過去から学ぶ将来予測

なんだかねえ。

田舎にいると自分は若い方なんですが、都会へ出たり新幹線に乗ったりすると、まあ、若くないわけです。

子育て中の夫婦を見れば、ああ、そんなこともあったなあと思うし。

出張のサラリーマンを見れば、皆さん自分より年下が多くなっているし。

私より年上の皆さんは、こんな気持ちを経験してこられて現在に至っているのでしょうね。

そして、それは昔からずっとずっと続いてきているということは間違いのないことで。

 

年寄りになってみるとわかることがあるものだと、今さながらに気づいた今夜。

そうなんですよ。世の中年下の人間ばかりが増えてくるわけですから、時にはこんなことも考えるのです。

 

ということで、今夜はこんなお話。

 

 

昔は「年寄りの話は聞くものだ。」と言われていました。

例えば江戸時代などは250年以上も安定した世の中が続いていて、そういう時代には過去の経験則が将来予測に役立ちますから、経験則を持った年寄りの言うことは的を得ていたわけです。

私の子供の頃も、おじいちゃんおばあちゃんの世代は、「年寄りの言うことを聞くものだ。」と言っていましたが、考えてみたら、当時のおじいちゃん世代は明治生まれでしたから、そのおじいちゃん世代が子供だった頃は、年寄りは皆江戸時代の生まれだったわけで、まあ、昭和というのは、明治はもちろん、江戸時代のことでも、まだまだ手が届く程度の歴史だったわけです。

 

さて、現代は世の中の変化が激しく、過去の経験則が将来予測の判断材料としては、なかなか当てはまらない時代になってきました。

簡単な話、コンピューターがどんどん発達してきて、人工知能などという時代ですから、その道のプロと言われる人たちだって、その持っている技術が、いつコンピューターに取って代わられるかわからない時代です。

30年ぐらい前の話ですが、工場の生産ラインには塗装工とか溶接工と呼ばれる人たちがいて、長年の経験からものすごい技術を持った人たちが働いていました。塗装とか溶接とか、本当に職人技で、そういう人たちが日本のモノづくりを支えていたんです。

でも、今ではすっかり機械に置き換えられていて、塗装ロボットや溶接ロボットなどが当たり前のように働いています。

そう考えると、未来予測としては、今プロフェッショナルな技術を持っていたとしても、「この仕事はいつまであるのだろうか。」ということになりますね。過去の延長線上に未来はないという点で、年寄りの言うことがあまり役に立たない時代になりました。

 

昨今、いろいろ極論のような未来予測がマスコミをにぎわせていますが、例えば、「20年後に消滅する仕事」などのように、「あなたの今やっている仕事は大丈夫ですか?」的に人々の不安をあおるような書き方をすると、こぞって注目されるわけですが、あれだってまんざら大げさな話ではなくて、過去あった仕事が今無くなっていることを考えると、今ある仕事が将来どうなるかなどということがわかりますから、そういう点では、過去の経験則が今の時代でも役立つというものだと私は考えます。

 

つまり、やっぱり年寄りの言うことは聞くべきだと、自分が年寄りになってみるとわかるのです。

 

仕事だけではありません。観光地だってそうですね。

若い人たちはご存知ないと思いますが、その昔は宮崎県は新婚旅行先として人気ナンバーワンの場所でした。

とにかく、すごかった。

宮崎へ行く列車にはグリーン車が2両連結されていたり、A寝台車、食堂車を含む豪華編成だったり。

それはいつごろかというと、先日亡くなられた野際陽子さんが出ていた「キーハンター」という番組のロケ地に使われていた時代ですから、昭和40年代後半の話で、わずか40年前までは大人気の新婚旅行先だったのです。

宮崎が新婚旅行先ナンバーワンの地位から転落して、すでにかなりの年月が経っていることを考えると、宮崎は昭和40年代後半をピークとした場合、わずか10数年で奈落の底に転落するように新婚旅行の目的地としては忘れ去られていったわけですが、ではなぜ宮崎が進行旅行先として大人気だったのかというと、それは宮崎県の特徴である「南国ムード」にあります。

 

フェニックスの樹が立ち並ぶ南国ムードは当時の日本人にとってあこがれの的でした。

キラキラ輝く南の海、海岸線のフェニックス。

これが勝負するポイントだったわけで、当時の日本人はそういうところにあこがれるけど、行きたいけどなかなか行かれない。

だったら新婚旅行という人生の大きなステージの目標にしましょうということで、当時の時刻表を見ると「ことぶき周遊券」などという回遊切符があって、新婚旅行というのは国鉄の列車で遠くへ行くことが前提で、それもグリーン車やA寝台で、人生一番のイベントだったわけです。余談になりますが、そのことぶき周遊券というのを申し込むとことぶき入場券というのが10枚ついてきて、つまり、新婚旅行に出発するときには、見送りの人たちが東京駅や大阪駅のホームで、「万歳! 万歳!」とやっていたわけです。

 

 

