人のふり見て・・・

お隣の国、韓国で痛ましいフェリーの沈没事故が起きてからかれこれ10日になります。
修学旅行の高校生がたくさん乗っていて、沈没した船の中で、もしかしたらまだ生きているかもしれないと考えると、何とも痛ましく、家族の皆さんの苦しみは他人ごとではありません。
韓国にいる私の友人の子供は乗っていなかったようですが、子を持つ親としてはいたたまれない気持ちです。
マレーシアから北京に向かった旅客機が突然姿を消してから一月半以上が経過しましたが、今でも手掛かりが見つからないという、こちらもなんとも痛ましい事故で、ご家族は憔悴しきっているのではないかと思います。
韓国や中国というお隣の国で、こういう事故が発生していることを見て思うのは、日本もかつてはたくさん痛ましい事故があったなあということで、デパートや温泉旅館が火事で燃えたり、飛行機が落ちたり、昭和の時代には大きな事故がたくさんありましたが、交通事業者としては、事故を発生させないことはもちろん、いつ事故が起きてもよいような態勢を作らなければなりません。
ゴールデンウィークを前に、いすみ鉄道の全乗務員に運転取扱いの再確認を指示したところです。
さて、韓国での沈没事故の報道が、あちらこちらのテレビで放映されていますが、子供が船に乗っているという親たちの行動が、日本人の目から見ると異様に映る人もいるのではないでしょうか。
お母さんは大声を上げて人前はばからず大泣きしているし、お父さんはマイクをつかんで、国の対応を批判している。中には警察官や国の担当者につかみかかっているシーンも見られます。日本人は当事者になったとしてもあまりそういうことをしませんから、「韓国人はひどいなあ。」と思う人たちもいるんじゃないでしょうか。
私は昔韓国の会社にいましたし、韓国人の友達もたくさんいますからよくわかるのですが、韓国人というのは日本人から見ると、上に立つ人間の権力がとても強いという国民性があります。
だから、上に立つ人間というのは、その強さを示すために大声を出したり、怒鳴ったりするんですね。
韓国人だけでなくて、昔の日本人もそうだったんですが、例えば「カミナリおやじ」なんて言葉があるように、日本人も昔は自分が偉いんだぞ、ということを示すためによく大声を出して怒鳴る人がいましたが、こう考えるとご理解いただけるのではないでしょうか。
女の人も、そういう意味では同じで、大声を上げて泣いたり、床に這いつくばったり、態度で示すことが多いんですね。
つまり、そうやって自分を主張していくのが韓国人の文化の一つであって、中国人もそういうところがありますから、彼らにとっては普通のやり方なんです。
逮捕された船長が警察で取り調べを受けているシーンもテレビで放映されていましたが、警察の取り調べ室の中まで報道人やテレビカメラが入り込んで、逮捕された人にインタビューしているのも日本ではありえない光景ですが、東南アジアでは、国によっては「晒し者」のように、そういう絵を撮らせるんです。
国レベルの話でも、私たちが、北朝鮮や中国の挑発的な言動を見て不快に思うのは、そういう自己主張や、ある意味恫喝とも思えるような態度が理解できないところが大きな理由ですが、同じ韓国人でも中国人でも、きちんとした教養がある人たちは、自国民のそういう態度を見て「恥ずかしい」と思う人たちもたくさんいるということは事実としてご理解いただきたいと思います。
田舎の山奥から出てきたおじいさんやおばあさんが、田舎者丸出しで、都会を歩いている姿が、私が子供だったころの上野や浅草周辺でよく見かけました。
そういう時に私は「ああ、田舎の人なんだなあ。」と微笑ましく思いましたが、田舎から出てきて都会で働いている人の中には、「恥ずかしい。」と思っていた人も多くいたと思いますが、そういうことなんですね。
今の世の中、日本では都会も田舎もほとんど変わりがなくなりましたので、あまりそういうことを感じなくなりましたが、韓国や中国で起きていることや、彼らがやっていることを見ていると、40年ぐらい前の日本の田舎を見ているような気がしないでもありません。
