各駅停車のコスト

昨日は宮脇俊三さんが著書の中で「各駅停車は一番乗り得な電車だ。安い乗車券だけで乗れて、目的地に着くのに時間がかかるからお得である。」ということを述べられたという話をしました。

実に鉄道好きらしい見解で、私も同意したものです。
というのもこれを読んだのは確か40年ほど前で、世の中は経済成長、スピードアップの時代でしたから、タイム・イズ・マネーの時代であり、各駅停車に乗って旅行をするなどというのはよほどのもの好きと思われた時代でしたから、宮脇さんのものの見方がとても新鮮だったのです。

彼は乗客の立場で、特急料金を払う必要がなく、乗車券という基本的な切符1枚だけで乗れて、所要時間がかかる。つまり、長く乗っていられるのは得だという実に素直な見解なのですが、40年が経過した今、読み返してみると、これはコスパの話だということに気が付きます。
つまり、単位時間当たりの費用の話であり、安い料金で長く滞在できればお客様にとってお得でありますから、コスパが良いという話になります。

さて、商売というものは売り手と買い手の駆け引きという面がありますから、お客様が「得だ」と思うことは、商品を販売する側から見ると「損をしている」ということになります。つまり、各駅停車に乗ったお客様が「得をした」と思うということは、その各駅停車を運行する鉄道事業者は「損をしている」のではないか。
40年後の私はこんなことを考える立場になっているのですが、では、本当にそうなのでしょうか。

これが本日のテーマ、「各駅停車のコスト」であります。

各駅停車といっても電車もあれば気動車もあります。旧型車もあれば新型車もありますし、路線によっては編成両数も違いますし運行速度も様々です。だから、1つの列車にいくらかかっているのかという話ではなくて、基本的な概念でお話をさせていただきたいと思います。

例えば東京から大阪まで、各駅停車で10時間かけて直通する列車があったとします。
東海道本線ですから1編成10両で走るとして、その1編成が1日に運転できる本数はせいぜい1往復2列車ということになりますね。
片道10時間ということは往復20時間。大阪で最少時分で折り返したとしても午前4時に東京駅を出た列車が戻ってくるのが夜中の12時を回ります。
つまり1編成で1日2列車。いわゆる客回転として考えれば2回転です。

1両60人乗せて10両編成なら輸送力は600人。
1日に乗せられる乗客の数は往復で1200人ですね。

これに対して新幹線で東京から大阪へ行く場合、のぞみだと片道2時間40分。1編成の電車が1日何往復できるかを考えると、往復で5時間ですから3往復はできるでしょう。
つまり6列車。客回転としては6回です。

新幹線は在来線の電車よりも大型の車両で、編成数も長いですから、1編成で約1300人を乗せることができます。
1300人乗せて3往復6列車ですから1日に乗せられる乗客数は7800人になります。

つまり、速度が速い新幹線電車であれば在来線が1往復する間に3往復できて、乗せられる乗客も多い。
在来線が1200人運ぶ間に新幹線は7800人運んでしまうのです。

では乗務員は何人必要でしょうか?
新幹線であれば東京から大阪まで運転士さん1人、車掌さん3人の計4人。
4人で1300人を運ぶことができます。

ところが在来線だと片道10時間ですから運転士さんは4人は必要でしょうし、車掌さんだって車内改札などを行わず、ドア操作などの運転取り扱いをする車掌だけ乗せたとしても運転士と同じく4人は必要でしょう。
片道600人の乗客を運ぶのに、8名必要だということになります。

つまり、在来線の列車に比べて新幹線の方が車両の運用も乗務員の運用もはるかに効率が良く運行コストが低いということになります。
さらに、新幹線なら運転士1人、車掌3人で往復2列車運転することができますから人件費はさらに低くなるという計算です。

で、商品としてはどうかというと、提供する側から見て、在来線の列車に比べて新幹線の方がはるかにコストがかからない商品でありながら、在来線に比べて客単価を高く設定できるというメリットがあります。
乗車券にプラスして特急料金を課金できますからね。
つまり、鉄道会社にとって実においしい商品であるのです。

でもって、先ほどのお話に戻りますが、商売というのは売り手と買い手の駆け引きですから、商品を提供する会社側にとっておいしい商品ということは、それを購入するお客様にとって見たら高くてお買い得感がない商品ということになるのが商売の原理です。

