公募社長総括 8 自社養成乗務員訓練生について

このあいだ取材を受けていて、「一番の思い出はなんですか?」と聞かれました。

 

私は即座に、「自社養成運転士制度です。」と答えました。

 

ムーミン列車とかキハとか、あるいはレストランなど、いろいろやってきましたが、それは皆商品を作り出したものなのですが、自社養成運転士制度は、人材を作ったものだからで、いすみ鉄道に飛び込んできてくれた人が、今、立派に列車を運転し、接客している姿を見ると、本当に感慨深いものがあります。

 

私が就任した時に、国交省の千葉運輸支局に佐藤支局長さんという方がいらして、実にいすみ鉄道に良くしてくれまして、親身になっていただいたのですが、その理由は、「実は、私は木原線を廃止にするための書類を作った人間なんだ。」とおっしゃいました。あれは間違っていたと今では思うようになったから、だからいすみ鉄道には残ってもらいたいんだということでした。

おもしろいお話があって、実は佐藤支局長さんがまだ若いころ、木原線の乗車人員を調べに調査員として大原にやってきました。

大原の旅館に泊まって、朝から駅で乗車人数を数える仕事です。

当時の国鉄は、このように利用実態調査というものを行って、ある一定数に達しない路線は廃止にするというルールで廃止か存続かを決めていました。そして、その利用実態調査の役割を担ったのが、まだ若かったころの佐藤支局長さんだったのです。

 

当時のローカル線沿線は、いつ国鉄の人間が利用者数の実態調査に来るかと、皆さん気を揉んでいるころでした。そんな時に駅の近くの旅館に「見かけない人間が泊まっている。」となれば、「いよいよ来たか。」ということで、町中に連絡が入ります。田舎の町のことですからパ~ッと情報が回ります。すると、翌朝は朝早くから列車が満員になるという状況でした。町中のみんなが、利用者数を稼ぐために、朝から列車に乗るなどという笑い話のようなことが実際に起きていたのです。

 

これでは正確な実態調査になりませんから、若かった佐藤支局長さんは大原ではなくて隣町の御宿に宿をとって、そこから利用実態調査を行ったそうです。これでは大原の町には情報が入りませんから、正確な利用者数が測れます。そして、その正確な利用者数をもとに、「木原線は廃止対象」という報告書を書いたのです。

「私は木原線の死刑執行人のようなものですよ。それが今でも悔やまれるんです。だから、いすみ鉄道には何とかして残ってほしい。」

佐藤支局長さんの口癖でした。

そして、私にこう言われました。

「社長、注意しなければいけないことがありますよ。社長ががんばれば多分いすみ鉄道は存続できるでしょう。だけど、存続したところで列車が走らなくなる危険性がありますよ。」

「どうしてですか?」と私が尋ねると、

「乗務員がいなくなるんですよ。今は全国的に乗務員不足です。そして、乗務員は一朝一夕には揃いませんから、その所をよく注意してください。」

こう言われました。

 

なるほど、そういうことですか。

 

いすみ鉄道はそれまではJRから運転士さんを出向として派遣してもらっていました。

ところが、もう今までのように派遣することが難しくなったと言われてはじめていました。

なぜなら、いすみ鉄道はディーゼルカーですが、JRはほとんどが電車です。電車とディーゼルカーは運転する免許が違いますから、電車の運転士さんはいすみ鉄道のディーゼルカーを運転できません。

千葉県の運転士さんは、昔の人はディーゼルカーから始まって電車へ移行しましたので両方の免許を持っていますが、それは昭和50年までに運転士さんになった人たちの話で、それ以降に運転士になった人たちは皆さん電車の免許なんです。

昭和50年に成田線、総武本線の全線電化が完成し、千葉県の路線は久留里線を除いてすべて電車になりましたから、その時までに運転士になった人たちはディーゼルカーの免許を持っているのですが、昭和50年といえば、私が就任した2009年の時点で34年前でしたから、当時22歳で免許を取ったとしても皆さん50代後半になっていて、つまりは今後、そういう人たちが退職してしまえば、いすみ鉄道に運転士を派遣することができないということなのです。

