数日前の話ですが、山口線の蒸気機関車の撮影ポイントで、列車の運転用に設置されている標識のひとつが盗まれたというニュースが伝わってきました。
多分、撮影するときに邪魔だと思ったのでしょうか。
抜かれたか根元から折られたかで、標識そのものが無くなっていました。
友人の鉄道ファンのMさんが撮影された写真に、その盗まれたのと同じ標識が写っています。
機関車の前にある黄色い「長門峡(ちょうもんきょう)」と書かれている標識です。
私は、こういう標識が入ると絵になると考える方ですが、見方によっては邪魔だと思う人もいるかもしれませんね。
想像力の低い短絡的な人だとしたら、「邪魔だから抜いてしまおう」と考えるのも無理はありません。
この黄色い標識は停車場が接近していることを運転士に認識させるためのもので、線路や制限速度にもよりますが、駅の手前200mぐらいのところに立てられていて、これを見て運転士が次の駅が停車なのか通過なのかを判断したり、ブレーキをかける準備をしたりするためのものですから、案内表示としてはそこそこ重要な標識です。
そこそこというのは、路線によっては設置されていないところも多いですし、運転士が常に自分がどこを走っているのかを認識していれば、なくても支障はないかもしれませんが、失念などのうっかりミスを防止するためには有効なものだと思います。
その点、信号機や速度制限標識などとは標識の持つ性格が違うかもしれません。
そして、停車場の接近を知らせる標識というのは、反対から来る列車にしてみたら、駅から発車してきたところにあるわけで、蒸気機関車の場合は、発車してちょうど煙を豪快に吐くところということですから、「邪魔だ!」と思うのも無理はないような気もしないではありません。
私が「邪魔だと思うのも無理ないかもしれない。」などというと、不法行為を認めているように感じる方がいるかもしれませんが誤解の無いように。勝手に抜いて盗むのは器物破損や窃盗罪ですから、絶対に認められません。
ただ、議論としての話として考えた場合、こういうことをするのが鉄道ファンだとしたら、鉄道ファンというのはとんでもないことをする奴らだという解釈になって、撮り鉄というのは何をするかわからない。だから、招かれざる客だ。という考え方になっていくのは、私は恐ろしいことだと思います。
事実、「とんでもない奴だ。」「死刑にしろ。」などという書き込みもたくさん見られるわけで、そう言っている人も鉄道ファンでありますから、そういう論調で盛り上がっているのを見ると、日本人の議論も将軍様の国家の人民と大して変わらないような気がするわけです。
さて、ここからが本題。
標識を切断したり引き抜く行為は認められるべきものではなくて、犯人が見つかればそれ相応の処罰を受けるのは当然のことでありますが、その話は終了するとして、標識の是非の話に移ります。
山口線でなぜ蒸気機関車が走っているかというと、これは基本的には地域輸送用ではなくて、都市間輸送用でもなくて、観光用です。
観光用としてJRは蒸気機関車の引く列車を走らせているわけです。
そして、観光というのは、今や産業であるというのは常識ですから、つまりJRは地域振興の一環として蒸気機関車を走らせていることになります。
では、その観光のお客様というのは誰でしょうか。
もちろんJRにとってみれば蒸気機関車の引く列車に乗っていただく乗客がお客様であります。
運賃を払って、特別料金も払って、わざわざ輸送としてではなく、観光列車に乗りに遠くからいらしてくれているお客様は、JRにとって見たらありがたいお客様です。
でも、蒸気機関車を走らせるというのは、地域振興の一環でもあるわけで、だとしたら、地域にとってのお客様というのは、JRの列車に乗るお客様だけではなくて、車で来たって、バスで来たって、沿線の観光地にいらしていただけるお客様は、地域にとってみればありがたいお客様であるはずです。そして、皆さんが二言目には嫌っている「撮り鉄さん」たちも、地域にとってはありがたいお客様なのです。そして、そういう人たちはみなさん、JRの蒸気機関車のファンで、わざわざ遠くから写真を撮りにいらしていただけるお客様なのです。
だったら、どうでしょうか。そういうお客様が、満足できるような写真が撮れるような沿線の環境整備をしてもいいのではないでしょうか。と、私は考えるのです。
線路沿いの無粋な柵が邪魔であれば、写真の邪魔にならないような柵に取り換えてあげてもいいのではないか。
電信柱が邪魔なら、邪魔にならないように考えてあげてもいいのではないか。
そして、標識が邪魔なら、邪魔にならないような対策を取ってあげればよいのではないか。
