教育は質より量ですか?

今日は団長と助役と一緒に大垣の養老鉄道を訪問します。

 

団長と一緒なので、たぶん今夜はブログを書いている時間はないだろうし、あっても燃料補給でブログを書ける状態にないだろうから、今のうちに書いておきましょう。

 

私がどうも気になるのは文科省の話。

 

都内の大学の定員増加は認めないという例のアレ。

 

それこそ話題の小池知事が、「おかしいんじゃないの?」と疑問を投げかけていますが、東京への一極集中をこれ以上させないために、大学の定員を抑え込めば地方の大学に学生が分散化して、東京への一極集中を防ぐことができるだろうというそういうお話のようです。

 

どうしてこういう頓馬なことを役人は考えるのかなあ。

 

獣医学部の新設は過去50年間認めていないから、今後も認めない。

というのもそうでしょう。

あれだって、安倍さんばかりにスポットを当ててマスコミは国民を煽っているけど、獣医が足りないと言っている問題は誰も議論しない。

獣医が増えすぎると困るからという数の話だけなんです。

 

つまり、文科省の政策を見ると、大学って、質より量なんですね。

数でコントロールしようとしている。

 

それっておかしいですよね。

 

学問は量より質であるべきでしょう。

 

私は子供の頃、先生にも親にも反抗していて、「1日2時間勉強しなさい。」とか「1日2時間机に向かいなさい。」と言われて、意地でも机に向かわなかった。

だって、勉強って時間の勝負ではなくて内容の勝負だから。

 

いくら先生や親が言うとおり、毎日2時間机に向かって勉強したとしても、試験が通らなければダメでしょう。

だから、その分秘かに集中して勉強するかにチャレンジして、とにかく先生や親の前では勉強していないふりをする。

毎日遊んで、学校でも家でも傍らに置くのは教科書や参考書ではなくて時刻表。

でもって、授業中は集中して先生のいうことを聞いていないふりして、実はしっかり聞く。

聞いていないふりをすることに集中するわけ。

そうすると先生それぞれの傾向というものがわかってきて、大切なところとどうでも良いところが話し方でわかるようになる。

でもって、その瞬間にそこを覚えてしまう。

教科書に小さな印をつけておいて、復習や試験前はそこだけやる。

そういうやり方をしていました。

だから勉強は量より質だと今でも信じています。

 

ところがその教育の元締めが、質より量だというのですから、考えてみたらこの国の教育、特に公共教育と大学教育はここ数十年でどんどん質が低下していて、今では見るも無残。

日本で一番優秀な人間が集まると言われている東大なんか、東南アジアの大学にどんどん抜かれていて、教育の元締めはそれに対して何の対策も取れない。にもかかわらず、質より量だと言って、時間数や定員数でコントロールしようとしているのですから、小池さんじゃなくたって、誰だって怒りますよね。

 

だいたい、公共的なサービスはミニマムのサービスでありますから、かゆいところに手が届かないとか、満足するサービスではないなど、それに期待する方がおかしいと私は考えることにしていて、学校に関しても自分が高校まで公立を出た経験と、学習塾で働いていた経験から、自分の4人の男の子は全員高校から私立へ行かせましたし、経済的には厳しいけれど、それが私自身の子育ての目標だったから、その分一生懸命働いてお金を稼いできました。これが実践ですね。

 

ということで、長年文科省が学校教育を担当してきて、その結果として学校教育がおかしくなっているのであれば、私はそこに原因があると考える方が自然の摂理に合っていると思っています。

だから今、一番面白そうだなあと思うのは、金融庁が管轄する地方銀行や信金に地元で学校をやらせてみてはどうかということで、いろいろな所で提案していますが、なぜならば、日本人に一番足りないのはお金の教育ですからね。

優秀な人間が皆サラリーマンになってしまうような国はおかしいと思います。

もっともっと、いろいろなチャンスがあるはずなのに、みんなみんなサラリーマンじゃ稼ぐお金も使えるお金も限られますから、経済的にも活性化するはずはありませんからね。

 

とまあ、民間の感覚ではこんなことを考えるのですが、お役人の方々には理解できないでしょうね。

 

ただし、お役人が作った仕組みをうまく利用するのが民間ですから、私は定員を絞り込んだことで、東京の大学には大きなチャンスが巡ってくると思います。

それはどういうことかというと、良い人材がもっともっと多く集まってくるということ。

単純な話、間口が狭くなれば淘汰される人間も出てくるけど、その分、質が高くなりますからね。

そして、今の時点で学生集めに苦労している地方の大学は、今後ますますダメになるでしょう。

なぜなら、少子化ですから、分母そのものが減っていくわけで、質で勝負することをしなければ、いずれダメになる。

 

だったらどうするか。

決まってるじゃないですか。

質で勝負に方針変更です。

特色ある学校づくりで頭の良い学生を集めれば、さらに質が高まりますから、上昇スパイラルに入れるのです。

事実、秋田では特色ある教育カリキュラムで全国から学生を集めている大学がありますから、場所じゃないんですよね。

 

ということは、ローカル線だって全く同じで、それは田舎の町だって同じだということです。

 

東京への一極集中という人の流れやお金の流れを無理に変えようとすることは、私はやめた方が良いと思います。

 

なぜならお金の流れを無理に抑え込もうとしたお役人さんたちが、あまりにも急激にバブルを崩壊させたために、その痛手から日本は25年以上たっても回復できないのですから。

教育というのは、50年、100年の国家作りでありますから、50年やってきてうまく行ってないなら、その部分にメスを入れるべきなのです。

 

そしてそれは、ローカル線問題も全く同じなのです。