時代考証

NHKの朝ドラを見ていたら、戦後の食糧難の時代に故郷の甲府に食料を調達に行くというシーンがありました。
満員の買い出し列車の車内のカットでしたが、汽笛がポーッと鳴り響きました。
5階音(ボーッ)と3階音(ピョー)の中間ぐらいの音でしたが、蒸気機関車の音には間違いありません。
昭和20年の話ですから日本中どこへ行っても蒸気機関車の列車が当たり前の時代ですが、でも、私は「おかしい」と思ったのです。
なぜなら、東京から甲府へ向かう中央線は、戦前のかなり早い段階には電化されていて、戦争中にはすでに電気機関車だったからなんです。
だから、中央線の列車に揺られて甲府に買い出しに行くその列車を引いていたのは電気機関車でなければならないのです。
そして当時中央線を走っていたその電気機関車はEF10という形式で、私が子供のころは池袋や新宿などで活躍する姿がふつうに見られましたので、もちろん汽笛の音も聞いたことがありますし、このEF10だけじゃなくてEF13やEF15、そして急行列車を引いていたEF56やEF57など、茶色いボディーの戦前型電気機関車の汽笛は蒸気機関車のものとは違っていましたから、私の聞き間違いじゃないと思うのです。

[:up:] 新宿駅構内で休むEF10。1972-1
2次形以降丸いボディーが多い中、新宿付近では角ばった一時形がよく見られました。戦前から中央線で活躍した機関車ですので、朝ドラの主人公が甲府へ里帰りする列車もこの機関車が引いていたはずです。
この写真を撮影する数年前に、新宿駅構内で貨物列車が衝突し、タンク車から漏れ出した燃料が大爆発し、構内が炎上する事故がありましたが、その列車の牽引機もEF10でした。今では、新宿駅構内でそんな大事故があったなんて誰も知りませんね。
汽笛の話をすれば、SLの汽笛は時代とともに移り変わってきていて、明治時代や大正時代には3階音の(ピョー)という音で、昭和に入って大型機関車が作られるようになると、今のD51やC57のような5階音(ボーッ)になりますから、大正時代のシーンでバックにボーッという音が聞こえたら時代考証的にはおかしいということになります。
今、JR九州で復活しているハチロクは大正時代の製造ですから、ピョーという3階音の汽笛で、他の復活SLとは違うわけです。
汽笛だけじゃなくて、電車の走行音なども時代とともに変わってきているのですが、昔は音声と映像が同時に収録できないときなどは、あとからアフレコで効果音を挿入するなんてことは当たり前でした。
私が好きだったテレビドラマに「Gメン75」というのがあって、そのドラマにはよく電車が走るシーンが出てきました。都内で撮影した当時の電車は山手線の103系などでしたが、アフレコで挿入されていた効果音はモーターが唸りを上げて走る旧型国電の吊り掛けモーター音で、103系の音ではありません。私はおかしいと思ったのですが、当時は電車の音というと吊り掛け音がふつうでしたから、よくわからない製作者が「電車の音」を探してきて挿入したんだろうと思いました。
後でわかったのですが、レコード屋さんへ行くと「効果音」というコーナーがあって、そこには小川のせせらぎや波の音に混じって、ジェット機、プロペラ機、電車、蒸気機関車など様々な音のレコードが並んでいました。
私が興味を持ったのは「雑踏」というレコードで、駅の構内や飛行場など様々な場所での音が収録されているものでした。当時300円ぐらいでしたが、試しに買ってきて家で聞いてみると、本当に駅や飛行場の雑踏の中にいるような気がしてきます。
一度、このレコードを掛けながら友達に電話をしたことがあるんですが、電話に出た友達は「鳥塚、今どこにいるの?」と言いましたので、「ちょっと横浜に来てるんだ。」などと答えながら、電話を切った10分後に友達の家を訪ねて、「あれ、横浜にいたんじゃないのか?」と驚かせたこともあります。
こんなことをしてみると、その効果音のレコードはアリバイに使えるかもしれないと高校生だった私は考えたわけですが、当時はテープレコーダーやビデオなどが今ほど普及していませんでしたので、それだけ日本人はのんびりしていたんじゃないかと思います。
それほど真剣に見ていたわけじゃないNHKの朝ドラで、私が汽笛の音を聞いておかしいと思うぐらいですから、家具や調度品だけでなく、着ている服やヘアスタイル、メイクなど見る人が見たらおかしいと思うようなポイントがいっぱいあるということはすぐにわかりますから、時間と予算に追われながら現場で格闘しているドラマ制作は大変なんだろうなあということは容易に想像できますね。
まあ、蒸気機関車の現役時代を知っている最後の世代である私たちもすでに50代半ばですから、あと10年20年もすれば、汽笛の音が違うなどと言ううるさい爺さんもいなくなるわけで、どうでもよいと言えばどうでもよいのでしょうが、そう考えると、今制作している明治時代や大正時代のドラマや映画などでも、見てきた人はもういないわけですから、何が正しいということは誰もわからなくなっていくんですね。
それが時代の流れなのでしょうが、昭和40年代、50年代の映像シーンを撮影できるのが今のいすみ鉄道ですから、映像関係者の皆様方は、ぜひ、いすみ鉄道をロケーションの舞台に選んでいただきたいと考えております。
もちろん時代考証もばっちりヘルプさせていただきます。
ちなみに、今回素晴らしい賞を受賞した吉永小百合さんの「ふしぎな岬の物語」は駅でのシーンはいすみ鉄道の大多喜駅、上総中野駅で撮影しましたので、みなさまどうぞご覧いただきたいと思います。
それでは本日はこれにて、
ごきげんよう。さようなら。