お客様が「ありがとう」と言う商売

コンビニでお会計の時、お客の方が店員に向かって「ありがとう。」と言うことに対して、「恥ずかしい。」とか、「馬鹿なじゃねえの。」などという意見がたくさん出ているってネットに流れてきたのを見て、昔のことを思い出しました。

実は私もかつては全く同じで、「お金を払う方が偉いに決まってるんだから、向こうが『ありがとうございます。』と言って当然だろう。」と考えていたのです。

 

当時は「お客様は神様です。」などという言葉も流行っていましたから、その言葉を真に受けた頭の悪い人たちが、商売人はへりくだるものだという考えをまき散らしていたのかもしれませんし、学校へ行けば「士農工商」などと先生から教わるのですから、商売と言うのはさげすまれるものだと私も当然のように思っていました。

何しろ、商売人と言うのは、安いお金で仕入れて来たものを、自分たちの利ザヤを乗せて高いお金でお客様に販売するものですから、子供の頃の私にしてみたら、「商売人は嘘をついてお客様をだましている。」と、私は真剣にそう思っていましたし、「士農工商」を学校で習ったときには、「だから商売人はさげすまれて当然だ。」と思っていました。

考えてみると、教育って恐ろしいですね。

 

その頃、うちには世田谷に親戚がいて、魚屋さんをやっていました。

真中の交差点からほど近いところで、魚屋と寿司屋を一緒にやっていた今で言えばかなり画期的な商売をしていたお店で、そこの家のおやじさんはなかなか商才があったと思いますが、その親戚の家には子供がいなかったので、小学校の高学年になると、私は父から「お前、世田谷の店で手伝いをしておいで。」と言われました。

私は働くことには全く興味がありませんでしたが、板橋から世田谷まで合法的に(親の許しを得て)電車に乗れるチャンスですから、2つ返事でOKして、土日になると世田谷へ出かけていました。当時は新玉川線(現田園都市線)などありませんでしたから、渋谷の駅からバスに乗って出かけるのですが、何と言いますか、非日常感ですから、旅行気分で毎週出かけていました。

 

仕事は魚や寿司の出前。当時の世田谷はお屋敷町でしたから、そのお屋敷町の路地を縫うように自転車に乗って配達をするお仕事です。

例えば、近くには俳優の宝田明さんの家だったり、総理大臣の福田赳夫さんの家があったりするのですが、そういう方々がお客様なのです。

ある時、宝田明さんの家からお寿司の注文が入りました。私が自転車に乗ってお寿司を配達しに行くと、広い芝生の庭のあるうちでしたが、ステテコをはいたおじさんがその芝生で水をまいていました。私は「こんにちは。」と言ってそのおじさんにお寿司を渡してお店にもどりました。

おばさんが、「宝田明さん、いたかい?」と聞きますから、

「いなかったよ。」と答えました。するとおばさんは、「じゃあ、あんた誰にお寿司届けたの?」

私は、「ステテコはいて水をまいていたおじさんがいたので、その人に渡した。」と答えると、おばさんは大笑いをして、

「馬鹿だねえこの子は。その人が宝田明さんじゃないか。」

とまあ、当時の世田谷はこんな感じの地域でした。

 

またある時、大きなお屋敷のおうちから注文が入りました。

越智さんというおうちで、配達に行くと、やはりステテコをはいたおじさんが出てきて、私の顔を見て驚いていました。

「お前、小学生だろう? なんで働いているんだ?」
私がよほど貧乏人の子供に見えたんでしょうね。世田谷あたりじゃ当時から小学生は皆お受験でしょうから、小学生が働いているなんて考えられなかったんだと思います。

「親戚の家なんです。手伝いに来ています。」

私がそう答えると、そのおじさんは安心したのでしょう。ニッコリ笑って、

「そうか。そりゃ感心だなあ。がんばりなさい。」と言って、大きな手で頭を撫でてくれました。

そのおじさんと言うのは、あとで知ったのですが、のちに経済企画庁長官を務められた越智通雄さんでした。

 

そんな地域でしたが、お得意さんの一件から注文が入りましたので、私はいつものようにお寿司を届けに自転車に乗って向かいました。お屋敷のおばさんにお寿司を渡して、お金をもらって「ありがとうございました。」と言うと、そのおばさんも「ありがとうございました。」と言うのです。

私は不思議に思いました。そして、いつも配達に来て顔見知りになっているお得意さんだったからでしょうか。私はおばさんに向かって、

「おばさん、僕はお寿司を配達に来てお金をいただいたから『ありがとうございます』って言うんだけど、お金を払っているおばさんの方が、どうして『ありがとう』って言うんですか。」

と聞きました。

心の中では、商売は恥ずかしいものだと思っていたと思いますし、お寿司だっておじさんが築地で仕入れてくる魚はもっと安いはずで、わざわざ高いお金を払ってもらっているという引け目もあったのだと思います。

 

そうしたら、お屋敷のおばさんはニッコリ笑って、

「あのね、あなたのおうちがお寿司屋さんをやってくれているから、私たちがおいしいお寿司を食べられるのよ。あなたが寒い中こうしてお寿司を運んできてくれるから、私たちがおいしいお寿司を食べられるの。だから『ありがとう』なのよ。」

そう言われました。

そして、これ持って行きなさいと、みかんを3つか4つ持たせてくれました。

 

多分、今思えば、この瞬間に私の商売に対する考え方が180度方向転換したのだと思います。

何しろ、50年近く前の、小学校6年生だったころの、たったこれだけの数秒間のやり取りを今でも鮮明に覚えているほど、衝撃的な出来事だったのです。

 

私は、こうして得たアルバイト代をせっせと貯めて、蒸気機関車の写真を撮りにあちらこちらへ出かける軍資金にしていたのでありますが、その後は商学部に進み、「過疎地にだってお金はたくさん落ちている。」なんてことを今でも言っているのですから、その原点は世田谷のお屋敷町の長田さんという一軒のお屋敷の奥様が教えてくれたひと言の言葉なんですね。

 

これから、少子化、高齢化が進んでいくと、お客様がいなくなると同時に、働いてくれる人もいなくなります。お店そのものもなくなってしまうかもしれません。

そういう時代になっていくとすれば、「お客様は神様です。」などとふんぞり返っているような人たちは、いくらお金があっても商品を手に入れることはできなくなるかもしれません。

だから、早く「気づく」ことが大切なのではないでしょうか。

 

何しろ日本は「八百万(やおよろず)の神」の国ですから。

ありがたい神様ばかりじゃなくて、疫病神も貧乏神もいるのであります。

これからの時代は、お店がお客様を選ぶ時代になるかもしれませんよ。

 

だから、どんな時でも、感謝、感謝でいきましょう。