ただ、私が今度の船の沈没でとても心が痛んだのは、大統領が陣頭指揮をとって救難部隊を送っているにもかかわらず、隣国に日本に対して「助けてください。」と言い出せなかったこと。
向こうから喧嘩を売ってる状況ですから、その相手に助けを求めることは難しいのかもしれませんが、日本は世界的にも優れた海洋技術を持っている国で、その国がすぐ隣にあるのに、国の面子か何かは知らないけれど、言い出せないということは、結局、中に閉じ込められた人たちが助かる可能性をつぶすことになりますから、国民の利益にならないんじゃないかと考えます。
まして、韓国では軍隊を集中的に事故現場に派遣して救難に当たることは不可能です。軍隊を総動員するということは、他の部分が手薄になるということで、今、しきりに核実験やミサイル発射を行って、「俺は偉いんだぞ!」と言っている国が隣にあることを考えると、そちらに神経を張り巡らさなければならないことの方が優先事項なんですね。
なんだか、とても悲しいことががんじがらめになっていて、どうにかならないかと思うのですが、では日本人としてそういう性質の韓国人や中国人を笑うことができるのでしょうか。
私は、日本人も同じだと思うのです。
3年前の大震災で福島第一原発が大事故を起こした時に、初動態勢の中で日本はアメリカに助けを求めることができませんでした。というか、助けを求めませんでした。
原発の技術を世界一だと自認していた日本は、面子があったのでしょうか。アメリカに助けを求めなかったことが、原発事故の影響が広範囲になってしまった一因だと思います。
原発の技術が世界有数であることと、放射能事故が処理できるということは違う次元のことなわけで、日本は放射能事故を処理する技術なんて持っていないわけですから、なぜアメリカに助けを求めなかったのか。為政者が判断しなければならないことを判断しなかったんですね。
阪神淡路大震災の時のことです。震災の翌日にはスイスから救助犬を連れた救援チームが日本に到着しました。
日本政府が正式に依頼をする前だったと思いますが、そんな正式依頼を待っていたら助かる命も助からないということを救助チームはよく知っていますから、とりあえず日本にやってきた。
日本に到着した彼らを待ち受けていたのは何だったと思いますか?
空港の入国の際の検疫で、犬の入国が認められなかったんです。
瓦礫の下に埋もれてまだ生きている人を助けるためには、救助犬は今では常識なんですが、当時はまだ日本ではあまり知られていませんでした。日本は島国ですから、外国からのウイルスの持ち込みに対してとても神経を使っています。外国から動物を持ち込む場合は、たとえペットであっても、事前申請が必要で、それがない場合は数週間、空港内の検疫所の施設で留め置きを求められます。
その時の救助犬はこの法律に引っかかったんです。
結局、数時間か数日かは覚えていませんが、救助犬の活躍開始が遅れたことは事実で、そのことによって、もしかしたら助かった命が失われたかもしれないと考えると、なんだか心がさみしくなるんです。
私が皆さんに申しあげたいのは、日本人は韓国人や中国人を見て笑うことはできませんよということ。
韓国人や中国人の中には、私たち日本人よりもはるかに意識が高い人たちがたくさんいるということと、それとは別に、私たち日本人だって、何かあったとしても素直に外国に助けを求めることは、実はできない国民なんだということで、私たちはそういうことを認識したうえで、たとえ国と国とがもめていたとしても、何かあったらそういう問題をとりあえず棚上げしてでも、相手を助けてあげなければいけないと私は思います。
米韓合同軍事演習などをやってるぐらいなら、救難訓練でもやった方が、はるかに理解を得られるのではないでしょうか。
韓国人も中国人も、家族や最愛の人を失う悲しみは一緒なんですから。