嫌韓でもなく、嫌華でもなく。 その2

釜山の少女像の件で、日本の大使が帰国したというニュースが大々的に報じられています。

 

一部のマスコミ報道を鵜呑みにして、またネット上では「これだから韓国人は信用できない。」 「約束も守れない民族は最低だ。」などという書き込みが横行しているようですね。

 

私は最初にお世話になった航空会社が韓国の会社で、つまり、何とか航空業界で仕事をすることができたのは、その韓国の会社のおかげですし、その会社で先輩方や上司からとてもよくしていただいて、かれこれ30年近く経つというのに、今でも仲良くお付き合いしてくれている皆様方ですから、別に韓国が悪い国だとは思いませんし、韓国人は信用できない民族だとも思いません。

皆さんとても温和で、日本人が忘れてしまったような、例えば年長者を大切にする、目上の人を敬うなどという、基本的マナーを守っている方々だと考えています。

日本では、「優先席」に関して、「どうして年を取っているというだけで席を譲らなければならないのか。俺だって疲れているんだ。」的な意見がネットに散乱していますが、私が知る限りにおいては、韓国人は若者も含めて、皆さん当然のようにお年寄りに席を譲りますから、あまりそういうことをいう人はいない国民性です。

 

ではなぜ、今回のようなことが起こるのでしょうか?

 

それは、日本がかつて朝鮮半島を占領していたからです。

日本は1910年に朝鮮半島を自国の領土として占有しました。

歴史の教科書に書かれている「日韓併合」です。

明治43年のことです。

そして、朝鮮半島にいろいろなインフラを建設しました。

港湾や道路整備など、多額の投資を朝鮮半島に行って、国づくりをしていました。

今は取り壊されてしまいましたが、ソウル駅は東京駅によく似た赤煉瓦の建物で、1980年代に初めてソウルを訪れた私は、「確かに日本が作った鉄道だ。」ということを実感しました。

東京駅を建設した数年後に、同じような赤レンガのソウル駅を作ったということは、いかに日本が朝鮮半島に力を入れていたかが理解できます。

教育などの人材の育成も行いました。

小学校から大学まで建設して、彼らの教育に努力しました。

 

でも、これは日本人の言い分ですね。

彼らにしてみたら、日本のスタイルの学校で、先生は日本人。朝鮮語を話すことは禁止され、名前は日本語読みできる名前を付けることが義務付けられたわけですから、反感を持つ人たちも多かったはずです。

この日本による統治は終戦の年1945年まで35年間も続きました。

戦前生まれの韓国人は皆さん日本語で教育を受けましたから、今のおじいさんおばあさんたちは、日本語がわかる人が多くいらっしゃいますが、私が勤めていた1980年代は、その人たちが皆50歳代でしたから、おじさん、おばさんたちが皆さん日本語を話されていました。

朝鮮半島で仕事が見つからない人たちは、職を求めて日本本土へやってきて、各地で仕事をしました。

日本人がやらないような「3K」仕事のようなものや、下働きのような仕事が多かったようで、皆さん大変なご苦労をされた方々です。

人権だって十分にない時代ですから、「朝鮮人だ」というだけで、ひどい扱いをうけたようで、一例をあげると、関東大震災の時に、「朝鮮人が井戸に毒を入れた。」などというデマが流れて、大震災でただでさえ混乱している東京ですから、そのデマが瞬く間に広がって、大勢の朝鮮の人たちが理由もなく暴徒と化した日本人に殺されました。これが亀戸事件と呼ばれる事件ですが、興味のある人は調べてみてください。

 

さて、太平洋戦争が始まると、日本人の男性はみな兵隊さんに取られていきました。朝鮮の人の中にも(当時は日本国籍でしたが)日本兵として戦争に行った人たちがたくさんいました。今の韓国の朴大統領のお父さんも、日本軍の将校として従軍していたのは有名な話です。

私が20代の頃、韓国の航空会社の国際線のジャンボジェットの機長さんたちにも、日本の兵隊として予科練で飛行機の操縦訓練を受けた人がたくさんいましたが、私が飛行機好きなのを知ると、皆さんとてもかわいがってくれました。

1980年代当時、韓国ではパイロットが不足していました。私が基本的な操縦訓練を受けているのを知った指導教官の機長の中には、上級の操縦訓練を受けさせるように本社に掛けあってくれた方もいらっしゃいました。

