子どもの頃、勝浦のおばあちゃんは私の名前を呼ぶときにいつも間違えた。
私の顔を見て「ただし」って親父の名前を呼ぶ。
「ちがうよ」って答えると、「ああそうだったね、しげる。」と今度は親父の弟(おじさん)の名前。
「僕はあきらだよ」と言うと、おばあちゃんは笑いながら、「あきらもずいぶん大きくなったから、お父さんと間違えちゃうわ」と言う。
そんなもんかなあ、とその時は思った。
あれから40年!(キミマロ風に)
私は男の子が4人と女の子が1人、合計5人の父親。
娘はともかく、家の中で息子たちの名前がすんなり出てこない。
間違えて呼ぶと「違うよ」との返事。
「えーと、誰だっけ・・・???」
偉いのは大学3年の三男で、誰の名前を呼ぼうとも、自分のことだと気が付けば、きちんと答えてくれる。
そのフレキシブルさに感服するけど、それを良いことに、「もともとお前たちの名前は俺が付けたんだから、その俺が何と呼ぼうと俺の勝手だ!」 的な傲慢親父の自分がいることも確か。
あの頃勝浦のおばあちゃんは70歳代後半だったけど、今のあたしはまだ50代前半。
「おいねえな~」
草葉の陰からおばあちゃんがこっちを向いて笑っているような。
ちなみに私のおふくろは今年82歳。
7人の孫の名前は絶対に間違えない。
どうしてだろうか、と気にしても始まらないけど、名前どころか、それぞれの誕生日もきちんと記憶しているからすごい。
わが母親ながらあっぱれである。
その孫たちが、みんなで大挙して板橋のおばあちゃんちへ大集合のお正月。
アホな子供たちの狙いはおばあちゃんの作るごちそうとお年玉。
お前らなあ、そのお年玉の原資はどこから出てると思ってるんだ。
そう言いたい気持ちをぐっとこらえて、今年の正月は熱にうなされて寝正月。
夢の中で、たんぼ道を向こうからお坊さんが2人、こっちに向かって歩いてきた。
「和尚がツーだろ、下らねえ・・・」
目が覚めたら、息子の名前がさらに出てこなくなっていた。
でも、カミさんの名前だけは絶対に、どんなことがあっても間違えてはいけないのである。
世界平和のために。
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