子供の頃、東京で育った少年としては原っぱや山や川で遊んだ思い出など全くありません。
商店街が遊び場でした。
そんな時にいつも通っている商店街の模型屋さんが電車の模型を発売しました。
私の大好きなチョコレート色した電車です。
いつも見に行っては何十分もショーケースの中の模型を眺めているだけの私。
その模型屋は兄弟でやっていて、お兄さんの方が2階でレストラン
弟が1階で模型屋。
レストランには鉄道模型が走ってる。
商店街にはちょっとふさわしくないようなお店でした。
いつもいつも眺めに来ている私に、模型屋のおじさんは「買わないんなら帰れよ!」とたぶん心の中では思ってたんだろうけど、ニコニコして、電車の話をしてくれました。
その話が「ゼンキンシャ」。
私が茶色い電車が好きだというと、「うちで発売したんだ。」と言ってゼンキンシャのキットを見せてくれました。
たぶん300円ぐらいだったと思います。
それに台車が1組250円ぐらいだったかな。
1か月の小遣いが1000円(1日換算で30円)の身にはとても手が出ない。
そのゼンキンシャというのは、いろいろと改造ができて、こんなものも作れるんだと言って正面の顔を取り換えると全く違う電車になりました。
それがこの小田急の電車です。
72・73系のチョコレート電車というのは、東京育ちの少年にとってみたらふるさとの電車です。
山手線はさすがにカナリヤやウグイスになっていましたが、赤羽線も京浜東北も常磐線も総武線もみんなチョコレート電車だった時代。
私は電車に乗る時は編成をよく見てゼンキンシャを探して乗るようにしていました。
なぜならゼンキンシャはかっこよかったからです。
チョコレート色の旧型国電は、窓の上下にシル・ヘッダーと呼ばれる補強の板が渡してあって車体側面がゴツゴツしているし、車内は板の床で油の匂いがして、天井は白熱灯で暗い感じ。でも、ゼンキンシャは車体はツルツルで光っていて、車内が薄緑色の化粧板だし電気も蛍光灯。だからカッコよく見えたんですね。
で、模型屋のおじさんに教えてもらったのは、ゼンキンシャとは「全金車」のことで、それまでの木造電車が、車体全体を金属製で作った初めての車両で、チョコレート色の73系電車の中でも番号で特別に分けられている920番代車だということ。
そして、小田急も西武も東武も、昔は国鉄の払い下げの車両を使っていたから、国鉄電車の車体の顔だけを変えれば小田急の電車になるんだということ。
でも、そんな工作はガキにはできるわけないから、ショーケースの中にある完成した小田急のこの電車をじっと眺めているだけだったんです。
その模型屋さんにはキャッチコピーがあって、「作る楽しみいっぱい。」って書いてありました。
「完成品を買って来て並べて走らせているだけじゃダメなんだよ。自分で作らなきゃ。」
おじさんはいつもそう言ってました。
ずっと後になって、結婚して子供ができて、一生懸命電車を仕込んでね。
当然のように親子して「鉄」。
そのころ模型屋のおじさん、銀座で模型展をやり始めた。
大手がデパートの催事場を借りて大々的に鉄道模型ショーをやっているときに、おじさんはすぐ並びの文房具屋さんのビルの上の階に陣取って模型展を始めた。
顔を出してみると私のことを覚えていたらしく、「おぅ、まだやってるのか?」ってのが挨拶。
そりゃ、やってますよ。
でもね、ご覧の通りの妻子持ち。
悪いけど、おじさん、相変わらず私はまだ模型買えません。
だから見るだけ。
子供も一緒に目を輝かせて見てる。
30分も1時間もずっと見てる。
私だけじゃなくて子供も。
カミさんの顔を見ると、「しょうがないわねえ。」という表情。
だから、思い切って買ったんです。
京成の3500。
4両編成。
もちろんキットですよ。
箱に入って1500円ぐらいだったかな。
そのころから模型は「万」のお金の代物だったけど、こちとらお金がないから1500円。
おじさん、「おぅ、ありがとうな。」
うちへ帰って、一生懸命キットを組み立てて、塗装もして、京成の3500が完成。
子供も大喜び。
だけど、「絶対に触るなよ。お前のおもちゃじゃないんだからな。」と私。
書棚に飾っておいた。
ある時家へ帰ると、子供が「ガタンガタン、ガタンガタン」って電車の声を出して遊んでる。
手には私の3500。
畳の上で、ズズズ・・・
一瞬で崩壊。
接着剤で止めた側面と正面がバリバリとはがれて。
カミさん、私に「怒っちゃだめよ。」と目くばせ。
しょうがないよね。
触りたいもんね。
見るだけじゃなくて、触りたいもんね。
じっと我慢の私。
その息子ももう40。
今でも電車好き。
この前、トキ鉄に来て、455を見て、「これって、上野駅に見に行ったやつでしょ。」と言ってた。
おぉ、覚えてるか。
あの時私が怒ってたら、もしかしたら電車好きじゃなくなってたかもしれないし、あの時模型屋のおじさんが、「買わないんなら帰れ。」って言ってたとしたら、私も電車がキライになってたかもしれない。
東京の城北地区に育った小学生としては、小田急線って縁がないんです。
だから、この電車も乗った記憶がない。
もしかしたら乗ったかもしれないとは思うけど、記憶にない。
でも、そんな私でも、模型屋のおじさんのおかげで、この電車が懐かしいんです。
あれから半世紀近くが経って、そんな私が今、一分の一の模型をやれる立場になったんだから、「乗らないんだったら帰れ。」って言えないんです。
言えるわけありませんよね。
見るだけでも、写真撮るだけでも、あるいは、遠くから思いを馳せてくれるだけでもいいから、電車を楽しんでもらいたい。
大手に対抗して銀座の文房具屋で模型展を開いていたおじさん。
「おぅ、まだやってるのか。」って言われて1500円のキットをやっと買ったのが、おじさんに会った最後です。
おじさんはやり手だったんでしょう。
模型屋さんもずいぶん大きくなって、お店にも出てこなくなったし、私も東京を離れていく年月。
今、おじさんに会ったら、おじさんなんて言うんだろうかな。
「おぅ、まだやってるのか?」
「はい、まだ、電車、やってます!」
私は胸を張ってそう言います。
おじさんが、ガキに向かって「買わないんだったら帰れ!」って言わないで温かく接してくれたから、私は今でも電車が好きでいられるんです。
東武の電車が走る町。
踏切を渡って長い商店街を歩いていくと、角を曲がったところにその模型屋さんがありました。
50年も前の私のふるさとのお話しです。
▼小田急の電車の保存に向けたクラファンです。ご興味がある方、どうぞ。私は2番目の支援者になることができました。
https://readyfor.jp/projects/tc1851
「全金車」って検索したら出てきたおじさんの会社。
https://www.greenmax.co.jp/gm-product/951.html
おじさん、やり手だよね。
ここまで会社を大きくしたのってすごいよね。
そしてもう50年も続いてるんだから。
でも、おじさん、ごめんなさい。
私はもう模型できません。
目も見えなくなってきたし、指も動かない。
だけど、おじさんのおかげで頭の中では今も全金車が走ってるんですよ。
私の大好きな全金車。
皆さん、
当局マイッタカってこの写真、
全金車だって、知ってた?
大好きな全金車にこんな落書きしてくれちゃって。
私はこういうことをするような大人にはならないと心に決めて、シャッターを切った鉄道百年の年の春でした。
おじさん、夢を与えてくれてありがとう。
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