ここには「なにもない」があります。
ちょっと禅問答のようなキャッチコピーですね。
英語で言うと "We don't have any specials here." ということになるでしょうか。
観光のポスターに「なにもない」などと使うことは前代未聞だったかもしれません。
なにしろ、観光ポスターというのは、集客のために作るわけですから、「なにもない」などと言うとお客様には来ていただけないというのが、観光業界の常識でしょう。

では、なぜ私がこんなポスターを作ったか。
それは、うちの職員や地域の人たちに、自分の会社や沿線地域が、実は素晴らしいものだと考えてもらいたかったからです。
都会から来た観光客に、「せっかく来たのに、何もないじゃないか。」とクレームを付けられて、「すみません。」と頭を下げている応援団の人たちの姿を見たり、またあるときは「ムーミンがいるって聞いてきたんだけど、いないじゃないか?」と言う観光客がいたり、その度に応援団の人たちや、あるいはいすみ鉄道の職員が肩身が狭い思いをしなければならないようであれば、ただでさえ自分たちの地域や会社に自信が持てない人たちがどんどん萎縮していきます。そんな構造を許していたら、日本の田舎なんていつになっても元気になるはずはありません。
だから、私はこのポスターを作って、駅構内や列車の中に貼ったのです。
それでも、テレビとか見て、何かを期待してやってくる人の中に、田んぼの中の無人駅に失望して、「せっかく来たのに何もないじゃないか。」とクレームをつける人がいます。でも、このポスターさえ貼ってあれば、地元の人もうちの職員も謝る必要はありませんからね。
「せっかく来たのに何もないじゃないか。」と言われたら、
「そうなんですよお客さん、これがいすみ鉄道のポスターですから」って言ってニコニコしていればよいんですから。
だって、会社が「なにもない」って言ってるんですから。
でも、そうすると、やはり現代は口コミの時代ですから、悪いうわさほどパーッと広がります。
「いすみ鉄道なんて行ったって、面白くないぞ。だいたい、会社も地域住民も開き直っていやがって。」
てな感じでしょうか。
すると、ふつうに考えて9割の人は来なくなります。
これは旅行のマーケットで言ったら9割の人というのは有名な観光地に行く人たちですからね。
そういうことが旅行だと思っている人たちが全体の9割だと思いますが、今の時代は非日常体験ができれば旅行だという人たちが1割ぐらいいるものですから、その1割の人たちにとってみたら、「何もないんだって。なんか面白そうだね。」という話になります。ましてインスタ映えなどと言われる時代ですから、そういう人たちは、他の人たちが行かないようなところへ行ってみたいという性向があります。ガイドブックをトレースするのではなくて、自分だけの場所を探してみたい人たちです。
私たち千葉県は首都圏をマーケットにしています。
首都圏には3500万人の人口が言われていますから、10人中9人などどうでもよいと私は思います。
10人に一人、1割の人たちが、このポスターに「おっ、いいねえ。」と思ってくれるだけで350万人ですからね。
そして、さらにそのうちの10人に一人が1年に一度いすみ鉄道に本当にやってきてくれたら35万人ですよ。
ひと月あたり3万人が土日シーズンに集中することになります。
そんなときに、いすみ鉄道は1両か、せいぜい2両の列車が1時間に1本走っているだけですから、ひと月に3万人が土日に集中したら、それこそパンクしてしまいます。
つまり、自分の会社や地域のキャパを考えて商売をやりましょう、ということ。
これが私の観光地戦略です。
なぜなら、日本の田舎って、「いいところですから、みなさん来てください。」ってことを言いすぎるんです。
房総半島の沿線の観光ポスターを見ると、みんな海岸線や砂浜ばかりの時代がありました。
でも、それって一堂に並べてみると、どれもみな一緒で区別がつかないんです。
だから、集客ツールとしてのポスターの意味をなしていないのです。
そして、実際に行ってみると、今の時代はどこも大したことない。
それは、映像や動画でいくらでも情報が入ってくる時代ですから、残念ながら千葉県はどこへ行っても一般的な意味で観光地としての魅力に欠けるところが多いです。
ローカル線だってそうですよ。
今の季節はいすみ鉄道でも沿線にアジサイが咲いてますが、アジサイといえば箱根登山鉄道には逆立ちしてもかないません。
清流が流れていると言えばわたらせ渓谷鉄道にはかないませんし、蒸気機関車なら真岡鉄道で走っています。
海岸線を走ると言えば、そりゃあ江ノ電だし、富士山が見える路線なら富士急でしょう。
だから、都会の人たちに向かって、「いすみ鉄道は良いところですよ。」などと言っても通じないのです。
つまり、いすみ鉄道は都会の皆さんの選択肢に入らないようにするのが戦略。選択肢に入って選んでもらうような戦略だと、来ていただいたお客様から、「なんだ、大したことないね。」となってしまいますからね。
「せっかく来たのに何もないじゃないか。」というのは、こういうことなのです。