私はそう考えるのです。
なぜなら、いらしていただけるお客様はその鉄道やその列車のファンであり、その土地のファンであり、そういう人にいらしていただければ、何らかの形で地域貢献していくというのが観光が産業であるという考えのゆえんであるからです。
日本全国を見てみるとすぐに気付きますよ。
観光でいらしていただけるように、例えば古い街並みを再現して電線地中化をしているところなどいくらでもあります。
無粋なもの、邪魔なものを極力撤去して、観光客が満足できるような写真を撮っていただけるような努力は、観光産業であればあたりまえのことなのです。
JRは蒸気機関車の予備機を準備し、素人が見たら区別がつかないような、見た目は昭和の旧型客車、でも中身は最新型の車両を新造するほどこの山口線の蒸気機関車の運転に力を入れています。別に客車なんて何でもよいという考え方だってあるだろうに、わざわざ蒸気機関車の時代に合わせた古いデザインの客車を新造するということは何かというと、これって景観に配慮しているからだと思います。だったら、もう一歩進んで、沿線の標識や柵なども、撤去しないまでも、当時の標識や柵をデザインしたものに取り換えれば、もっともっと素敵な景観になるのではないでしょうか。
こういうことが文化だと私は考えています。
いすみ鉄道では蒸気機関車を走らせることはできませんが、その代わりキハを走らせています。
だから私は、沿線にお寺が必要だとか、田んぼが必要だと思いますし、ハエタタキがあったらいいなあとか、野立て看板が欲しいなあなどと考えています。
観光地がいろいろ景観に配慮して、無粋なものをどんどん撤去して電線地中化や看板類の塗色の統一をすることなどが常識となっているのであれば、観光鉄道だって景観に配慮して、「それなりの」時代感を出す必要だってあると私は考えます。
山口線以外でも、例えば只見線など、昭和の時代に名撮影地だったところが、沿線の木々が成長したためにアングル的に良くないところがたくさんあるようです。そういうところも当時植林した樹木をきちんと伐採して、撮影地にしていくことだって必要だと私は思います。今や写真写りひとつで世界中から注目を浴びる時代ですから、たったそれだけのことで世界的な観光地になれる可能性があるわけですからね。
何度も言いますが、標識を切断して持ち帰ったことは悪事です。
許されることではありません。
ただ、そういう事件があった時に、バッシングしあうのではなくて、考え方を一歩前進させて、次のステージに議論を持って行くのも、私たち鉄道を愛する人たちの役目なのではないか。
と、そんなことを考えたのであります。
私は航空会社に居ましたからよくわかるのですが、鉄道や航空の現場って、「もしそんなことをして事故でもあったらどうするんだ。」などと「安全性に関わる」と言えば何もしないことが許される風潮というのがあると思います。
航空の現場では、今はその議論のステージは過ぎていますので、あった、と言った方が良いかもしれません。
でも、鉄道が観光資源となって、それが地域振興につながるというのは、今の時代紛れもない事実でありますから、根拠のない安全神話をこれ見よがしに持ち出して、余計なことはやりたくないというのを正当化するのは認められることではありません。
罵声大会にならないようにみんなで仲良く写真が撮れるスペースを用意してあげることも必要でしょうし、列車がゆっくり走ることも必要でしょう。カーチェイスをしなくても良いような余裕のあるダイヤを組んであげてもいいのではないでしょうか。
蒸気機関車を走らせて、それに見合うような古いスタイルの客車をわざわざ新造するということは、この会社の人たちは、よほど鉄道好き、自分の仕事が好きな人たちが集まっているとお見受けします。ということは、お客様の気持ちを理解できる人たちのはずです。だとしたら、沿線の撮影ポイントや構造物等についても、考え方として次のステージへ進んでも良いのではないかと私は考えるのです。
なぜなら、みんなで写真を撮れるようにすることも、そのために列車を遅く走らせることも、ダイヤに余裕を持たせてカーチェイスしなくても十分に撮影できるようにすることも、すべて、すでにいすみ鉄道でやっていることだからです。
いすみ鉄道にできるのですから、天下のJRにできないはずはないですから。
撮り鉄さんも鉄道会社も、もうそろそろ考え方を次のステージに進化させる時期に来ていると私は思います。
そして、長門峡の標識を盗んだ犯人が早く捕まることを願っております。
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