しばらくして、その指導教官の機長が、私に申し訳なさそうに言うんです。

「すまない。私の力でも許可が下りなかったよ。日本人はダメだそうだ。君が韓国に帰化するんなら別だけど、そんなことはするべきではない。」

私が28歳の時で、それを最後に私は操縦士の道をあきらめたのですが、そこまで親身になってくれたその機長に大変ありがたい気持ちになったことを今になって懐かしく思い出します。

 

話は横道にそれましたが、太平洋戦争が激化して日本の敗戦の色が濃くなってくると、貧すれば頓するではありませんが、朝鮮半島で日本人はだんだん出鱈目になってきました。1910年当時は自分たちの国土を広げるためにインフラや教育など、とても大きな投資をした日本でしたが、物資が不足して国力が弱くなってくると、朝鮮人の面倒など見ていられなくなったわけです。

国内も同じです。

炭鉱や港湾などのきつい仕事についていた屈強な男性が兵隊にとられ、人手不足を補うために、そこへ朝鮮人労働者が送り込まれるようになりました。

今、例えば筑豊炭田の記念施設などを訪れると、朝鮮人労働者の慰霊碑などが建てられているのはこのためですが、こうして、戦争末期に日本人は朝鮮半島や朝鮮人に対してさんざんな行為をして、終戦とともに日本に逃げ帰ってきたわけです。

 

そして、戦争に勝ったアメリカとロシア(ソ連)が、日本人が逃げ出した朝鮮半島を自分のものにしようと朝鮮戦争をはじめ、最終的に北緯38度線でアメリカが支持する大韓民国(韓国)と、ロシアが支持する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分断されて、今日に至っているわけです。

 

だから、韓国では日本に対する恨みつらみが強いわけです。

 

戦後の韓国は日本の影を排除しようとする政治が行われました。

漢字の使用を禁止し、ハングル文字だけで表記するようになりました。

今でこそ韓国でも日本のテレビや映画、歌謡曲などを見られるようになりましたし、漢字表記の看板などもふつうになりましたが、1990年代までは固有名詞以外の漢字表記は一切禁止でした。

戦後、漢字は義務教育では教えられなくなりました。高校へ行って初めて漢字の勉強をするのが韓国の教育でした。

30年前の話ですが、ハングル文字だけの新聞と漢字が混ざっている新聞の2種類がありまして、私の上司は朝鮮日報など漢字とハングルが混ざっている新聞を読んでいました。

20代だった何も知らない私は、その朝鮮日報を読んでいる上司に聞いたんです。

「どうしてハングルだけの新聞と、漢字が使われている新聞があるのですか。」と。

すると、上司が応えました。

「韓国ではね、読んでいる新聞で学歴がわかるんですよ。ハングルだけの新聞を読んでいる人は中学卒業の人で、漢字の新聞を読んでいる人は高等学校の教育を受けた人です。」

これは考えてみれば恐ろしい話で、日本の通勤電車の中で夕刊紙やゴシップ紙を読んでいる人は、それだけで「あいつらは満足に学校へ行っていない。」ということがわかってしまうようなものですから、つまり、それが韓国の教育なわけです。

 

それともう一つ、そういう教育を受けた国民には自由に発言する権利が与えられていませんでした。つまり、民主国家ではなくて、1980年代までは軍事国家だったのです。

だから政府は国民の言論を自由にコントロールしていて、政府に都合の悪い事件、例えば政治家の汚職事件などが起こると、国民の意識をそらすために、「日本は悪い国だ!」ということを持ち出すんです。

これが、教科書問題であったり、竹島の問題であったり、今回の従軍慰安婦の問題であったり。

定期的にこういう問題を蒸し返すのは政治の側であって、日本を悪者にすることによって、国民の目を自分たちの悪事や不都合なことからそらして、世論をコントロールることに使われてきました。

これは韓国の指導者たちの常套手段だったんです。

 

今回も、政治の混乱にかこつけて、この問題がまた出てきたということは、タイミング的にぴったりだと思いませんか。

 

こういうことが韓国の政治では繰り返し繰り返し行われてきて、国民は上手に操作されてきているというのが韓国の実態なのです。

 

(つづく)