危機管理学部を擁する最高学府の運動部が遅きに失した記者会見を行いました。
いったいどういう記者会見になるのだろうかという点で興味があった私は、最初と最後だけ、ちらっと実況生中継を見ましたが、「ああ、なるほど。これがこの学校の危機管理の実態なのか。」と思いました。
これじゃあ、その運動部だけじゃなくて、大学自体の存続にかかわりますよね。
だって、会見場に現れたコーチの姿は一目見ただけでどう見てもヤクザかチンピラ。
あのヘアスタイルにメガネ、スーツ。
こういう記者会見の時は、まず第一印象が大切だというのは危機管理のいろはの「い」なのでありますが、まったくそれがわかっていない。
どうしてわかっていないのかというと、たぶん誰も教えてくれる人がいないのでしょう。
前日の学生本人の記者会見を受けて報道陣が大学に駆け付けた時の広報担当者のしどろもどろとした対応を見ると、この大学で教えている危機管理の程度がわかるというもので、そういう大学がお膳立てした記者会見ですから、つまりはテレビカメラの前に立つときに、自分がどのように見えるかなんてことは、まったく誰も教えてはくれないのです。
そして、そのヤクザかチンピラのような容姿のコーチの会見を見て国民の誰もが思うことは、「ああ、あれじゃあ、昨日の学生本人が言ったことは真実だろうなあ。」ということで、コーチや元監督が何を言おうが、まったく信用してもらえないというのが、この大学の危機管理なのです。
何しろ、監督本人は自分は辞任したから「元」監督ですと言って悪びた様子もなく、まるで他人事のような印象を受けるわけで、事実かどうかとか、良い悪いの問題でなく、相手にそういう印象を持たれること自体が、危機管理上は失策なのでありますが、そういうことすらわかっていないところを見ると、この学校のEPは考えるまでもない程度であることがわかるというもので、だとすれば、今後のBCPもできていないということは推して知るべしということでしょう。
そして、BCPができていないということは、運動部だけではなくて、このままでいくと、学校そのものが無くなるのです。
さて、ではなぜ運動部の指導者たちがこういう姿なのかというと、それは、日本の学校における運動部というのが、生徒や学生、選手たちが指導者に対して、あるいは上の人間に対して口答えをしてはいけないという前提で成り立っているからです。
つまり、「おかしいな」と疑問を持っても、生徒や学生は、その疑問をコーチや監督に言ってはいけないという教えの中で長年やってきているのが日本における運動部の実態ですから、コーチや監督にとってみたら自分たちは当然のように頂点に君臨していて、下の意見など何も聞く必要がないという組織が当然と思っているからなのです。
学生にとってみたら、監督やコーチの言うことは絶対であり、「潰してこい。さもないと、今後試合には出さないぞ。」と言われれば、当然のように、言われたことをそのまま理解して行動に移すのです。その上で、コーチや監督の側としては、「こちらの言ったことの真意が伝わっていない。」などと言うのは自己弁護のための言い訳に過ぎず、そういうところが記者会見のテレビカメラの前で全部出てしまっているのです。
だって、相手は口答えの一切できない選手であり、そういう構造の組織であることを前提に、監督が発言すれば、今回のようなことが起きるのは当たり前なんですから、そうなってしまったことを、あくまでも「真意は違った」などと言い逃れをする様子は、選手のことやチームのことなどまったく考えていない、責任逃れの自己弁護の見苦しさととられてしまうのです。
私は以前からこういう運動部の体質というものに大きな疑問を持ってきていました。
それは、高校野球を見ていてはっきり感じていたのですが、例えば、もうかなり以前のことになりますが、甲子園にラッキーゾーンがあったころのこと、大きく上がった外野フライがラッキーゾーンのフェンスの前でワンバウンドして、フェンスの向こう側に入ったことがありました。外野の選手が追っかけて行って、ワンバウンドしてフェンスの向こうに球が入ったので追うのをやめたのですが、その時、審判は手を大きく振って「ホームラン」と判定しました。そして、ゲームはホームランとしてそのまま処理されました。これは明らかに誤審ですね。審判が間違えているんです。でも、追いかけていった外野の選手も、他の選手も、監督も一切抗議しない。私はテレビで見ていたんですが、テレビのアナウンサーも「誤審」とは一言も言わない。そして、ホームランとして得点が入りました。
つまり、高校野球では連盟であり審判でありが絶対であるわけで、誰もアピールすらできない。そういう環境の中で、審判員が適当なジャッジをしているんです。そして、それは一切とがめられないという自分たち優位の世界。こういうことがまかり通るのが高校野球の世界であり、甲子園ですらそうなのですから、運動部の世界というのはどこでもそういうところということになりますね。
その後、自分の息子も高校野球の世界に入り、ずいぶん熱心に練習を重ねてきました。でも、不祥事を起こした学校でも、監督が野球連盟の有力者であればそのチームはお咎めなしといった上層部のやり方を見ると、父兄ばかりでなく本人たちだって疑問を持ちますよね。だけど、そういうことは一切口に出してはいけないのです。だから、何も言わないでいる。そういうことが繰り返されていくと、最初から疑問を抱くことすらなくなる。これが運動部の世界です。
だから、ある意味、指導者たちに実に都合がよいようにできている。ミサイルを打ち上げて喜んでいるどこかの国と本質的構造は全く変わらない世界が運動部の世界なのです。