 

2000年以降、日本全国の第3セクター鉄道では同じ問題を抱えていました。

国鉄時代の余剰人員の受け皿となっていた第3セクターでしたが、実はこの時すでにJRは余剰人員は解消されていて、もう第3セクターに運転士を送り込むことは難しくなっていました。ところが、第3セクターとしてはJRが運転士を派遣してくれる前提で経営計画を立てているところがほとんどでした。その理由は、JRが派遣してくれる場合、賃金の約半分をJR側が負担してくれるというお約束があるからで、第3セクター鉄道としてみれば、半分の賃金で一人前の運転士を手に入れることができるわけです。

いすみ鉄道の場合もまったく同じで、開業以来、JRから運転士を出向として派遣してもらう前提で経営計画を立ててきていて、プロパー運転士の養成は20年間で2人しか行なってこなかったのです。

これは当時の経営陣の怠慢以外の何物でもありません。公務員の卒業生が数年ずつ担当してきた第3セクターの無責任経営の顕著な部分は、根本的にこの会社をどうしようかということではなくて、自分がいる3~4年位の期間中だけ、安泰でいられればそれで良しという考え方です。平成15年ごろからどこの第3セクターでもJRからの出向運転士からプロパー運転士への移行をしてきていたにもかかわらず、いすみ鉄道の場合は、経営陣の誰もが人件費の上昇を伴う改革を言い出すことすらせずに、数字だけの計算をして「ずっとこのままでいいや。」とばかりに、プロパー化を怠っていて、それがいよいよJRの方から運転士を出せないよと言われて、「さあ、どうしましょう。」となって来ていたところへ、私がのこのこと「公募社長です。」といって入ってきたわけで、つまりは今までのツケを払わされるという貧乏くじを引かされたようなものでした。

 

そこで私は、「訓練費用自己負担の自社養成運転士の採用」ということを考えたのです。

 

これは当時、YAHOOのトップニュースになるほど話題になりました。

訓練費用700万円を自分で払って運転士になるなんて前代未聞の乗務員養成です。

ちょうどそのころ、佐藤支局長さんは横浜の関東運輸局の総務部長の職に転勤されていて、私が関東運輸局に行くと、「社長、とんでもないことを考えたね。局の中、大騒ぎになってるよ。」と笑って対応してくれました。

「大騒ぎ」とは当然のこと。何しろ前例主義のお役所の中で、まったく新しい考え方なのですから、そりゃあ大騒ぎになりますよね。

でも、私自身の考えでは自分で訓練費用を払う制度は別に特別なことでもなんでもありませんでした。

 

日本で、「資格を取得して、その資格を持って就職する。」という制度を考えた場合、お医者さんでも弁護士さんでも学校の先生でも、まず、自分の時間とお金と能力を使って資格を取得します。そして、その資格を持って職に就くのが当たり前の社会システムです。交通機関でも同じで、バス、タクシー、船、果ては飛行機までも、まず自分で資格を取得することが可能です。そして、その上で、例えば大型2種などを取得してバスの運転士になったりするのですが、鉄道だけは違うんです。

鉄道だけは、まず鉄道会社に入って、そこで養成してもらうというシステムで、この鉄道のシステムは、日本ではちょっと特殊な部類なんです。

当時、いすみ鉄道が訓練費用自己負担で運転士の募集を開始すると、「そんなことで安全性が保たれるはずがないだろう」という意見がたくさん寄せられました。でも、私はそういう外野の声に耳を傾ける必要はないと考えました。なぜなら訓練費用自己負担と安全性とは直接リンクすることはありません。単なる感情論なんですね。私は若いころ自分で飛行機の操縦訓練を受けて、小型機に乗っていました。技能的にも費用的にも大変な苦労をしましたが、飛行機の世界では、まず自分で免許を取得することが可能なんです。そういう感情論の方々に申しあげたいのは、「どうして飛行機で認められていることが、鉄道では認められないのですか?」ということで、なぜなら、飛行機と電車の運転と、どちらが難しいですか?と問えば、小学生だって「飛行機の方が難しい。」と答えます。その小学生でも理解できる運転が難しい飛行機で、自分で免許を取ることが認められていて、どうして鉄道では認められていないのでしょうか? というところです。

