今日はクリスマスですね。
百貨店の通販で冷凍のケーキを申し込んでいたら、届いたケーキがぐちゃぐちゃに崩れていた。
そんな悲しいニュースが全国を駆け巡っています。
せっかく楽しみにしていたケーキ。
「わ~い、クリスマスだ!」
みんなでテーブルを囲んでケーキを切ろうとして箱を開けたら、ぐちゃぐちゃじゃあさぞかしがっかりするでしょう。
全国で500個以上だとか。
埼玉から出荷されたケーキのようですが、崩れて届いたケーキの場所を調べていけば、輸送途中だとしたらどこの場所で原因となることがあったのか?
あるいは、全国バラバラだとすれば、製造したところから出荷するまでの間なのか、すぐに原因はわかると思いますが、いずれにしても罪作りな「事件」ですね。
実は私はケーキが大好物で、最近でこそあまり食べなくなりましたが、ケーキには目がない。
その理由はたった一つ。
昭和39年にある出来事があったからです。
東京オリンピックの年、昭和39年。
私は千葉県の木更津に住んでいました。
房総西線(内房線)の巌根の駅から歩いて10分ぐらいのところ。
高柳という集落です。
あるとき、たぶんクリスマスだったと思いますが、板橋から伯父さんが訪ねて来てくれました。
その時、大きなケーキの箱を下げて来てくれたんです。
巌根にはケーキ屋さんなど気の利いたところはありませんでしたから、伯父さんはいったん木更津まで行き、ケーキを買って来てくれたんです。
当時としてはとても珍しかったホールのデコレーションケーキ。
スポンジに塗ったチョコレートの上にバラの花の形をしたクリームが載っているバタークリームのケーキです。
伯父さんが帰った後、みんなで食べましょうということになりました。
田舎のことですから、お袋さんが隣近所の子供たちにも声を掛けました。
「ケーキ食べるからみんなおいで」と。
そして箱から取り出したケーキ。
子供たちの目の前で包丁を入れようとしたら変な音がするんです。
異音感知!
ゴリゴリゴリ。
包丁が入らないんですよ。
子供たちはみんな「?????」
実は、そのケーキは見本のケーキだったんです。
ケーキ屋さんのショウケースの中に入っていたサンプルのケーキ。
段ボールの型にチョコレートを塗って、バタークリームのデコレーションをしてある見本のケーキを、店員さんが間違えて箱に入れて包んで売ってしまったのです。
子供たちはがっかりですよね。
なんとも罪作りなケーキ屋さんです。
お袋さんは仕方がないのでデコレーションに飾ってあるバラの花の形をしたバタークリームをスプーンですくって子供たちに食べさせたと、ずっと後になってその話になった時に言ってました。
翌日、私はお袋さんと一緒にバスに乗って木更津の商店街へ行って、ケーキの箱に書いてあったお店に行きました。
ちゃんとしたケーキに取り換えてもらおうということです。
クリームの部分はみんな子供たちが舐めてしまったボール紙の型を持って。
そうしたらこともあろうに、同じタイプのケーキが売り切れでなくなってしまっていたんです。
同じタイプだけではありません。
ケーキそのものが無い。
昭和30年代の地方都市では、ケーキなどと言うものはそれだけ珍しくて貴重なものだったんですね。
そして代わりに渡されたのがロシアケーキ。
皆さんご存じですか?
硬いビスケットの真ん中に、これまた固いジャムが載っているロシアケーキ。
デコレーションケーキとは似ても似つかぬものです。
その時のがっかりしたことといったら、ありませんよ。
何しろ60年がたった今でもはっきりとその時の情景と気持ちを思い出すのですから。
2日間に渡って2度もがっかりしたのです。
それ以来、私はケーキというものは絶対に残さない。出されたらきちんと食べる。
お饅頭とケーキ、どちらがいいかと聞かれたら、必ず「ケーキ!」という人間になりました。
だから、今回の百貨店の宅配ケーキの話も、誰が原因かはともかくとして、ずいぶん罪作りなことをしたなあと思うのであります。
ということで、今夜の私はケーキじゃなくてプリンアラモード。
ケーキって、一人暮らしの爺さんが1個買えるものでもありません。
コンビニでもスーパーでもケーキは2個入りで売っていますが、これなら買えますからね。
ていうか、板橋の伯父さんが訪ねて来てくれた時、帰りに巌根の駅までお見送りしたんですよ。
そうしたらその時来た列車がディーゼルカーの編成なんですけど、先頭車がキハ35の900番台。
地下鉄みたいにピカピカのディーゼルカー。
当時の千葉の汽車は蒸気機関車が煙をモクモク吐いているのがいつもの姿でしたから、ピカピカに輝くステンレスの「電車」には感動しましたね。
これもずっと後になってから知ったんですが、そのピカピカに輝く「電車」は、国鉄が鉄道車両に対する塩害調査のために千葉に試験的に配置した試作車で、房総各線が電化された後は大宮と八王子に配属されて、川越線と八高線で活躍しましたので、板橋からは身近な路線で良く乗りに行った思い出の車両になりました。
ということで、皆さん、小さな子供だからといって甘く見てはいけませんよ。
「三つ子の魂百まで」というじゃありませんか。
後々まで語り継がれますからね。
でも、おかげさまで私は今でもケーキとディーゼルカーが大好きなのですから、間違えて見本をくれたケーキ屋の店員さんに秘かに感謝しております。
メリークリスマス!
世界中の皆様が幸せになれますように。
▲昨日のクリスマスイブに食べたケーキ。
鮟鱇パーティーのデザートでした。
▲ステンレス気動車 キハ35‐900(KATOのカタログより)
横川に保存されているんですよね。
今度会いに行こうかな。
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