1日2000人未満ということについて

先日、国の偉い人から「輸送密度2000人未満の路線を廃止したい」とJRが言っていることについて、どう思うかと聞かれました。

こういう数字を出すことによって、この国では数字が一人歩きする傾向が強くあります。
日本人は勉強熱心な国民で、中学を卒業した人のほとんどすべてが高校へ進学するという国ですから、数字を見るといろいろな角度から分析したくなるのでしょう。
特に鉄道会社の経営となると、小さな会社すら経営した経験も無いような人たちまでもが、我が意を得たりとばかりにPLだとかBSだとかいう話を得意になってしはじめて、「経営が悪い。」「俺だったらこうする。」とか言い始めるおもしろい国ですから、1日2000人未満は廃止したいなどと具体的な数字をあげると、1500人のところはダメなのかとか、3000人なら安心だとかから始まって、そもそも輸送密度とは何かというような議論に終始するわけで、多分国の偉い人たちはそういう数字の一人歩きがまねく悲劇というのを危惧しているのではないかと思うのであります。

とは言え、自分がお爺さんになってみるとわかるのですが、国の偉い人といっても今バリバリに活躍している人たちは40代から50代にかけての方々ですから、つまりは皆さん年下の人たちで、そういう人たちは国鉄時代の経緯を含めての変化を歴史として勉強してきただけですから、その時代を身をもって体験した私の世代としては、当時の国内の空気や時代が醸し出していた雰囲気も含めて、かつて、親父やお袋の年代の人たちから耳にタコができるぐらい「戦争はやってはいけない。」と聞かされたように、「鉄道は廃止にしてはいけない。」ということを伝えていかなければならないのが使命ではないかと考えるのであります。

さて、そもそも論として恐縮ですが、JRという会社は国鉄の赤字を解消するために民営化された会社です。
分割された地域ごとに特性がありますから、どうしたら赤字にならないで済むのか、それぞれの地域特性によって異なりますが、大きく2つに分けられました。

東日本、東海、西日本の3社に関しては大都市圏の大きな人口がありますから、その輸送に加え、各新幹線とエキナカなどに使える広大な土地を所有させることで、そこから上がる利益で田舎の路線まで維持管理できるというお約束です。

これに対して北海道、四国、九州は期待できるほどの大都市圏の輸送がなく、当時は新幹線もありませんでしたから経営が成り立つ要素がない。そういうところには国が大きなお金を持たせて、基金として運用していくことで赤字を解消して将来的に会社を維持できるだろうという計画です。

こういう方針でJRという会社が誕生したのですが、民営化から35年が経過して、本州3社は国の目論見通り経営が成り立っていますが、島会社と呼ばれた3社はなかなか厳しい状況にあるというのが昨今のJR北海道の問題に表れているのです。

さて、新幹線とエキナカ、あるいは昔の国鉄の敷地にホテルやマンションなどを建設するといったビジネスで経営が順調に行っている本州の3社は、当然のことのように「私たちは民間会社ですから、儲かるところに資本を投下しますが、儲からないところにはお金を掛けません。」と言いだしまして、その延長線として今回のコロナで痛手を受けたので「儲からないところはこの際ですからやめさせていただきたい。」というのが、先日JR西日本の社長が具体的な数字「1日2000人未満」という会見なのであります。

これに対して、国としては、まず、そもそも論として「何のためにエキナカや新幹線などを渡したのか。」というところがあるわけですが、JRという会社は上場企業になってしまった今となっては、そんなことは関係ないと言わんばかり。第一、JRになってから入社した人たちが幹部になっている時代ですから、会社としては当然のように株主の方を向いて良い顔をするのが会社の使命だという変な企業理念を振りかざすようになってしまいまして、これが今、岸田総理が口を酸っぱくして言っている「競争原理を重視する新自由主義の下、公平な分配が行われずに格差拡大を招いたので、それを改革し『成長と分配の好循環』を通じた分厚い中間層の復活を目指す。」ことだと私は理解しています。

