峠を越える交通 その1

JR九州で「いさぶろう・しんぺい」という観光列車が肥薩線の峠越え区間をうまく商品化しているお話をしましたが、昔から、峠は交通の難所でした。
前回お話しした肥薩線の人吉―吉松間は、日本の鉄道を代表する峠越え区間で、わずか35キロメートルの距離にスイッチバック駅が2駅と、ループ線が存在する、昔の教科書に出てくるような典型的な鉄道山越え路線として有名です。
この区間は明治時代に鹿児島本線の一部として開通した区間で、熊本から鹿児島へ鉄道を延伸する際に、海岸線を走ると、敵(日露戦争当時ですから、この時代の敵はロシア)の艦隊がせめて来た時に標的にされてしまうことから、海岸線を避けて、わざわざ山越えが険しいこの地域に線路を敷いたようです。
鉄道輸送にはいろいろな目的があります。大きく分けると大都市間を結ぶ都市間輸送と、2~3駅間だけの地域輸送ですが、このような峠越えは、前者のような中、長距離輸送という点ではたいへんに貴重なルートでした。
つまり、肥薩線でいえば、鹿児島の人が熊本や福岡へ行く(またはその逆)ためには、なくてはならないルートだったのですが、近距離輸送的にみると、当時からあまり利用者はいないようでした。
昭和40年代前半まで、この区間には急勾配を越えるため、力持ちのD51(デゴイチ)が活躍していました。
坂がきついため、機関車1両では登り切れず、最後部に後押し用にもう1両機関車を連結して、2両のデゴイチが列車を引いて、押してしながら、急勾配を登っていたのですが、その編成を見ると、旅客列車としてはわずか客車が1両のみで、あとは貨車が長く続く、混合列車という形態だったことからも、近距離の輸送量はそれほど多くなかったのです。
昭和40年代前半といえば、まだ自家用車が普及する前の時代でしたが、その時代でも1両の客車で足りていたということは、峠越えの近距離輸送にはそれだけ乗る人がいなかったということ。
同じ区間を走る特急や急行は6~8両編成でしたから、都市間輸送のルートとしては重要だったことはわかりますが。
(普通列車は地域内の輸送、急行、特急は地域外を結ぶ輸送というのが当時の列車の役割でした。)
では、なぜ、峠を越える輸送がこれほど少ないかというと、それは昔から峠が立ちはだかって、文化圏が峠を境に南と北、東と西で完全に分かれているところが多かったからです。
極端な例を言えば、食生活や言葉なども峠を境に異なっていたのです。
だから、肥薩線の場合でも、峠の南にある鹿児島県の吉松の人たちは、隼人や都城、鹿児島市内が経済圏であり、北側の人吉の人たちは八代や熊本を向いているのです。
これと同じことが、いすみ鉄道沿線でも見ることができます。
いすみ鉄道の終点、上総中野は小湊鉄道との接続駅ですが、いすみ鉄道の列車はだいたい1時間に1本の割合であるのに対し、五井方面からの小湊鉄道の列車は平日は1日に4本、土曜休日は1日に6本しかありません。
小湊鉄道の上総中野の次の駅、養老渓谷までは、五井方面からもっと多くの列車がやってきていますが、養老渓谷まで来て、そのまま上総中野まで来ることなく、五井方面へ折り返す列車が多く、養老渓谷―上総中野間は、平日は1日4本の列車しか走らないのです。
これは、養老渓谷―上総中野間に峠が存在するためで、養老川は東京湾へそぐぐのに対し、夷隅川は太平洋へ向かっているのを見ても、そこに峠の存在がわかります。
そして、この峠をはさんで南と北では、近距離の物流や人の交流がほとんどないのが現状です。
つまり、地元の輸送を考える限り1日4本の列車で間に合う程度だということです。
この区間には、大多喜町と市原市の行政上の境目も存在しますから、例えば、役所に用事がある場合でも、上総中野の人は大多喜や勝浦、茂原へ向かいますし、養老渓谷駅付近の人は、牛久や五井へ行くことになります。
学校も行政単位で区切られていますから、通学の輸送もほとんどありませんので、文化圏が違うと言えましょう。
(養老渓谷の温泉街は市原市ではなく大多喜町にありますが、小湊鉄道の養老渓谷駅が所在するのは市原市ですから、注意が必要です。)
よく、お客様から、上総中野まで来る小湊鉄道の列車本数が少なくて不便だという声を聞きますが、地元の輸送という点では、1日4本の列車で間に合う程度の交通量しかないのが実情なのです。
ただし、観光客の輸送という点では、小湊鉄道もちゃんと考えていて、昨年のダイヤ改正から土日祝日には1日6本に本数を増やしました。
それでも6本か、という方もいらっしゃるかもしれませんが、列車本数50%アップですから、すごいことなのです。
あとは、考え方を変えて、東京からこんなに近いところで、こんな田舎が残っている、と思ってみてください。
房総横断鉄道の旅が、サバイバルゲームのように感じることができるはずです。
そういう不便さを体験できるいまどき貴重な横断ルートでもあるのです。
山の中の小駅で2つの鉄道がそれぞれ終着駅として出会う上総中野は、交通学的に見てもとても貴重な駅なのです。
(つづく)