鉄道ファンの習性、鉄道会社の習性

日付が変わりましたので、もう過去のお話になりましたが、昨日12月1日で久留里線の国鉄形ディーゼルカーの運転が終了しました。
キハ30、キハ37、キハ38といった国鉄時代から走り続けてきた車両が、ハイブリットディーゼルカーに置き換えられるとあって、今年の初めごろから沿線にはたくさんの鉄道ファンが訪れるようになり、11月に入ってからは、いよいよ最後とあって、撮影ポイントには大勢のファンが固まってカメラを構える光景が見られました。
私はSLブームと言われた昭和40年代から「さよなら」に集まる人たちを見てきていますので、世代が変わっても、鉄道ファンの習性は変わらないなあと思います。
ふつうに走っているときには見向きもしないのに、いざ「さよなら」になると急に人が集まりだす。
こういうのをある種の人たちは「お葬式鉄」と呼ぶようですが、もうこれで最後だ!となって集まってくる姿は、私はあまり好きではないので、私としては、廃止になるずっと以前から、いつも通りに当たり前に走っている鉄道を記録することを過去40年以上やってきました。
言うなれば「ふだん着鉄」とでも言いましょうか。
特にあらたまることもなく、いつも通りに走る、いつもの姿が良いなあと思うわけです。
鉄道ファンの習性が、無くなるものを追いかける特徴があるとすれば、鉄道会社にも習性があると思います。
それは、どれだけ人気が出ようが、人が集まろうが、そんなことにはお構いなしに、自分たちの計画に沿って粛々と、俗に言う「近代化」を進めるという習性。
都会の通勤路線ならまだしも、ローカル線としては少しでもお客様が来てくれるということが大事だと思うのですが、中央で車両やシステムの管理をしている人の目で見ると、長期計画に沿って近代化を進めることが自分の仕事であって、人気がある車両を保存しようとか、当分の間継続して走らせようというようなことは仕事ではないわけです。
これは今に始まったことではなくて、国鉄時代からずっと行われていて、日本全国をあれだけにぎわせたSLブームでさえ、誰ひとり、「人気があるから続けよう。」という発想にならず、各地でさよならフィーバーが繰り返されているにもかかわらず、SLは計画に従って粛々と消えて行ったわけです。
まあ、当時の国鉄にSLブームをビジネスとして積極的に利用しようという考えが採用されるような土壌があれば、あれほどまでの赤字に悩むこともなく、分割民営化されることももしかしたらなかったと思いますが、そういう光景を40年以上も見続けてきた私としては、「捨てる神あれば拾う神あり」で、拾い集めることで次のビジネスが見えてくると確信しているわけであります。
ということで、久留里線ファンの皆様。
落胆しなくても大丈夫です。
皆様方は別に久留里線が好きなわけでもなく、ただ単に国鉄形気動車が好きなのだと思いますので、キハ30がこの後いすみ鉄道に来るとしたら、皆様方の足もいすみ鉄道へ向いてくれると思います。
そして、ただ単に国鉄形気動車が好きだという理由であっても、いすみ鉄道に通い始めると、いすみ鉄道沿線も好きになってしまう。
そんな仕組みを展開しているのがいすみ鉄道です。
だから、来年を楽しみにしていてください。
国鉄形が3両集まれば、「昭和の国鉄の再現」と堂々と言っても良いでしょう。
私は鉄道ファンの代表として、皆様方に喜んでいただきたい、一緒に夢を見ていただきたいと考えているのです。
一緒に夢を見るビジネスを展開していくに当たり、そろそろ来年度の人事を考える時期に来ています。
そういういすみ鉄道で一緒に働きたい方、履歴書待ってますよ。
ただし、私の片腕として使える人に限ります。
私の片腕ですから、相当な人材ですよ。
別に過去は問いませんが。

さよなら蒸気機関車でにぎわう銚子機関支区


房総半島最後の蒸気機関車列車(両国発 房総東線 勝浦行)が両国を発車。
これだけ人気なものを「やめてしまう」のは、私は子どものころから不思議で仕方ありませんでした。
(すべて昭和44年 撮影 川上鉄道部長)