今日、友人の訃報が届きました。
年齢は私より1つ上の65歳。
国鉄からJR、40年以上にわたり勤め上げた方で、車掌一筋の鉄道マンです。
体調を崩して、あまり良くないという話は聞いていたのですが、残念です。
松葉さんと言ってもご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、あのボンネットバスの車掌さんと言えばおわかりになる方も多いと思います。
去年、直江津にボンネットバスを持ってきてくれて、高田の町中を走って、地元の皆様に体験乗車をしていただいた時の車掌さんです。
私とはもう10年以上のお付き合いで、昭和の古い自動車を集合させてくれて、イベントなどで盛り上げていただきました。(前列左から2人目が松葉さん。後ろの黄色いジャンバーが私です。)
松葉さんは車掌一筋の人生で、昭和62年3月31日の国鉄最終日の特別列車にも乗務されています。
当日マイテに乗務する松葉さんと乗務手帳。(松葉さんのFacebookページから)
「旅立ちJR号」という列車だったようです。
松葉さんも、今日、旅立たれてしまいました。
▼彼の最後のSNSの投稿です。
人生の終着駅
人生いろいろ・・・
私の人生の運転は恵まれていたなぁ
たくさんのお友達
夢が幾つもかなった趣味、仕事。
そして将来を託せる仲間。
人生の終着駅が見えて来て
ふりかえると、みんな良い思い出。
さて、そろそろ到着放送のオルゴールのスイッチのボタンを押さなくては。
『第二閉塞注意』(くらいかな)
(走り書きのため、動画や画像で演出できなくてチト残念)
2024-11-17 19:25
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松葉さんは私より一つ上なので、高校受験が終わった年が日本のSL最後の年。
いろいろ行けたんだと話してたことが思い出されます。
その時私は中3でしたから、旅行ができないまま高校に入ったらSLがなくなっていましたから、この1歳の年の差は大きいんです。
会うたびにそんな話をしたことを思い出します。
もっといろいろ話したかったなあ。
彼はこのブログの愛読者なので、今頃、「俺、ブログに出たぜ」と言っているかもしれません。
本当に残念です。
ひと月ほど前に書いた私のブログをFacebookでシェアしてくれていました。
「私もそう思う」とコメントしてくれて。
きっと、その時はもう終着駅が見えていたのでしょう。
ありがとう、松葉さん。
また、いつか会いましょう。
そして昭和の鉄道の話をたくさんしましょうね。
合掌
死亡率100パーセントの人生 | 大井川鐵道社長 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
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