昭和の鉄道写真を掘り返していて喫茶店のことを思い出しました。
今はスタバやドトールなどが一般的になりましたし、ファミレスのドリンクバーなんてのもあります。コンビニも街中にたくさんできていますし自動販売機もいたるところにありますから、喫茶店というお店はあまり見かけなくなりましたが、私たちが学生だったころは街中に喫茶店があふれていて、一息つきたくなると喫茶店のドアを開けるのがくつろぐ方法でした。
あふれているという表現は大げさに聞こえるかもしれませんが、決して大げさではなくて、商店街ならば10メートルか20メートルに1件は喫茶店があったくらいですから、学生たちは自分好みの居心地の良いお店を見つけては、ガールフレンドとデートしたり、友達同士でたむろしたりしたものです。
喫茶店にもいろいろなお店があって、おじさんとおばさんがやっている家庭的なお店から、ボックス席が妙にたくさん並ぶちょっと怪しい感じがするお店や、コーヒー専門のチェーン店まで、各種さまざまでしたが、昭和50年代前半の頃で、コーヒーの値段はだいたいどこも1杯180~250円ぐらいでした。
今はやりのスタンドコーヒーに比べると、30数年前の250円はかなり高かったと思いますが、場所代というか、1杯250円のコーヒーで1時間も2時間も粘れるわけですから、デート代としては安いものでした。
当時はまだまだ世の中に物資がいきわたっていなかったのだと思います。
今では当たり前の小さなプラカップに封入された常温保存がきくコーヒークリームなどあるはずもなく、店によってはコーヒーを運んできたお姉さんが、席の前で立ち止まって、「ミルク入れますか?」とたずねたかと思うと、ステンレスのミルクピッチャーから加減も聞かずにコーヒーカップの中にクリームをちょびっとだけ入れて、テーブルの上においていきました。
ちょっと気の利いた店になると、ステンレスの小さなクリームカップをソーサーの上に添えて出していましたが、いずれにしてもコーヒークリームは高級品でしたから、ほんの少ししかくれなかった記憶があります。
今でこそ、カスタマイズなんて言葉がありますが、当時は出された分量のクリームで、みんな黙ってコーヒーを飲んでいたんですね。
(山形鉄道の野村社長の話では、地域によってはコーヒークリームのことを「フレッシュ」というところもあるらしいですが、これは当時主流だった粉のクリームに対して生クリームという意味の言葉だと思います。牛乳ではありませんが、ミルクという言い方も一般的かもしれませんね。)
あと、今考えると面白いなあと思うのは、砂糖です。
古い日本映画なんかを見ていると、喫茶店のシーンが必ず出てきて、女性が男性のカップに「おいくつお入れになりますか?」なんてたずねて砂糖を入れているシーンがあります。
そんな時、だいたい「2つ」とか「3つ」とか言っているのに気が付きます。
当時はそれが当たり前だったのだと思いますが、今では砂糖を3杯も入れてコーヒーを飲む人も少なくなりました。
砂糖や甘いものが高級品だった時代だったのですね。
今、コーヒースタンドやドリンクバーなどで、常温保存がきくコーヒークリームや、スティックシュガーなどが無造作に置いてあるのをよく見かけます。
物が豊かになったのだと思いますが、今の若い人たちは、そういうものに見向きもしなくなりましたが、昭和の時代に、もしコーヒークリームや砂糖が自由にとれる状態で置いてあったら、おばさんたちがごっそりとお持ち帰りになる光景が目に浮かびます。
新幹線のデッキに冷水器があって、紙コップが設置してありましたが、新幹線に乗る度に用もないのにその紙コップをごっそりとお持ち帰りするのは、当時はあたりまえのことでしたね。
松下幸之助先生の水道哲学ではありませんが、物が豊かになるということは、心も豊かになるということなのでしょうか。
今の若い人たちがガツガツしていないのは、昭和に青春時代を送ったおじさん達から見ると、立派だなあと思うわけです。
そういうおじさんたちは、いつまでたっても肉食系ですから、昨今流行のガツガツしない草食系男子を見ると、ある意味尊敬してしまうのです。
同級生の東君がフェースブックにアップした昭和52年ごろの喫茶店のメニュー。このお店は板橋本町だったかな。ストレートコーヒーが味わえるコーヒー専門店ですね。産地ごとの豆の解説がメニューに書かれています。
懐かしいなあ。
ちなみにこのころ高校生のアルバイト代はだいたい時給350円から400円ぐらいでした。
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