旅行の動機 その2

日本人の生活レベルが上がると、それまでありがたかった国民宿舎のような宿泊施設が陳腐化して、利用者が減っていったという話をしました。せっかくお金をかけて旅行へ行くのだから、ふだん暮らしているレベルよりも下げたところには泊まりたくありません。これが人間の心理でしょう。

さて、ではその心理というのは何を基準にしているかというと、まあ、簡単に言えば、その人の懐具合ということになります。

 

高度経済成長を経験して、日本人の経済状態が豊かになると、当然のように可処分所得も増えていきました。ただ食べるためだけに一生懸命になっていたのが昭和20年代だとすれば、少し余裕が出てきて、「たまには家族で旅行でも行こうか?」という話ができるようになってきたのが昭和30年代だと言えるのです。これは、国民全体がだんだんと余暇を楽しめるように成長してきたということです。

では、この成長ということを別の切り口で考えてみると、年齢による差というのも見えてきます。

つまり、若い人たちはお金がなくて行先や泊まる場所なども限られますが、大人になってくるとだんだんと選択肢が広がりますし、いまどきのリタイア世代の皆様方は、相当余裕がある人たちが多そうですから、高級なツアーやホテルなども、そういう人たちのチョイスに入るわけですね。JR各社が躍起になって豪華列車を導入する計画でいるのも、ここら辺の層がターゲットということになるのでしょう。

 

では、若い人たちはお金がないけど旅行をしたい。今はそういう人たちはLCCや高速バスなどを利用して安く旅行ができる時代になりましたが、昔は鈍行列車や夜行列車の固い座席に長時間揺られて、遠くへ出かけていきました。

そのころ、私が記憶しているのは、そういう固い座席の夜行列車に揺られて夜汽車の窓に映る自分の顔を見ながら、「いつかは特急寝台に乗れるようになりたい。」と思っていたことで、私がよく利用していた長距離の急行列車の編成にはA寝台、B寝台、グリーン車、普通車座席指定、普通車自由席といろいろなタイプの客車が連結されていて、さながら今でいうところの国際線の旅客機よろしく、ファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミー、エコノミーと同じ飛行機の中が仕切られているように、夜行列車だって、金持ちが乗る車両から貧乏学生が乗る車両まで連結して、多種多様な需要にこたえていたというわけです。

 

「いつかは特急寝台に乗れるようになりたい。グリーン車に乗れるようになりたい。」と思っていた学生が、社会に出て、だんだんと懐具合がよくなってくるとどうなるか。やっぱり固い座席の夜汽車よりも寝台の方が好まれるようになりますし、普通車よりもグリーン車の方がよいということで、「せっかく旅行へ行くのだからいつもよりも少しはぜいたくをしたい。」という気持ちも手伝って、寝台車やグリーン車に乗るようになりました。そして、そういう人たちがリタイアして、お金もそこそこあるし、時間もたっぷりあるようになると、ビジネスクラスで海外旅行へ行ってクルーズ船に乗るなんてことをやるようになりますし、JRの豪華列車に何度も応募して抽選で乗るなんてことが目標になったりもするわけです。

つまり、昭和30年代の国民宿舎世代の人たちは、だんだんと上を目指してきて、今そうなっているわけで、つまり、彼らの世代にとっての旅行というのは、できるだけ遠くへ行って、できるだけ良いホテルに泊まって、できるだけ豪華な食事をするということを目標にしてきたことがわかるというものです。

 

では、今の若い人はどうかというと、やはり若いからお金はない。だから移動手段はできるだけ安ければありがたいという点は40年前と同じだと思うのですが、違うのは選択肢が増えたということ。そりゃあ昔だって新幹線もあれば飛行機もあって、何も在来線の座席夜行で旅行をしなくたってよかったんですが、新幹線も飛行機も値段が高いから、お金のない身としては、周遊券を買えば追加料金なしで乗れる座席夜行しか選べなかったというのが事実ですが、今は高速バスもあればLCCもありますから、いろいろな選択肢がある。夜行の寝台列車がなくなったのも、特急券と寝台券を合わせたら乗車券のほかに1万円近く余分に取られたからで、1万円あったら高速バスやLCCで行ってチェーン店の安いホテルに泊まった方がずっと良いと思うから、寝台列車など誰も利用しなくなってしまったのです。つまり、選択肢に残れなかったんですね。

 

私が面白いと思うのは、高速バスとLCC、うまく切符を買えば、高速バスで東京から名古屋へ行くのと同じぐらいの料金でLCCで北海道や九州、沖縄へ行かれること。だから、学生のうちは高速バスで旅行をして、社会人になったらLCCで旅行するようなパターンで若い人たちがどんどん旅行していて、本当に鉄道で旅行へ行こうという選択肢がない。今はそういう時代ですから、そういう人たちが社会人になって、おじさんになって、おじいさんになった時に、鉄道はどうなるのだろうかと考えるわけです。

 

そして高速バスにもLCCにもファーストやビジネスなんて座席はついていないのがほとんどですから、若い人たちがカーテンで仕切られた前のゾーンを気にしながら、「いつかは俺もファーストに乗るぞ」なんてことは考えない。そうなると、もう、未来はどうなるかわかってきますよね。

つまり、私たちおじさん世代が若かったころは一部の特別な人たちが利用していた飛行機を、若い人たちが気楽に利用して、あるいは、金額が高い割には座席が確保できるかどうかわからない特急列車の自由席に乗るならば、安くても必ず座れる高速バスを選んで、その差額で何かプチ贅沢をする方が、今の若い人たちの行動性向にあっているのです。

 

フリルの付いた赤や青の航空会社は、それでも需要をうまくコントロールして、価格に幅を持たせたり、当日の出発直前まで「プラスいくらで足元がゆったりしたお席に変更できます。」などとアナウンスをしてますが、新幹線はどんなにガラガラでも切符は安くならないし、駅や車内ではどんなに自由席が混んでいても「本日は3000円でグリーン車に空席がございます。ご希望のお客様は車掌までお申し付けください。」などということはやっていないのです。

例えば上りの「のぞみ」のグリーン車だったら名古屋を出たらもう誰も乗ってこないし、「はやぶさ」だって仙台を出た上り列車にはもう乗ってこないのですから、乗務員が自由にグリーン車の空席を販売できても良いのではないかと思いますよ。

 

なぜなら、そういうところで一度グリーン車に乗ってしまうと、今さら普通車には戻りたくないというのも人間の心理ですから、グリーン車のお客様の新規需要の開拓になると私は考えているのです。

 

(つづく)