タラコの気持ち

いすみ鉄道で走っているキハ52を国鉄首都圏色に塗り替えるという発表をしました。
その途端に会社にはたくさんの電話がかかってきて、そのほとんどが「今のツートンカラーの方が良いのになぜ塗り替えるんだ。」という内容だったようです。
中には「もう、いすみ鉄道を応援するのをやめます。」などという人もいたりして。
まあ、そういう短絡的な判断をされる方は、それはそれで仕方ないと私は思います。
以前にもお話をしましたが、私も国鉄時代に育った人間ですから、一般型気動車の色としては今のツートンカラーが一番しっくりきてると思いますし、タラコと呼ばれる首都圏色には、何となく違和感があるのも事実なんです。
だから、電話を掛けてきて抗議するような人の気持ちも解らないではありません。でも、私が、タラコ色に塗ると言った途端にすぐ電話をかけてくるような人は、どちらかというといすみ鉄道にかかわりの薄い人が多いんじゃないかと思うのです。
遠くから思いは寄せてくれているけれど、実際には乗りに来たり、写真を撮りに来たりすることがあまりない人なんじゃないかなということです。
なぜなら、私のブログを見たり、FACEBOOKで交流していたり、いすみ鉄道に乗りに来たり沿線に写真を撮りに来ている人であれば、その交流の中で、昨年の11月ごろからタラコ議論が進んでいることを少なからずご存じのはずですし、キハ52の塗装が相当傷んで来ているのも気づいているはずですから、そういう人であれば、そんな話は寝耳に水というか、青天の霹靂のように、「なぜ塗り替えるんだ。」などという電話をかけてくることもないと思うのです。
確かに、そういう人は、いすみ鉄道でキハ52やキハ28が走っていることがとてもうれしくて、「いつか乗りに行きたいなあ。」と思ってくれているとは思いますが、残念ながら、そういう空想ファンの皆様方のおかげで(実際には乗りにはこないから)ローカル線は過去40年間次々と廃止になってきているのも事実なわけです。
ローカル線に思いをはせてくれている皆様方は、とてもありがたい存在ではありますが、ローカル線はまず乗りに来てくれる人のため、そして、いすみ鉄道の場合は写真を撮るだけでも良いから、足しげく通ってくれる人のために走っています。
ですから、私は、そういう人たちが電話で何と言おうとも、キハ52をタラコ色に塗るのです。
では、なぜ、アンチタラコ派の私がタラコ色に塗ることを決めたかというお話をいたしましょう。
それは、まず第一に、現在の塗装がかなり傷んで来ているということ。
キハ52は来年の2月、平成27年に全般検査を迎えますが、通常、車体の塗装は全般検査の時に行うものですが、それまでの1年間、どう見ても今の塗装状態では持ちそうにない。
いすみ鉄道の看板娘が、ボロボロでは、それなりに味があるにはあるでしょうけど、皆様方から写真を撮られるには、やっぱりかわいそうですからね。
そこで、では何色に塗りましょうか、という話になりましたが、現状ではいすみ鉄道はお金がありません。塗装費用も最小限に抑えたい。
そして、塗装作業期間には列車が運休になりますから塗装期間もできるだけ短くしたい。
そうなると、2色で塗るよりも1色で塗った方がコストが低く、効率が良いことは明らかで、これは、考えて見ると、国鉄時代と同じ意思決定なわけで、つまり、赤字国鉄が首都圏色を導入した時の、できるだけ安く短期間で仕上げたいというコンセプトなわけです。
そして、これは実は意外なことだったんですが、最終的にタラコ色に決定したのは、私の周りにいる8割以上の人たちが、皆さん「タラコ色が良い。」と言ったことなんです。
私はいろいろな人に話を聞きましたが、8割と言えばマジョリティーで、ほとんどの人たちですが、皆さんタラコ色と言います。
はっきり言って、信じられない気持ちでした。
以前のブログにも書きましたが、タラコ色は国鉄時代末期の「手抜きの産物」なわけで、私から見ると、こんなみっともないことはありませんし、そういう色に塗ることが恥ずかしいんです。
でも、周りのほとんどすべての人たちがタラコ色が良いという。
なぜなんだろうか。
どうしてなんだろう。
不思議でしょうがなかったのでいろいろ考えたんです。
そして気付いたのが、タラコに塗るのに賛成の人たちの年齢が、だいたいですが40歳代以下。
大ざっぱにいうと50歳を境に、タラコ色賛成派と反対派に分かれるのです。
国鉄がこのタラコ色を導入したのが昭和52年ごろからですから、普及するまでに4~5年かかったとして、全国的にタラコが定着したのが昭和57~8年。
今から30年前ですから、50歳以下の人たちはそのころ高校生や中学生以下だったわけで、考えて見れば一番多感な頃。鉄道趣味に没頭していたか、初めて旅に出た時かは知りませんが、人生のとても重要な、多感な時期に出会った思い出の車両がタラコ色だったということなんです。