ほら、本当に何もないでしょう。
でもね、東京から1時間のところで、こういう景色が広がっていることは大きな価値があるんです。
そういうことがわかる人たちが、首都圏に100人に1人いれば、私はそれで十分だと思います。


田んぼの中を走る国鉄形ディーゼルカーは昭和の原風景。
こういう人たちは、この風景の価値がわかります。
そして、彼らは皆、都会から来ているんです。

▲菜の花の季節には田んぼの中が賑わいます。
でも、菜の花が咲いているから賑わっているわけではありません。

▲1月の同じ場所。枯れ野原の真冬だって、こんなにたくさんの人たちが来ています。

▲炎天下の夏だって、こんなにたくさんの人たちが来てくれています。
そして、彼らは異口同音に、「ここは良いところですねえ。」と言ってくれます。
それは、観光というのはファンビジネスですから、いすみ鉄道に来たくて、この場所に来たくて、遠くから来てくれているからなんです。
だから、ニコニコ笑いながら、「良いところですねえ。」と言ってくれる。
いつもいつもこの場所で、都会からやってきた人たちが、「良いところですねえ。」と言ってくれれば、地元の人たちだって、まんざらでもないと思います。
そういうことが、今、沿線各地で起こっているのです。
それまでは、「こんなところダメだよ。」と言っていた人たちが、「俺たちの町は良いところでしょう。」と思うようになれば、土地の力というのが徐々に強くなっていくと私は考えています。
そして、この場所というのは、もとはと言えば、このポスターの写真を撮った場所なのです。

いすみ鉄道は千葉県の房総半島です。
千葉県の房総半島に都会の人たちが何を期待するかといえば、そりゃあ真っ青な太平洋ですよ。
でも、うちは海岸線は走らないんです。内陸路線ですから。
富士山も見えません。
清流も流れていません。
蒸気機関車を走らせるお金もありません。
「じゃあ、ダメなんですか?」
私は違うと思います。なぜなら日本の田舎は、今持っているもので勝負しなければならないからです。
「そりゃあ、うちだって海岸線を走って富士山が見えれば江ノ電ぐらい人は来るんだけどね。」
そんなこと言ったってしょうがないでしょう。
ないんだから。
でも、いすみ鉄道が「何もない」というポスターを1枚作っただけで、田んぼの真ん中が季節を問わず観光地になるのであれば、日本の田舎はどこでも観光地になれるのではないでしょうか。どこにでもチャンスはあると思います。
ありがたいことに、今はそういう時代になったということなのです。
私は、日本の田舎には石ころなんて落ちていないと思っています。
落ちてるのはみな宝石の原石なんです。
だけど、磨き方がわからないんです。
でも、いすみ鉄道がポスター1枚で田んぼの真ん中が観光地になるのであれば、日本中どこだって、お金がなくても、やり方次第で、いくらでも人気のスポットになるはずです。
私がいすみ鉄道でやってきたことというのは、こういうことなんですね。
そして、それが、「ここにはお金が落ちています。」ということなのであります。
(おわり)
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