リンゴの思い出

昨日3月15日に仕事を終わって家に帰ったら郵便受けに封書が入っていました。

差出人は青森県の事務所。
ふと消印を見ると3月8日となっていました。

ほう、青森の五所川原から1週間もかかったのか。

そう思ってFacebookに投稿したら、たくさんの反響がありまして、コメントをいただいた方の多くは「最近の郵便局は普通郵便は儲からないと見えてやる気がない。速達にしないとちゃんと着かない。」というような内容でした。

確かによく郵便局で言われますね。
「急がれるのでしたら速達をお勧めします。」って。

でも、それは差出人の意志でありますから、受け取った私としては別に腹が立つわけでもなく、「あぁ、この郵便物は急がないのね。」と思って、そのままテーブルの上にポンと置いたのですが、考えてみたらこの郵便物は一週間も足踏みしていたのですから、なんだか不憫に思いまして、開封してみたらやっぱり急がない内容のものでした。(笑)

でもって、私としては、郵便のシステムには興味はありますが、自分が出す場合は急ぎなら速達で出しますし、ついでに先方にメールを入れることにしています。
急がないのなら普通郵便で構わないと思いますし、だとしたら何日かかろうがそれは自分の選択の結果ですから別にあれこれ言う必要もないのですが、年を取ってくるとこういう時にふと走馬灯のように子供の頃のことを思い出すのです。
何の脈略もなく。

で、何を思い出したのかと言うと国鉄の荷物のこと。

秋田の知り合いがリンゴを送ってくれたんです。
昭和40年代の話ですよ。

羽後矢島の駅から国鉄の荷物だったか貨物だったか。
そして、「駅留めでリンゴを送りました。」というはがきが来たんです。

で、父親に達筆な文字で書かれたそのはがきを見せると、「まだだな。」って言うんです。

「まだ着かないよ。」って。

秋田から「送ったよ」ってはがきを出して、それが板橋の家に着くのに三日ぐらいかかったと思いますよ。
でもりんごはまだ着かない。

で、私は次の日に板橋駅に行ったんです。
送り状の番号とか、そんなのないですよ。
検索するシステムなんてのもありません。

荷物は縄でしっかりと縛って、荷札は2か所以上という時代ですから。

もしリンゴか来ていたら載せて帰ろうと自転車で行って、駅員さんに聞いたんです。

「板橋2丁目の鳥塚と言いますけど、秋田からリンゴが来るはずなんですけど。」

そうしたら駅員さんは「ちょっと待ってね」奥へ行って戻ってくると、「まだ来てない」ってぶっきらぼうに。

「いつ来ますか?」

そんなのわかるわけないだろう!
って感じの対応ですよ。
こっちはガキだしね。

でもってとぼとぼ帰って来て、そこから先の記憶がない。
リンゴがどうやって家に届いたのか。
いや、ちゃんと届いたのか届かなかったのかという記憶もないけど、板橋駅へ取りに行って駅員さんに塩対応されたことは覚えてる。

別の時ですけど、太海の親戚に荷物を送るということになりました。
向こうにいとこが居たんで私の父親がチョコレートをクリスマスに送ってあげようということで、両国駅まで荷物を出しに行ってくれないかというのです。
(当時の太海には満足にチョコレートもなかったのか、と思わないでくださいね。送ったのは金色のコインチョコレート。さすがにそういうものはなかったのです。)

チョコレートだから大して大きな包みでもないので、電車に乗れるうれしさもあって、私は二つ返事で引き受けた。
「両国駅に上総通運という運送屋さんがあるの知ってるか?」
と言うので、
「うん、駅の横の電車から見えるところでしょう?」
「そうだ。そこへ行って出してくれ。」

ということで翌日私は両国駅に向かいました。
地下鉄で巣鴨へ出て、山手線で秋葉原。途中で上野によって汽車を見たかどうかは記憶にないけど、総武線に乗り換えて両国に着いて、改札口を出てすぐ横にある運送屋さんの事務所へ行って、鴨川市岡波太(おかなぶと)と住所を書いてきちんと出しました。

ところが夜父親が帰って来て、送り状の控えを見せるといきなり怒られた。

「違うだろう!」って?

私はなにがなんだかわからずに、「ちゃんと両国駅の日通から出したよ。」って言ったら、「日通じゃない! 上総通運って言ったろ!」

私は「????」

ずっと後になってわかったけど、上総通運っていうのは千葉を営業範囲とする日通の別会社のような組織で、トラックで荷物を持って行くから翌日着く。
ところが日通は貨物列車に乗せるから両国から千葉県鴨川市でも数日かかるらしい。

だからわざわざ両国まで行かせて、上総通運から出すように言われたのですが、〇通のマークは同じような感じだし、駅の横にあるし、ガキにはそんなことわからないし、まぁ、世の中はそういうシステムになっているんだということだけはなんとなく理解した。

数日後、仕事から帰ってきた父親が「荷物ちゃんと着いたって言ってるから安心しろ。」
と言ってくれて、なんだか肩の荷が下りたのであります。

というのが昭和40年代の日本の物流だったわけであります。

その後、国鉄の家庭向けの荷物は誰も相手にしなくなったのはご承知の通りで、昭和50年代には民間の宅配が主流になり、30~40年後にはネット販売でこれだけ物流が多くなりましたけど、国鉄、いや、鉄道が荷物輸送をやっていたらネット販売もここまで発達しなかったろうと思うわけでして、確かに宅配便は貨物列車で運んではいるものの、受付と配達は鉄道会社ではないのできめ細かなサービスができているというのは紛れもない事実だと思います。

そう考えると、北日本から四国や九州に貨物を運ぶとなると、当時は普通に1週間、あるいはそれ以上かかっていたと思われるわけで、リンゴ関連で思い出したことは四国出身の元同僚が、リンゴがシャキシャキするのがキライだと言ってたこと。

リンゴを食べてシャキシャキすると「ザワッとする。」と言って嫌がってた。
私はリンゴというのはシャキシャキするものだと思っていて、あのちょっとフカッとした感じのざらついたリンゴは好きじゃないんですけど、その子にしてみたらフカッとするあの食感こそがリンゴだという。
考えてみたらリンゴって時間が経つとシャキシャキ感がなくなってフカッとしてきますよね。

もしかして四国の人の口にリンゴがいきわたるまで1週間10日かかっている間にリンゴは熟れてフカフカになっていて、四国や九州の人は、そういうリンゴが当たり前だと思っているのかもしれませんね。

新潟でフカフカのリンゴってどうよ?
って聞いたら、「ボケたやつでしょ。食べられない。」って。

こちらではボケリンゴと言うらしい。

やっぱり、リンゴはシャキシャキしてないと食べたくありませんが、秋田から送ってきたあのリンゴはどうだったのかなあ。

と、遠い目で昭和の頃のリンゴの味を思い出す一人暮らしの62才であります。

同じ時代を過ごされた方ならご記憶にあると思いますが、町中のあちらこちらにこんなリンゴのお姉さんのポスターが貼ってあった時代のお話しでした。

ほら、思い出したでしょう?

(ちょっと刺激が強すぎるかな。春だし、たまには良いだろう。)

※ちなみに封筒に書かれている郵便番号は942となっていますが、私のところは943。
隣町に行っちゃったのかもね。
だから時間がかかったと思いたいですが、そういう時は今までは「番号違い」ってハンコが押してあったと思うんだけど、省力化かな。
つまり、普通郵便ってそういうもんだと思いなさいってことね。

各駅停車のようなものでしょうから。