112歳、世界最高齢の渡邉智哲(わたなべ・ちてつ)さんというおじいちゃんがお亡くなりになられたというニュースが流れてきました。
実は、新潟県上越市に御在住の方で、新聞記事に出ていたセレモニーホールは直江津駅のすぐそばのようです。
こちらのテレビではつい先日、ギネス世界一に認定された時のお元気なシーンがニュースに出ていましたので、その方がお亡くなりになられたと聞いてちょっと驚きました。
この記事によると戦前は台湾の製糖会社にお勤めになられていたとのこと。
その後、定年まで県の出先機関に勤務されたとありますが、1907年生まれということは終戦が1945年ですから、終戦の年は38歳ですか。
1964年の東京オリンピックの時は57歳。当時の定年は確か55歳か57歳ぐらいでしたから、56年前の東京オリンピックの年にはすでに定年になっていたということになりますね。
そう考えてみると長寿と云うのはちょっと恐ろしい気がします。
今は人生80年時代ですから65歳まで働いて、あとの15年を悠々自適に暮らせばよいかもしれませんが、人生100年時代になると80歳まで働かなければならなくなります。
国の年金制度などを見ていると、そろそろそうなる準備をしなさいと言われているようですが、平成生まれの方々はほぼ間違いなく100歳近くまで生きる時代になると思いますので、なかなかどうして、大変な時代になるのでしょう。
大きな課題であります。
でも、この渡邉のおじいちゃん、戦前に台湾の製糖会社で働いていたということですから、ちょっとお話を聞いてみたかったなあ。
もう少し早く、そうですね、あと30年ぐらい早く知りあっていたら、それでもおじいちゃんは80過ぎでしたけど、いろいろお話を聞くことができたかもしれないと思うと、惜しいことをしました。
私が台湾の鉄道にはまって通い始めたのはかれこれ15年ほど前のことですが、そのころ、列車の中で日本人だとわかると、やたら話しかけてくるおじさん、いや、おじいちゃんをよく見かけました。
「あんた、日本人か? そうか、懐かしいなあ。」
たいていはこんな風に会話が始まって、
「私は茨城に居たんだ。第〇〇連隊に所属して・・・」
なんて遠くを見るような目でお話をされていたおじいさんたちによく出会いましたが、そういえば最近はそういうおじいさんにも出会わなくなりました。
明治、大正、昭和、平成、令和の5つの時代を生き抜いた世界最高齢の渡邉のおじいちゃん。
お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
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