我が家には5人の子供がいますが、その末っ子が野球にチャレンジすることになりました。
北海道の独立リーグ「士別サムライブレイズ」に入団しました。


小学校で野球をやって、
中学校で野球をやって、
高校で野球をやって、
大学で野球をやって、
卒業してもまだ野球をやりたい。
自分で「野球をやりたい」って言うだけで箸にも棒にもかからないならまだしも、トライアウトというテストを受けに行って指名されてしまいました。
でも、この独立リーグというのはプロ野球とは違って給料が出ないんです。
田舎で仕事をしながら野球をやる。
でも、野球の試合や練習があるからフルタイムで働けない。
ということで給料は良くて10万円、全寮制で寮費は月6万円。
北海道の旭川の先の士別というところで、そういう形で野球をやるというのです。
親から見たら実に不思議です。
私は運動と音楽は全くダメ。
カミさんも運動とは無縁。
そういう親から大人になっても野球をやる子供が出てくるんですからね。
まぁ、うちの場合、5人の子供がいて、上3人の男の子は誰でも名前を知ってるような大学を卒業しましたが、大人になってみればふつうのサラリーマンで、ふつうのお父さんになっているわけで、4番目の娘はどうやらまもなく嫁に行くらしい。
カミさんも1人ぐらいふつうと違ったのがいてもいいんじゃないの? という意見です。
私はこの間本人に聞いたんですよ。
その球団がお前さんを採用するということは、2つ考えられる。
1:お前さんの野球の才能がずば抜けていて、ぜひ来てほしい。
2:めぼしい選手が見当たらないので、とりあえずそこそこな人間なら採用する。
さて、どっちだと思う? と。
すると息子は、2番目の方だと思うよと笑って答えながら、その翌日に北海道に旅立っていきました。
最後に息子の口から、「25歳までは野球をやらせて欲しい。」と言ったので、私もその言葉を聞いて、「よし! 思いっきりやれ!」と送り出したのであります。
25歳か・・・
俺もそうだったな。(遠い目)
25歳までに飛行機乗りとして就職できなければ年齢制限でもう採用してもらえない。
そんな時代でしたから、25歳までは何とか頑張ってチャレンジしました。
そして採用はありませんでした。
当時は航空不況の真っただ中で、国の航空大学校を出ても就職がない時代でしたが、やるだけやってみて、ダメだったのですから、私の人生に悔いはありません。
でも、不思議なことに、飛行機乗りにはなれませんでしたが、そのわずか2年後、27歳の時に大韓航空の募集があって、地上職ですけど何とか航空業界に潜り込んで50近くまで飛行機の仕事をさせてもらいましたし、国鉄に入って新幹線の運転士になることはできませんでしたが、今、こうして鉄道の仕事をさせていただいているのですから、とにかく一生懸命に打ち込めば、チャンスが来たときにつかむことができると自分の人生を振り返って思うわけで、今、うちの末っ子が「25歳までやらせて欲しい。」とタイムリミットを掲げてチャレンジしてみようとしていることに、親としては「やってみなはれ!」と思うのであります。
そうしたら、北海道の友人の大熊さんが、今日、こんなニュースが出ているよと教えてくれました。
士別サムライブレイズの新監督に元近鉄のブライアント氏 監督兼選手で入団のトニ・ブランコ氏は契約解除
こういう人と一緒に野球が出来るのは、なんだか楽しそうじゃありませんか?
若いうちは信じる道を一生懸命やってみることですね。
私も60過ぎて、まだまだ道半ば。
チャレンジの真っ最中ですから。
頑張れ、我が息子。
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