話を2000人に戻しましょう。
輸送密度1日2000人未満の路線は廃止させていただきたいというのはJRの本音です。
そんなところは俺たちがやるところではないということを社長が本社の建物の中から平気で言っているのでありますが、私はそれが問題だと思います。

確かに国鉄からJRになるにあたって廃止対象とされた路線は1日4000人というハードルがありました。
このハードルを越えられれば残るし、このハードルを越えられなければバス転換。
こういう線引きで議論された経緯を見ると、1日2000人というのは当時の半分ですから、数字だけを見れば「廃止もやむなし。」と言うのが都市部に住んでいる大多数の国民にしっくりくると思います。

では、今から35年以上前に1日4000人未満という烙印を押されてJRの路線として仲間に入れてもらえなかった鉄道は今どうなっているのかと言うと、私の前職のいすみ鉄道もそうですが、全国各地で一生懸命やっていて、今、1日2000人未満でもちゃんと走っているというのが現実です。
ところが、JRになったばっかりに、1日2000人未満ではやって行かれませんから廃止ですと言われていることに私は矛盾を感じます。

どういう矛盾を感じるかと言うと、鉄道輸送というのも民間事業であると考えた場合(JRは二言目には自分たちは民間事業者だと言っていますし)、他の事業に置き換えて考えればわかると思います。

例えば地域に根差した事業としてスーパーマーケットがありますね。
スーパーマーケットが、今、売り上げがだんだん減って来て、将来的に商売が成り立たないという危惧を抱いているとしたら、経営者ならどうしますか?

まずやらなければならないことは、どうしたらお客様にいらしていただけるかという努力ですね。
魅力ある商品を揃えて、買いたいと思っていただける価格設定にして、営業時間の延長など、ご来店いただけるような環境を整備して、お店の売上に直接つながらないようなイベントなどを開催して人を集めたり、あるいはご来店いただけないような皆様に商品をデリバリーしたり、または新しいお客様を獲得するために今まで扱っていなかったような商品コーナーを店内に作ったりと、地域の皆様方にご利用いただけるような努力をするのが当たり前の経営姿勢ですね。

ところが、JRは鉄道輸送という商品に対してこのような努力をしてきているのでしょうか、という点で大きな疑問符が付きます。

魅力ある商品を揃えていますか?
つまり、便利な時間帯に列車を走らせているか?
便利なところに駅を設置しているか?
駅に地元の人が集まる仕組みを作っているか?
地域の皆様方ときちんとコンタクトをとっているか?

多分、そういうことを全くやっていないのではないでしょうか。

ところが4000人以下とされてJRに入れてもらえなかった第3セクター鉄道は、地域と連携していろいろなことをやって来て、今でもちゃんと走っている。
これが現実ですから、「JRがやってきたからこうなってしまった。」というのが今の2000人未満という利用状況なのです。
つまり、民間会社としてやるべきことをやってこなかった責任を、今、地域に堂々と求めているのです。

今回西日本が2000人未満と指定した路線は、JR化後何をやって来たかと言うと、車両は新しくしましたけど、それはワンマン運転などの経費削減が主な目的で、今まで向かい合わせの座席だったのをロングシートにして、さらに編成数を減らして立ち席前提で詰め込んでいるようなことをやって来て、地元客だけじゃなくて旅行者からも敬遠されるような状況ですし、「乗らないから減便します。」という発想は国鉄時代から全く変わりません。

そういう経営で、今、利用者が減ったから廃止させていただきたいという意思表示をするということは、「JRがやっているから駄目になった。」と自ら認めていることでありますから、その責任を地域に転嫁するような話を切り出すのであれば、新幹線やエキナカを持たせることで国鉄の民営化を成功させようという当時のスキーム自体にひずみが出てきているということですから、根本から変えていかなければならない時期に来ていると私は考えます。