なにしろ、鉄道はダイヤに従って走りますから、走っていくと基本的には信号は全部青なんです。列車が近づいていくと踏切は全部閉まってくれるし、線路の上を走るから右へも左へも行かないんです。鉄道の運転が難しいとすれば、慣性が大きく働きますから車のようにはすぐに止まれない。つまり、先々のことを考えて手順をあらかじめ頭の中で想定しながら運転しなければならないという運転特性なんです。私は飛行機の操縦訓練を受けてきましたから、そういうことだと理解していました。だから、きちんとした訓練を受けて免許を取得できれば、訓練費用を自己負担することは安全性に直接係わることではないのです。

 

だから、私は、皆さん方に「まず、自分の能力と時間とお金を使って資格を取りませんか? そうしたらうちで採用しますよ。」という、日本でごく当たり前に行われている就職のための免許取得システムを導入したのです。

訓練費用700万円は、養成期間中、約2年間、何度も訓練列車を走らせたり、あるいは雇用契約を結んでいますから賃金としてお支払したりするためのもので、つまりはデポジットのようなものなんですね。大きな会社なら気にならないような養成費用も、いすみ鉄道のような会社では大きな金額ですからね。

 

また、年齢制限も設定しませんでした。

いくつになってもチャレンジできる制度にしたのです。

飛行機のパイロットもそうだし、電車の運転士もそうですが、たいてい採用条件の中に年齢制限というものがあります。その理由は若ければ若いほど訓練の上達が早く、資格を取得させることがスムーズだからです。いくら訓練を積んでも上達しなければ会社にとってリスクになります。だから会社はリスクを取りたがりません。これが年齢制限です。でも、それは会社が人件費や訓練費をかけて訓練を施すからリスクになるのであって、その訓練費用を払うというリスクを訓練生が自分で負うのですから、年齢制限を設ける必要はないのです。

当時、日本経済はなかなかリーマンショックから立ち直ることができず、日本のおじさんたちは元気がありませんでした。そういう時代でしたから、私は自分も含めて、おじさんたちがわくわくするようなことがあってもよいのではないかと考えていたのです。

 

実は、私は確信していたのです。700万円は高額ですが、必ず応募してくる人がいるだろうということを。

なぜなら、私自身が子どものころから電車の運転士になりたかったけど、当時の国鉄改革で採用がなくて運転士になれなかった人間だからです。

当時は国鉄改革の真っただ中で、国鉄は余剰人員対策で人減らしをしている時でしたから新規採用などありませんでした。だから、子供のころからの夢だった電車の運転士になることができなかったのですが、世の中にはきっと私と同じような思いの人たちがいるに違いないと考えました。

「本当は電車の運転士になりたかったんだけど。」

そう思いながら、今は違う職業についている40過ぎの人たちがいるに違いない。

日本全国にそういう人が数人いればよいだけの話ですから、これは十分いけると確信しました。

そして、20数名の応募者の中から4名の訓練生第一期生が誕生したのです。

 

さてさて、このような「お金を払ってでも運転士になりたい。」というような人たちを募集することに対して、一番危機感を抱くのは誰かというと、それは今現在乗務員として働いている運転士さんたちです。

そんなことが起きれば「ジョブ・セキュリティー」(雇用の危機)に係わりますからね。つまり、お金を払ってでも運転させてほしいという人たちが入ってくれば自分たちの仕事がなくなるという危険性があるわけで、泣く子も黙る労働組合としては由々しき事態です。

ところが、その泣く子も黙る労働組合の幹部経験者の方が、私にこう言うのです。

 

「社長は面白いことを考えるね。確かに、これが一番良い方法だよな。俺たち協力するからね。」

 