製造原価が安く、コストが低い商品は通常の商取引では販売価格も安くなります。
ところが、鉄道の場合はコストが高くて非生産的な各駅停車の販売価格が安くて、コストが低く実に生産効率が良い新幹線や特急電車が、特別金額を付加して高く売ることができるという商品特性があるのです。

では、なぜお客様は生産性が良くてコストが低い商品をわざわざ高い値段を出して買うのかというと、目的地への速達料金として「時間」を買っているからです。

さて、宮脇俊三さんが文壇で活躍して「各駅停車は乗り得だ」といったのは今から40年も前。経済成長の時代は人々は何も考えずに「時間」を買っていました。つまり、特急料金を払って新幹線で行くのが当たり前だと思っていたのです。
でも40年が経過して世の中を見回すと、目的地まで早く到着したいという人たちばかりではないことが見えてきました。それともう一つの面として、「新幹線や特急電車は本当に速いのか?」ということも見えてきています。

目的地まで特段急いで行く必要がない人たちは、高速バスという手段を当たり前のように選択しています。
都市が巨大化するにしたがって、自分が住んでいる場所や目的地が新幹線の駅よりも空港へのアクセスの方がよくなってきている現実がありますから、乗り換え時間を考えると飛行機を選択する人も多くいます。そういう人にとっては新幹線は決して早くはありません。

最近では高速バス並みの料金で新幹線よりも速いLCCなども一般的になってきています。

さらに、顧客の選択肢としては価格の弾力性やネットなどでの指定券の取りやすさというのも大きな要因になっています。

そう考えると新幹線や特急列車というのは、本当に便利で速いのかという疑問がわいてくるのです。

ところが、旧国鉄系の鉄道会社はもともと公務員が集まってできたような会社ですから基本的な企業理念に欠けているし商売というものを知りません。
そういう人たちが経営する会社が新幹線というコストが安くて高額で売れる超おいしい商売を知ってしまったのですから、味を占めてしまって、在来線など見向きもせず、せっせせっせと新幹線に乗せるようにいろいろ仕向けてきたのです。

製造原価が低くて高価格で売れて利益率が高い商品というのは、ある意味禁断の果実のようなものなのですが、それを当たり前のように享受して、それにばかり専念してきたのが国鉄民営化後の姿です。

そして、今回のコロナです。
その頼みの綱の新幹線が、ある日突然、全く売れなくなってしまったのです。

さて、どうしましょうか?

でも、30年以上在来線という商品を磨いてきていませんから、そこを収入源にすることもできません。
お客様は高速バスもあればLCCもある。
つまり選択肢はお客様の側にある。
鉄道会社側は新幹線という商品しかない。

これが現在置かれている旧国鉄系鉄道会社の状況です。
だから本当に危機なのです。

では、話を戻して、コストが高くて利益率が低い商品というのは何でしょうか?
そういう商品はお客様の側から見て呼び名を変えると「目玉商品」だと私は考えます。
つまりお客様にとって、絶対得するのが目玉商品。
わざわざそのためにお店に来てくれるのが目玉商品です。

つまり、長距離を走る各駅停車というのは、会社から見ると利益が出ない商品ですが、乗客の側から見ると目玉商品なのです。

スーパーマーケットなどは、目玉商品でお客様を呼び込んでおいて、ついでにいろいろなものを買っていただくことで利益を出す仕組みです。
私が昨日から言っているのは、これを時間軸を伸ばして考えることです。

若い人たちに長距離の各駅停車に乗ってもらって、鉄道のお客様になってもらって、その人たちが社会に出て出張や旅行に行くときに、利益率の高い新幹線に乗ってもらえるようにする。
こういうことをきちんとやって行かないと、利益率の高い商品だけを販売してビジネスが続くわけではないのです。

でも、その目玉商品を鉄道会社は「こんなの手間ばかりかかって儲からないから」と言ってやめてしまう。
これが「ムーンライトながら」の廃止ということなのです。
だから本当に鉄道会社は危機なのです。

まぁ、この手の会社は行くところまで行くでしょう。
こういう話が理解できるようであれば、今のような姿にはなっていませんからね。

これからJR北海道がその禁断の果実である新幹線を札幌まで手に入れようとしていますが、禁断の果実では経営改善にならないということをまずはご理解いただきたいと思うのですが、無理だろうなあ。

一つだけ言えることは、大手がそういう経営をしてくれると、私たちのような小規模事業者にチャンスが回ってくるということなのであります。


▲朝を迎えた大垣夜行。昭和52年。辛い電車でした。(笑)