記憶の残照

今日は上野に行く仕事がありました。

 

少し時間があったので、ふだんは行かないところへ行ってみました。

 

 

不忍池(しのばずのいけ)です。

東京育ちの文学青年のなれの果てとしては、不忍池に来て思い出すのは森鴎外。

「雁」のラストに出てくるのがここですからね。

 

 

この池の裏手をまわるとこの坂に出ます。

 

昭和世代の方ならご存知の無縁坂です。

 

長崎生まれの彼がなぜこの坂を題材にしたのかは知りませんが、あの有名な曲はまさしくここなんですね。

 

そして、この坂の途中にあるお寺。

 

 

 

 

ここはうちの菩提寺なんです。

 

昔よく連れてこられた記憶があって、ふとそのことを思い出して今日40年ぶりに訪ねてみました。

 

東京は土地が狭いので、菩提寺と言ってもここにはお墓が無くて、うちのお墓は雑司ケ谷。

だから、お墓参りはいつも雑司ケ谷で、この菩提寺に来たのは勝浦のおばあちゃんが亡くなって葬儀を上げて以来。

だから本当に久しぶりで、正確には38年ぶり。

記憶はだんだんあいまいになって来ているけど、久しぶりに訪ねてみて思ったのは、確かに子供のころ連れてこられたのはこのお寺なんです。

私のかつての本籍地は中央区築地7丁目。

ここに菩提寺があって、お墓は雑司ケ谷。

どういう経緯でそうなったかは、親父も伯父さんも皆いなくなってしまいましたので、今となっては知る由もありませんが、子供の頃、この坂を登ってこのお寺にやってきて、お坊さんのお経を聞いて、終わったら坂の下の東天紅でみんなでおいしいお料理をいただいてお開きになるのが我が家の習わしだったのです。

 

皆さんそれぞれ子供の頃の思い出はおありだと思いますが、東京生まれの東京育ちの人間にとってみれば、こういう都会のマンションの片隅にひっそりとたたずむお寺が、大切な思い出の場所だったりするわけなのです。

 

ちなみにここは父方の菩提寺でありまして、私は10代の頃に父と生き別れになりましたので、その後はこのお寺にも来ていませんが、母方はというと板橋の不動通りの成田山観明寺。

この間、鉄道ジャーナル社のTさんと話していたら、実は同じお寺だったことが判明しました。

 

世の中狭いですねえ。

 

ということで、今夜はこちらをお聞きください。

 

こういうことをふと思い出すということは、爺になったということなんでしょうね。