本日はロサンゼルス3日目にして滞在最終日。
須貝さんからお電話をいただきました。
「鳥塚くん、今、空港にいるけど、来ない?」
「はい、ではこれからすぐに伺います。」
ということで車を飛ばして向かったのはロサンゼルス北部にあるホワイトマン空港。
LAに詳しい方ならバーバンクの隣と言えばお分かりいただけるかもしれませんが、滑走路1200mの小型機専用空港で、30年前に私が育ったところです。
須貝さんは現在飛行機を2機持っていて、1機は双発のナバホ。もう1機がこのセスナ172。
この飛行機を格納庫から引っ張り出して、テスト飛行に同乗させてもらいました。
飛び立って向かったのは内陸部にあるチノという町の飛行場。
車で行けば2~3時間かかるのですが、飛行機では35分の距離。
せっかくだからと少し遠回りをして、サンタモニカからLAX国際空港の上を飛んで、トーレンスを抜けて東へ針路をとってチノへ向かいました。
これで45分のフライトです。
サンタモニカからLAXへ向かう途中、眼下には雲の間からマリナデルレイが見えました。
で、上に上がってから須貝さんから
「では、鳥塚くん、お願いします。」
と操縦桿を渡されて、30年ぶりの初飛行です。
ロサンゼルスの上空は空域が入り組んでいて、エリアが変わるたびに周波数を変えて無線でコンタクトをし、トランスポンダに指示された数字を入れ替えて、などなど、かなり忙しい。
その作業に須貝さんが取り掛かるので、私に操縦桿を持ってくれというわけです。
30年前に300時間ほどしか飛行経験がありませんから、もっと飛行機が踊り狂うかと思いましたが、不思議なものですぐに勘を取り戻して、進路を一定に保ちながら水平飛行や上昇、下降、そして進路変更など、我ながらスムーズに行うことができました。
須貝さんは、ふだんはGPSで飛んでいるのだそうですが、私のためにADFとVORをセットしてくれて、つまり旧式の原始的な方向探知機を使ってコースを示してくれたので、
「ああ、VORは進路からのズレをラインで表してくれてるんだったっけ。」
「TO、FROMの表示は無線標識と自機との位置関係だな。」
「ADFは海岸線ではNDB局からの電波が不安定になるためにあまり信用できないんだったっけ。」など、など、空中に浮かんでいると実に初歩の基礎知識が不思議と思い出されてきました。
確かに、あのころの私は寝食を惜しんで一生懸命勉強していたんでした。
シングルエンジンの飛行機は、思うように言うことを聞いてくれないので、まっすぐ飛ばすこともままならないのですが、何とか機体が踊らずに済んだフライトでした。
そして帰りは日没を迎えての夜間飛行。
夜は気流も安定して上品に飛行できるうえに、街の明かりで地形が把握しやすいのでとても楽なんですが、美しいロサンゼルスの夜景を見ながら、そんなことをふと思い出しました。
「鳥塚くん、今どこ飛んでるかわかる?」 と須貝さん。
「はい、フリーウエイNO5とハリウッドマウンテンのぶつかるところ。ドジャースタジアムの上ですね。」
「さすが、よくわかるね。じゃあ、ホワイトマンはどっち。」
「はい、1時の方向、街の明かりで滑走路は見えませんが、タワーのビーコンが見えます。9時の方向に同高度でバーバンクへの進入機がいますが、あれはかわせますね。」
などと会話をしていると、私は確かにこの空を毎日飛んでいたんだなあ。ということを実感として思い出した1日でした。
須貝さんが最後に一言。
「リフレッシュコースを受けて空に戻ってこないかい?」
それはそれは大そうな誘惑でございました。
30年前と違っていたのは飛行機がこんなにも小さくて窮屈だったっけ? ということ。
同じ機体のはずなのに今では操縦桿がおなかにつっかえそうなほど小さな小さな小型機でした。
ということで、明日は日本に帰ります。
※おことわり
そうそう、忘れてました。
アメリカで飛行機を操縦したなどと書くと、ある種の人間が「あそこの会社の社長はけしからん!」とすぐにメールをしてくる。それも、そういうやつに限って匿名で・・・というのがネットの常識。
私は時々、そういう常識の奴らをあぶりだす目的で、このような記事を書くことがある・・・ということではありませんが、
念のために申しあげておきますと、私は動力車操縦資格はありませんが、日本国内とFAAの2種類の航空機操縦資格は所持しております。無線従事者資格も所持しています。須貝さんは航空機操縦資格、整備資格、教官資格を所持していますので、いたって合法に飛行しています。
揚げ足取りの取り越し苦労は無用ということを申し上げておきます。
なんちゃって、独り言。
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