これはありがたい言葉でしたね。

あとで分かったんですが、労働組合の幹部経験者だと、会社もレッテルを貼るし身構えるわけで、そういう人たちは教官にはさせないし部下も持たせなかったのです。でも、労働組合の幹部の人たちって、仕事でミスすると会社から突き上げられる危険性があるから、とにかく仕事はまじめで、きちんとしているんです。私も30代のころ、かなり尖がっていて組合幹部として会社とやりあっていましたからよくわかるんです。彼ら運転士さんたちも実にきちんとした仕事をしていて、基本に忠実に、非の打ちどころがないような乗務をしている。30数年運転士としてやって来ていれば、だいたい少し手を抜いたり適当な仕事をしそうなもんですが、50後半になっても基本に忠実に、きちんとした仕事をしている。ところが会社からは評価されてこなかったのです。

私は、いすみ鉄道にとっては、そういう運転士さんの技量や経験というのは、会社の財産だと感じました。だから、後輩を養成することでその財産と経験を会社に置いて行って欲しいとお願いしたのです。

 

皆さん快諾してくれて、訓練生と教官をペアにして乗務訓練を行いました。

60近い教官にとっては、長い運転士生活で初めての教え子です。

人に教えるためには、まず自分の乗務態度を一から見直します。

部下を持つと、教官自身も今までの運転態度とは少しずつ違ってきました。

それと、初めての後輩育成ですから、皆さん自宅に案内して食事をご馳走したり、家族同様に本当にかわいがってくれて、2年の歳月をかけて立派な運転士さんが誕生したのです。

だから私にとってみたら、この自社養成乗務員訓練生で誕生した運転士さんたちは、今ではすでに退職された教官たちの技術を引き継いだかけがえのない存在なのです。

 

▲2011年12月。いすみ鉄道に誕生した自社養成運転士第1期生です。

 

今、いすみ鉄道にはそういう運転士さんが11名在籍し、日々の輸送を支えてくれています。

 

後日、この自社養成のお話をNHKがドラマにしてくれました。

吹石一恵さん主演のドラマです。
そのドラマが放映された数日後、私のところに一本の電話がかかってきました。

 

「社長、ドラマ見たよ。良いドラマだった。国家試験に落ちるシーンがあったけど、あれって、俺の時の話だよね。」

 

電話の向こうで笑っているその声は、あの関東運輸局の神谷局長さんでした。

前代未聞の自社養成訓練制度でしたが、やはり神谷さんがいろいろお力を貸してくれていたんですね。

佐藤支局長さんと言い、神谷局長さんと言い、心ある人たちに守られて、いすみ鉄道の今日があるのです。

 

▲ NHK千葉放送局制作 ドラマ 「菜の花ラインに乗り換えて」

 

ここに動画がUPされているのを見つけました。自己責任でご鑑賞ください。(ログインしないと広告がたくさん出るようです。)

「pandora.tv」

 

私は、今回自分が退任するに当たり、彼ら自社養成の乗務員にお話しさせていただいています。

これからもいすみ鉄道は千葉県がしっかりやっていくと約束してくれたので、安心して乗務を続けてほしい。

そして、ローカル線を次の世代につなげて行って欲しい。

それが私の希望でありお願いです。

 

先日も、私が退任するのでさぞ不安だろうなあと思ってお話をさせていただいた時、ある運転士さんがこう言いました。

 

「社長、私は大丈夫ですよ。それよりも、私のことを運転士にしてくれてありがとうございました。社長がいなかったら、私は子供のころの夢だった運転士になることができなかったんですから、本当に感謝しています。」

 

その場は、「そうか、じゃあ安心だ。」と言いましたが、あとで一人になった時、私は涙があふれました。

本当にありがたいと思いました。

 

そして、こういう人たちが、今、いすみ鉄道で乗務員として活躍してくれているのですから、いすみ鉄道は素晴らしい鉄道だと自信を持って言えるのです。

 

50を過ぎたおじさんたちが、職業を通じて自己実現する。

いすみ鉄道は、本当にすばらしい人材に恵まれたと、私は確信しています。

 

これからもしっかり頑張っていってください。

蔭ながらになりますが、引き続き応援させていただきます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。