国民の皆さんがなぜ誰も疑問に思わないのか不思議なことがあります。
それは民営化ということです。

今から40年近く前に2兆円という莫大な赤字を抱えた国鉄が、民営化されました。
すると、翌年から黒字計上です。
実に不思議なことです。

そして、それから34年間ずっと黒字でやって来たJRという会社が、たった2年赤字になっただけで、なぜ「田舎の路線はもうやめたい。」とか国に対して「助けてくれ」などということを言えるのでしょうか。

利益分散のためにたくさんの関連会社を抱えて、そこに高い費用で各種事業を回しているわけで、第3セクター鉄道もそのあおりを食らって、わざわざ高い費用を払って仕事をお願いしなければならない状況です。

そういう、鉄道ビジネスを取り巻く仕掛けがあちらこちらにあるわけで、これが民営化だとされています。
そういうおいしいところ取りのJRのビジネスというものに対して、ここらあたりで一度仕切り直しをしないと、このままでは日本の田舎は食い物にされて終わってしまいます。

4月に入ると、JRは各路線ごとの収支を発表すると言っています。
数字を出すことでまたその数字が一人歩きすることを狙っているのでしょうが、これは曲者ですよ。
なぜなら、例えば線路の維持管理にかかるコストもJRがやっているからその値段だからです。
これは大都市や新幹線で上がった利益を自分たちの関連会社に分散させているからです。
今後はそれをそのまま地域の行政に負担してもらおうという魂胆です。
さらに、それができなければ「廃止も仕方ありませんね。」という論法ですからね。

JRが年間コスト3億円かかると言えば、だいたい話半分以下。3分の1の1億円でしょう。
ところが、36年前に幸いにして廃止を免れてJRの路線となった地域は、走ってるのが当たり前で長年やってきましたから、全国共通の傾向として行政関係者が鉄道に対する理論武装ができていません。
そういうところに、「この路線を維持するためには年間3億円かかりますが、どうしますか?」と言われれば、「3億円か。無理だな。」となって廃止ということになるでしょう。
これが「なぜ3億円なんですか? 私たちの計算では1億円でできるはずですが。」という地域であれば、JRももっと真剣に対応しなければならないと焦ると思いますが、社長が本社から「2000人」という数字を一律に投げかけてくるようなところを見ると、次はコスト計算、そして地元への負担を求める、そして無理なら廃止という算段でしょうから、十分にご注意いただきたいと思います。

私は、少子高齢化が進み、人口減少が進めば、今走っているローカル鉄道の路線すべてが残れるとは思っていません。
いずれ無くなるところもあるでしょう。

でも、1日2000人以下だから廃止するというような考え方は、これからの日本を考えた場合に、何も工夫できない地域は地域ごとなくなるということです。
今の日本の地域に求められることは、今あるものをどうやって有効活用して生き残っていくかという一言に尽きます。

いまだに新しい箱モノを作ることが発展だと勘違いしているようなお爺さんが仕切っているところもあるようですが、もうそんな時代ではありません。
そういう時に、地元の鉄道を有効活用できないようでは、その地域そのものに未来はないのです。

霞ヶ関の友人の皆様、先日の「青春18きっぷ」の回に続き、これがご質問に対する私の答えです。

ご参考にしていただければと思います。

鉄道を通じてこの国を発展させるために、私は死ぬまで頑張りますよ。

多分残された時間はそんなにはありませんが、せめて道筋だけでも付けなければ。

1日2000人未満?
私なら倍にしてみますよ。
ついでに地域にもお金が落ちる仕組みも作りましょう。
だって、JRが今まで何もやってこなかったということは、掘り起こせばすぐに出てくるようなお宝が眠っているということですから。


乗りたくなるような列車が走っていれば、その地域に用は無くても人は来るのです。

皆さん、一緒に頑張りましょう。