これがつまり、今私のブログを読んでいただいている親愛なる読者の皆様方のお父さんお母さんが結婚した時代の話でありますから、そう遠い過去でもない。

そこからわずか10数年で宮崎が新婚旅行先から転落した最大の理由は、沖縄返還であり、国際線ジャンボジェットの時代であり、経済成長でお金を手に入れた日本人が目的としたのは、宮崎なんかじゃなくて、もっともっと遠い南の島のビーチだったわけです。

 

つまり、遠くへ行かれるようになると、見向きもされなくなったということなのですが、そういう話であれば房総半島だって同じなわけで、かつては7月下旬になると房総半島は「夏ダイヤ」と呼ばれる特別なダイヤで、臨時列車がバンバン出ていたぐらいの人気の場所でした。

当時の房総半島へ向かう始発駅、両国駅の駅舎には「近くてきれいな房総の海へ」などという垂れ幕がかけられていて、駅構内には列車の改札待ちの人たちが長い行列を作っていましたが、それとてピークから10年も続きませんでした。経済発展でマイカーになって、鉄道利用者は減って行き、沖縄や海外のビーチが当たり前になってくると、房総半島の海水浴場なんて誰も見向きもしなくなりました。

 

私たちの世代はそういうことをつぶさに見てきた世代でありますから、そういうことを経験則とすれば、今ある日本の観光地や田舎の町の将来像が、なんとなくぼんやりと見えてくるのでして、これは40代以下の方々は知らない世界ですから、自分が年寄りになった証拠として、「年寄りの言うことは聞いておいた方が良いよ。」と思うのです。

 

40代以下の人たちばかりではありません。往々にして70代以上の人たちは、宮崎県が新婚旅行のメッカだった頃のことをよく覚えています。同じように房総半島のビーチはバラソルを立てる場所もないほど賑わっていて、列車には乗れないほどの人が乗っていた時代を主人公として経験しています。私は子供ながらに経験しているのですが、70代以上の方々は主人公として経験していて、そういう皆様から見たら、濡れ手に粟でガッポガッポ儲かった経験から「昔は良かったなあ。」というばかりで、自分たちの残りの人生の長さを基準にすると「じゃあ、これからの時代はどうしましょうか。」という具体的方策を考えるまでに至らないというのも、落ちぶれた観光地ばかりでなく、おそらく全国的に共通することなのではないでしょうか。

 

まあ、こんなことを言うと、70代以上の人たちに袋叩きにされるかもしれませんが、でも、そういう年代の人たちは私のブログの読者層としては極めて少数派でして、読まれている方がいらしたとしても、私のブログの愛読者になっていただける70代以上の方は、現状を何とかしなければならないと考えられていらっしゃる方ですから、あまり、その年代に気を遣うよりも、もっともっと若い皆様に、自分の経験則を通して、勇気と希望を与えることが私の仕事だと確信しております。

 

さて、さて、そんな私がローカル線にどういう未来像を見出しているかというと、これは皆様すでによく御存じの、ローカル線をツールとして使って、地域に利益をもたらすことで存在を許していただきましょうということなのですが、ではどうして、かつては地域のお荷物、赤字の垂れ流しの象徴だったローカル線が、これだけツールとして利用できるようになったのかといえば、これは時代の変化がもたらしたこと。30年、40年前は、お荷物であっても、30年もすれば時代が変わる。つまり、主人公である人間が入れ替わるんです。

30年もすると当時バリバリの現役主人公だった方々が第一線を退き、「昔は良かったなあ。」と言い始めます。そして、当時中学生だった人たちが世の中の中心になります。こうして人間が入れ替われば、考え方も変わるということなのです。

だから、これも経験則なんです。

 

例えば路面電車。

これも3~40年ぐらい前は邪魔者扱いされて目の敵にされていました。

交通渋滞を引き起こす諸悪の根源と言われていたのです。

それが時代が変わるとどうでしょうか。

今ではエコで人にやさしい乗り物と言われるようになって、地域によっては再整備されたり新しく線路を敷いたりしている。

私が子供の頃の美濃部都知事の時代には、路面電車を有効に使おうなどという発想はありませんでしたが、今では当たり前になっている。

だとしたら、3~40年前には地域のお荷物と言われ、赤字の垂れ流しなのに「乗りもしないのに残せ残せと言う」地域住民のエゴの象徴とされてきたローカル線だって、時代が変われば実に有効なツールになってもおかしくないわけで、私は、自分の経験則からの将来予測として「ローカル線は使える」ということを割り出して、実践して、そして今、少しずつですが、将来が見えてきているのです。

 

路面電車を「邪魔だから要らない」という人がいなくなったように、時代が変わって人間が入れ替われは、ローカル線も「赤字の垂れ流し」ではなくて、「有効なツールである」という時代はもう始まっていて、田舎の人は分からないかもしれないけれど、わずか数年で都会の人たちはみなさんローカル線にあこがれてくれる時代になった。有名観光地からわずか数年で転落した経験を知っている身としては、地の底からわずか数年でのし上がることだって、十分に考えられるわけで、それが、私のローカル線を使った未来予測なのであり、それを実践することで、「何もない」田んぼの中の無人駅が、全国屈指の観光地になるのです。

 

だから皆さん、年寄りの言うことには一応耳を傾けましょうね。

 

そうそう、還暦はもうすぐそこなのであります。