夜行くずれって何ですか?

昨日のこのブログで8月に企画している夜行列車のお話しをしました。
その中で今年の夜行は「夜行崩れ」で運転しますと申し上げましたが、その「夜行崩れ」とは、おじさんからお爺さんに差し掛かっている身としてはふつうの日本語なのですが、世の中の大多数を占める活動期の皆様方にしてみたら、「夜行崩れ???」となるのではないかと思います。

ためしに「夜行崩れ」を検索してみると「夜行バスに乗った翌朝に髪型が崩れる」とか出てきまして、鉄道の夜行列車の話は全く出てきません。

そんな時代に、皆様方に「一番有名だったのは北海道の『大雪崩れ』でしたね」などと言ったところで、「大きな雪崩でもあったんですか?」となるのがせいぜいで、なんだかわからない人たちにいくら宣伝したところでそんな夜行列車には乗っていただけないのではと反省しまして、今夜は「夜行崩れ」のおさらいをしてみたいと思います。

「崩れ」と書くと本当に雪崩や土砂崩れがあったように思われるかもしれませんので、「くずれ」とひらがなにしておきます。

さて、一番有名だったのが今も申し上げました「大雪くずれ」ですが、それは札幌発石北本線経由網走行の夜行急行列車「大雪(たいせつ)5号」のお話しでありまして、「おおゆき」ではありませんのでお間違いのないように。


今から44年前の1978年の時刻表を紐解いてみましょう。
札幌を22:15に出た517列車、急行「大雪5号」は北見に5:53に到着します。注目はここからで、北見から終着の網走までは1572列車となって、普通列車としてそのまま走ります。
北見6:16発、網走7:52着
その後の普通列車は北見8:02発ですから、この急行「大雪5号」から変わった普通列車は北見-網走間の始発列車として通勤通学の足となっていたことがわかります。
これがいわゆる「くずれ」というやつで、急行列車は別途料金がかかる優等列車ですが、それが末端区間へ行くと料金不要の普通列車になる。つまり、優等列車から格下げされて風格がなくなるということから「くずれ」と表現されていたのです。

普通列車ですから、当然通勤通学のお客様も乗ってくるわけで、札幌から一晩かけて長距離を乗ってきたお客様の車両に明け方ドヤドヤと学生さんたちが乗ってくるという光景は、夜行のお客様にとっては迷惑な話でしょうが、夜行のお客様も終点の網走まで全員が乗られるわけではなく、明け方の遠軽や留辺蘂、北見、そして美幌などでおそらく半数以上の方が下車されていたのだろうと思いますから、そんなガラガラの列車を走らせるぐらいなら、末端部分は普通列車に格下げして通勤通学客を乗せる方が効率的で、列車の節約にもなるというのが当時の国鉄の考え方だったと思います。

その証拠にこういういわゆる「夜行くずれ」と呼ばれる列車は全国的に走っていまして、44年前の時刻表から抜粋してみても数本出てきます。

先日会津若松は夜行列車で行くところだったと申し上げましたが、その夜行列車の1本が上野を23:55に出る「ばんだい6号」「あずま2号」。
途中の郡山まで併結運転で、郡山で会津若松行の「ばんだい6号」を切り離した仙台行の「あずま2号」は福島から仙台までは普通列車に格下げされて運転されています。これも「夜行くずれ」ですが、この列車こそ今トキ鉄で走っている455で運転されていました。


名古屋を23:58に出る急行「紀州5号」は早朝の新宮から紀伊勝浦までは普通列車に格下げされていますが、これも「夜行くずれ」ですね。
その隣、熊野市発の急行「きのくに2号」は始発駅の熊野市から新宮まで普通列車として運転して、新宮から急行列車となっていますが、これは「くずれ」とは逆ですね。この2つの列車で熊野市-新宮-紀伊勝浦間の始発列車を兼ねていたことがわかります。


四国でもありました。
高松を0:30に出る宇和島行の急行「うわじま1号」が八幡浜から先がくずれています。


九州に目を転じてみると、日豊本線にありました。
門司港を22:20に出る急行「日南4号」が宮崎から普通列車となってくずれています。
宮崎-都城間の始発列車となっているのですが、そのまま4時間近く走って西鹿児島(現鹿児島中央)まで行くのですから、かなり長い時間くずれっぱなしということになりますね。
この「日南4号」はB寝台車と指定席車を連結する編成でしたが、それらは宮崎で切り離されて、自由席の部分だけが西鹿児島まで向かっていたようです。

さて、我が地元、信越本線を見てみましょう。
ありましたね。それも2本。

上野を23:58に出る急行「妙高5号」が4:59に長野に到着するとそのまま普通列車となって直江津まで走っています。
この列車は今、新井や高田、直江津に住んでいるおじさん、おばさんたちも乗られたことがあると思いますよ。
寝台車が連結された編成のまま普通列車となって直江津までくずれて来ていますが、普通列車として乗車できるのは自由席の部分ですから、寝台車のお客様の安眠を妨げられることはなかったはずです。

そのお隣が名古屋からの夜行急行「きそ6号」。
こちらも寝台車を連結した編成ですが、5:32に長野について20分ほど停車する間に寝台車は切り離されて、普通車自由席だけの編成で夜行くずれとして直江津まで向かっていました。

このように今トキめき鉄道になっているかつての信越本線にも夜行くずれの列車が走っていたということを、トキ鉄の営業の若手スタッフが古い時刻表から見つけまして、「社長! これすごいですね!」となったのが今回の観光急行の夜行列車の夜行くずれの部分でありまして、直江津-妙高高原間の定期の始発列車を兼ねるという点で、まさしく昭和の再現そのものなのであります。

ということで、「くずれ」の部分は定期の普通列車ですから、予約なしでも乗れるだろうと渋ちん連中はすぐに気が付くと思いますが、まったくその通りでありまして、8月の夜行列車運転日の翌朝は、はねうまラインの始発列車1往復は455・413の編成で走るのであります。
妙高高原5:54着、折り返し6:00発ですから、うまくすれば早朝の妙高山をバックに今までにないカットが撮れるかもしれませんし、長野方面からも乗り継ぐことができるのであります。

まぁ、こういう早朝の列車を走らせる真意としては、前の晩から地元に泊まってもらいたいという思いなのでありますが、渋ちん連中は車の中で寝るんだろうな。

それでもいいけど、お客様や地域の人に迷惑だけはかけないようにお願いしたいと思います。

昨今は夜行列車ブームでありますが、トキ鉄の夜行列車はきちんとストーリーを構成する奥が深い商品なのであります。

(社内でここまで理解している管理職が何人いるかと言われるとはなはだ疑問符が付くのでありますが、今を時めくトキ鉄の時消費の体験型商品というのは、そういうことがわからないと作ることができないということでありまして、少なくとも社長と運輸部長と営業部長はわかっているということですから、皆様どうぞご安心してお申し込みください。8月6日、13日は私も途中まで対応させていただきます。)