私は自分が学生のころからそういうことに気が付いていましたから、できるだけそういう世界には近寄らないようにしてきましたが、自分の息子が高校野球をやって、大学へ行っても野球をやると決めたことに対しては、微笑ましく見てきました。ところが、その息子が、大学で野球を始めた途端に「辞めたい」と言い始めたのです。「どうして?」と尋ねると、指導者とそりが合わないとか、情熱がなくなったといいます。もっと詳しく聞くと、上の人間がくだらなすぎるというような、どうも穏やかではありません。
入学してしばらくは、「がんばりなさい。」と言って励ましていたのですが、あることをきっかけに私は「辞めてもいいよ。」と言いました。そのあることというのは、4月の下旬に息子が「休部させてほしい。」と口に出した途端、監督が言った言葉は、「そういう人間はゴールデンウィーク中は寮にいてはだめだから寮を出ていけ。」ということ。親元を離れ、遠く離れた地で寮生活を送っている息子に、ゴールデンウィーク中は寮を出て行けということは、どこへ行けということなのでしょうか。
私はその話を聞いて4月の26日ぐらいにそういうことを言うのか?と思いましたが、何しろゴールデンウィークですからこちらへ戻ってくるための飛行機の切符だってなかなか取れません。ところが、息子がそう言うと監督はスマホで予約サイトを見せながら、「ほら、座席は空いてるだろう。」と言ったとか。そりゃあ片道4万出せば取れますよ。でも、そんなことをいう程度の常識なんですね。相手のことなど全く考えていないのですよ、運動部の指導者は。仕方なく息子は寮を出て2晩ほど友達の下宿に居候して、こちらで切符を取ってあげたLCCで帰宅しました。
その後、高校時代の先生に相談をして、ゴールデンウィーク明けに大学へ戻って「退部届を出させてください。」と言ったところ、今度は「辞めるなら1週間以内に寮を出ていけ。」とケンモホロロに寮を追い出されることになり、私があわてて飛行機で出かけて行ってアパートを契約してきて、約束通りに1週間以内に退寮してアパートに引っ越すことができましたが、つまり、指導者であり教育者であるはずの人間が、運動部の責任者となると、まったくそうではなくて、王様か殿様のように絶対服従。従わなければ目の前から消えろという態度に出るわけで、それを50のおっさんがやるのですから、18・9の学生にしてみたら、これはものを言える環境ではないのです。
この点においては、息子の通っている大学の野球部も、ニュースにならないだけで今回のアメフト部と全く同じ構造があることを感じますが、テレビで記者会見をした学生本人を見ていて、まるで自分の息子を見る目で見ていた自分がいたのでした。
さて、では、どうして運動部の連中がそういう風になるのかと言えば、これは間違いなくDNAで、監督にしろコーチにしろ、あるいは連盟の理事たちにしても、かつて自分たちもそうやってがんばってきて今があるわけですから、当然のように部下や学生たちにもそれを要求するのでありまして、それにプラスして、上の人間に疑問を持ってはいけないという教えでありますから、自分が上になった時には下の人間に同じものを求めるのであります。こういう実にくだらないシステムがDNAに組み込まれて、強いとか弱いとか、一生懸命やっているとか、そういうことではなくて、最高学府といえども脈々とこのシステムが流れているのがこの国の運動部でありまして、今回の記者会見で、違和感以上に不快感を感じるのは、彼らの常識が、一般社会では全く通用しないということなのであります。
だから、私も、自分の息子が、できるだけ早い時期にそういうことに気が付いて、疑問を持って、勇気を出して指導者に進言し、その結果として辞めるという決断をしたことは、実に立派な決断だったと思いますし、寮を追い出されて途方に暮れることになったとしても、若いうちなら人生の糧にできるだろうことなので、早く決断してよかったなあと、このアメフト部の記者会見を見ていて、改めてそう確信したのであります。
何しろ、今回の騒動の日大もそうですが、大学のスポーツも高校のスポーツも、今や良い成績を残すことが至上命題になっているところが実に多く、教育として健全な精神と健全な肉体を・・・などと言っているようでは甘いのであります。なぜならば、そういう学校はスポーツで上位に食い込むことが広告宣伝になって、それで学生を集めて、それで経営が成り立っているという構造があるからなのです。そして、そういう学校を出た学生を企業は好んで採用するというのも事実ですから、学校としては、自分のところに良い生徒を集めるために、運動で結果を出すことに必死になる。これが、「潰してこい。やらなきゃ意味ないよ。」なのです。
ではなぜ、そういう運動部出身の学生を企業が好んで採用するかと言えば、チームワークだとかなんだとかきれいごとを言っていますが、一言で簡単に申し上げれば使いやすいからなんです。だって、上の人間に意見を言ったり口答えをするという機能を脳みその中に持ち合わせていないのですから、これは兵隊の駒としては実に使いやすいわけで、運動部の学生を好んで採用する会社というのは、指導部と兵隊とが組織上完全に分かれている会社ということになるのであります。
ということで、今回の記者会見を見ながら、もし私が採用する側であったら、このような強豪校と呼ばれる学校の運動部出身者は絶対に採用しないと心に決めたのでありました。
でも、そんなことを言ってる前に、私の方が職を失うわけでございますから、運動部の学生の皆様はどうぞご安心の上、学業、運動に励んでください。
でも、少しぐらいは頭使えよな。
というのが、私からのメッセージですよ。
レスリング界と言い、相撲界と言い、スポーツの世界に巣食っている病魔はかなり根深いものがあると私は見ていますが、このまますべてがうやむやになるようだと、アホな指導者たちのやりたい放題は永遠に続くのであります。
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