昨日に続いて今日もお茶の話。
テレビCMの「お~い、お茶」は皆さんご存じですね。
ペットボトルのお茶で有名な伊藤園のCMですが、伊藤園はもともと静岡の会社で、昨日お話した静岡県の東西お茶文化の分かれ道である牧之原で開発されたのが「お~い、お茶」の缶入り、ペットボトル入りのお茶とのことです。
気になって伊藤園のホームページを見ると、ペットボトルのお茶が発売されたのは1990年とのこと。
実は伊藤園という会社は、最初は緑茶ではなくて世界初として缶入りウーロン茶を開発したらしい。
それは1980年の出来事らしい。
1980年と言えばその時私は20歳で、缶入りウーロン茶というのが出たのは覚えています。
記憶だとバーや飲み屋さんなどの飲食店で初めて見たような気がしますが、静岡県の牧之原を拠点とした伊藤園が、緑茶ではなくてウーロン茶が世界初というのは何だか面白いですね。
昭和の人間から見ると、1970年代はお金を出して買うものと言えば甘いものというのが当たり前の時代で、今でも覚えていますが、1976年に特急列車の車内販売のアルバイトで上野発金沢行の特急「白山」に乗務した時に、長野から麦茶の缶詰を積み込んだんです。あと、妙高高原だったかな。折詰のざるそば。
それを持って車内を回ると、不思議なことに缶入りの麦茶が良く売れました。
昨日の話じゃないですが、お茶とか麦茶とか、食堂へ行けば基本的にタダで出てくる物じゃないですか。
高校生だった私は「どうしてこんなものをお金を出して買うのだろうか」不思議でなりませんでした。
なぜなら、お金を出して買うのもと言えば甘いもの、栄養価の高いものと決まっていましたからね。
砂糖がたっぷり入った清涼飲料水なら買いますけど、お茶とか麦茶とか、当時はお金を出して買う気にはなりませんでした。
唯一買うとすれば駅弁と一緒に売っているポリボトルのお茶ぐらいでした。あれは確か15円か20円ぐらいだったかな。
長野から積み込んだ缶入りの麦茶は50円でした。
好奇心旺盛な少年としては、1本買って帰って来て、「おい、こんなもの売ってたぞ。」と友達に自慢気に見せたことを思い出しますが、当時の長野といえばコカ・コーラ会社も試験的に商品を発売する場所で、例えばファンタレモンや、1リットルのボトル入りコーラやファンタなども長野だけで販売していた時代でした。
それが1976年ですから、時代の転換期だったのかもしれませんね。
甘いものだからお金を出して買っていた日本人が、無糖のお茶などをお金を出して買うようになったのが、この辺りだったのかもしれません。
そして1980年の缶入りウーロン茶の発売。
1990年の「お~い、お茶」のペットボトルの登場となるわけで、今では砂糖がたくさん入っている飲み物はだんだんと売れなくなってきていて、缶入りコーヒーもいつの間にかブラックが主流のようですから、時代の移り変わりを感じますが、この伊藤園という会社は時代の流れを掴むのが上手なようで、最近はこんなボトルが出ているのです。




すごくないですか?
大谷君ですよ。
しかも、投げる、打つ、走るの3本セット。
契約料一体いくら払っているのだろうと、老婆心ながら心配になりますが、実は今、アメリカは抹茶ブームですから、きちんと時代の流れを捉えているということになりますね。
静岡県の出身の人はあまりビジネスでは大成しないと言われているようですが、こういう先を見る力というのはやろうったってそう簡単にできるものではありませんから、よく観察してみるといろいろなところにヒントが隠されているのではないかと、地元として大変興味深いのであります。
世の中には過去の延長線上に未来がある仕事と、過去の延長線上に未来がない仕事があって、鉄道会社などは今の時代完全に斜陽産業ですから、たとえ大手と言えども過去の延長線上に未来は見えないというのが常識になっています。
そういう時に何が大切かと言えば、手探りで未来を作り出していく能力が問われるわけで、そういう鉄道会社を預からせていただいている身としては、銀行がお金を貸してくれなかったとしても、「そりゃそうだよね、銀行という商売は過去の延長線上に未来を見る商売だからね。」と開き直らなければなりません。
そういう時に、業界を開拓してきた伊藤園のような会社がどういう商品を出してきているのかということは、同じ地元としてとても勉強させられるのであります。
静岡県はお茶の生産量日本一の座を鹿児島に奪われて、数十年ぶりに第2位に陥落したようですが、何やってるんでしょうね。
今の時代、昨日と同じ明日は来ないのでありますから、昨日と同じことをやっているだけではどんどん追い抜かれるのであります。
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