされていらっしゃる方々へ、煎餅や何か甘いものを届けようと、カケス団長と車2台に詰めるだけ荷物を積んで出かけました。
この時にはすでに応援団が義捐金の口座を開設してくれて、皆様方からの気持ちをお届けできる体制が出来上がっていました。
2011年3月19日のブログ

震災で都内も暗い光景になりました。
全国的にも話題は暗い話題ばかりです。
そんな時に少しでも明るい話題をお届けしようと、運行開始直前のキハ52の様子をお届けいたしました。
今日は震災が起きた日からちょうど5年ということで、当時のいすみ鉄道の状況は私が考えていたことなどを振り返ってみました。
日によっては1日に何度も更新している日もあります。
当時はFACEBOOKも一般的でなかったので、ブログが一番の情報伝達手段であったこともわかります。
最近いすみ鉄道社長ブログの読者になられた皆様にはある意味新鮮な驚きがあることでしょう。
私が考えていることは、今も昔も全く変わりません。
継続は力なりですね。
暇な時の読み物としては面白いですからどうぞひも解いてみてください。
特に2011年4月1日のブログ(2回更新)などは必読ですよ。