汽車旅サバイバル

私は子供のころ、電車に乗ると一番前から先頭の景色を見るのが大好きでした。
今でも前面展望DVDなどというものを制作しているのがその証拠というか、成れの果てなわけですが、例えば、山手線には101系と103系の2種類の電車があって、身長が低い小学校低学年としては、103系は運転席と客席との間の仕切りの窓の位置が高くて前が見えない。
101系はその仕切りの窓は低かったので、前が良く見える。
総武線に乗ると、さらに前が良く見える茶色い旧型国電が走っていましたので、山手線では103系が来るとその電車には乗らずに見送って101系を待ったり、総武線では茶色い73系のゲタ電が来るまで待ったりするのは当たり前のことでした。
先頭に乗れない時や、夜になって運転席のカーテンを閉められてしまう時などは、必ずドアの脇に立って、外を見ていました。
そういう私を見て、大人たちは異口同音にこう言いました。
「一番前は危ないよ。電車がいつぶつかるかわからないから。」
ドアの横に立っていると、
「危ないよ、いつドアが開くかわからないじゃないか。」
確かに当時は電車が追突したり、正面衝突したり、あるいは踏切でトラックとぶつかったりして、けが人や死者が出る事故がたくさんありましたし、走行中の電車のドアが開いてしまったり、乗客を詰め込みすぎたために走行中にドアが破断し、何人もの乗客が列車の外に放り出されて命を失う事故などがありましたから、大人たちは子供に身近にある危険性を教えてくれていたんだと思います。
今なら、「走行中にドアが開く? だって速度検知装置が付いていて、絶対に開かない構造になってるんだよ。」などという話になると思いますが、当時だって、当時なりに、そういう安全装置はあったはずなのです。
そこで、そういう子ども時代を経験して、というか、生き抜いて大人になった私としては、当時の大人たちは皆戦争経験者だったから、今の人間とは比べ物にならないぐらいたくましかったのかなあと思うのでありますが、そういう私の目から見ても、今の人たちは「大丈夫なのかなあ? サバイバルできるのかなあ?」と思うことがしばしばあります。
例えば、一番簡単な例としては、駅のホームでの歩きスマホとか、信号待ちしているときのスマホとか、身の危険が迫っていることを察知する構えができていない状況です。
赤信号で信号待ちをしていれば、自分と交差する交通は青信号ですから、いつ車が突っ込んでくるかわかりません。
青信号で渡っていたとしても、必ずしも安全というわけではありません。
歩きスマホでホームから転落事故が起きると、鉄道会社はホームドアを設置します。すると、さらに歩きスマホが増えるわけで、じゃあ、ホームドアは万能なのでしょうか? ホームドアに慣れ親しんでしまうと、ホームドアの無い駅でも無防備になるのではないか。
そういうことを、昭和のオジサン的には考えてしまうわけです。
でも、昭和のオジサンとしては、自分も若い頃を思い出すと嫌だったから、若い人たちに対してお説教しようとは思いませんが、だからと言って、みすみす命を失うのを見過ごすわけにもいきません。
そこで、オジサンとしては、若い人たちにこういう列車に乗ってみることを進めたいと思うのであります。
先日、日本の鉄道ファンの皆様方をお連れして乗車した台湾国鉄南廻り線の旧型客車の列車です。
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▲手動ドア。ということは、走行中でも開けっ放しです。
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▲連結面。渡り板の横からは線路の砂利が見えます。
幌は隙間だらけです。
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▲客車はもちろん窓が開きます。
冷房がないから南国では閉めていることができない状態です。
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▲一番後ろは実に開放的。
細い鎖と横に渡した棒1本が命綱で、その向こうは地獄です。
こういう列車に乗ると、生きるということに対する免疫力ができると思います。
小さな子供を連れた地元の人がたくさん乗っていましたが、親がちょっと目を放してチョロチョロしだすと子供は死にます。
日本では道路や駅のホームなどで平気で子供の手を放す若いお母さんをよく見かけますが、ここではそれが通用しません。
酔っぱらってドアにもたれかかったら、そのまま死にます。
窓から手や顔を出すときは、しっかり前を見ていないと死にます。
昭和のオジサン的にはそんなことは当たり前のことで、私たちも子どもの頃、親に連れられてこういう列車にさんざん乗ってきて、サバイバルしてきたんですが、いちいち言うと口うるさく思われるだけだし、怪我をしたり、痛い思いをするのは私ではありませんから、何も言わないことにしていますが、でも、やっぱり知ってもらいたいと思いますね。
人生、どうやってサバイバルしていくか。
身の回りのどこに危険が潜んでいるか。
昭和を生き抜いてきたオジサンとしては、そんなことは自分で気づくのは当たり前だからです。

▲1978年、函館本線の普通列車。
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▲今の台湾の旧型客車。
開けっぱなしなのは同じです。
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▲急行「ニセコ」の客車の窓から思いっきり顔を出して望遠レンズでパチリ。
こういうことをさんざんやってきて、サバイバルしてきました。
だから、大概のことは平気です。
別に真似をしろと言っているわけではありませんが、こういう列車が今でも台湾で走っているのですから、鉄道ファンの若い人たちは、一度は乗ってみたらよいのではと思います。
その時の注意事項。
「気を抜くと死ぬぞ。」
です。
1980年代前半まで、日本各地でこのような開放的な列車が走っていましたが、確かに振り落されて命を失った高校生など、たくさんいたと思います。
それはそれで悲劇ではありますが、生きていくということはそういうことだと、私たちは経験から学んできたということなのです。
ということで、本日のおじさんからのメッセージ。
「若人よ、チャレンジだ!」