私はそのころもう20歳を過ぎていましたので、私にとって多感な頃の列車はタラコ以前の今のツートンカラーであったり、蒸気機関車の引く旧型客車でしたから、その想い出の列車を駆逐したタラコ色がどうも好きになれないのですが、ここで気が付かなければならないのは、そういう50歳以上のタラコ反対派の人たちは、どちらかというと徐々に少数派になっていて、今の時代はすでにタラコ賛成派の人たちが主流になって活躍しているということなんです。
そして、とういうことは、マーケティングを考えた場合にも、お客様の層がタラコ好きの割合が多いということで、50歳以上のアンチタラコの人たちは、お客様としても主流ではなくなっていくということになりますから、商品としてのタラコの可能性がずいぶん大きいんじゃないかと見るわけです。
ツートンからタラコに塗り替えると発表して憤りを感じたりガッカリされている50歳以上の皆様方へ申し上げます。
ご自分の周りをよく見渡してみてください。
サラリーマンの方はそろそろゴールが見え始めていたり、すでに会社を追い出されて悠々自適だったりじゃないですか。
子どもが成人になったり孫ができたりしていませんか。
ご自身じゃなくても、同級生や友人にそういう方々がいらっしゃる年齢でしょう。
そういう人はこれからどんどん少数派になって行くというのが現実なんです。
もちろん私もその1人ですが、そういう年齢の人たちが考えなければならないのは、自分のことじゃなくて、次の時代を背負って立つ人たちを育てること。
鉄道趣味にしたって、自分たちのやってきたことをきちんと後輩に伝えて行く年齢になってきているということなんです。
タラコが嫌いだなんて自分中心のことを言っている場合でもなければ、すでにそういう年齢でもないんです。
だから、私は、私の責任として、50歳以下の後輩たちにタラコの夢を見せてあげたい。
そうすることで、彼らがまた次の世代に繋いでいくということの大切さを知ると思うんです。
そうやって、鉄道を通して、いろいろな世代の人たちが交流したり、私たちが体験してきたことを、未体験の若い人たちに伝えて行くことで、ローカル線を思う心も一緒に次の世代へ引き継がれていけば、ローカル線というものが、多感な世代の心に深く焼き付いて、その人たちが日本のこれからを作って行けば、日本の未来は明るいんじゃないかと思うのです。
いすみ鉄道に足しげく通った若い人たちが大人になれば、いすみ鉄道沿線をふるさとに思うようになる。
そういう人たちが日本の中心で活躍する時代が来れば、ローカル線の未来は開けると信じたいのです。
先日もお話ししましたが、1年後のキハ52の全般検査に多額の費用が掛かります。
それだけの費用をかけて検査を通したとしても、あと何年車体が持つかわからない状況です。
だから検査を通すかどうかの判断は微妙な所なんです。
2011年に走り始めて、もしかしたらキハ52のいすみ鉄道での活躍は2015年までの4年間になるかもしれません。
だから、3年間ツートンカラーで走ったキハ52の、最後の年になるかもしれない1年間は、せめて若い人たちの夢をかなえてタラコ色にして走らせよう。
これが私のタラコの気持ちです。
1年間しかないかもしれませんから、菜の花の季節も、桜の季節も、アジサイも彼岸花も、みんなタラコとの組み合わせは1回しかないかもしれません。
そうすると、たくさんの人が来てくれる。
そのうち行こう、いつか行ければいいなあと思っていた人たちも、重い腰を上げて乗りに来てくれる。
そうなれば増収になって、そのお金でキハ52が延命できるかもしれないし、キハ30が車籍復活できるかもしれません。
うまくすれば、キハ28と連結できる国鉄形をもう1両導入できるかもしれません。
そういういろいろな可能性がいすみ鉄道にはあるわけで、これがローカル線が持つ限りない可能性なんです。
だからチャレンジする価値があるんです。
ということを実践することで、若い皆さんたちに、自分の人生も頑張ってもらいたいと、アンチタラコ派としては切に願っているのです。
だから今、タラコの時代なのです。


現在のツートンカラー(上)とタラコ色したキハ52。川田光浩さんのFACEBOOKページから。
色々なところで色々なうわさが飛んでいるようですが、これがタラコの真相です。
だからみなさん、ぜひタラコ色も楽しんでくださいね。
いすみ鉄道は、タラコ色に懸けているんです。
現行のツートンカラーでの走行は2月16日までになります。
皆様方からのリクエストを受けて、それまでの期間中はヘッドマーク無しで走行する予定です。
(取材撮影が入っている日、貸切日を除きます。)
冬枯れの里山を行くキハの2両編成の旅をどうぞお楽しみください。