最近、プロのカメラマンの先生方とよくご一緒させていただく機会があります。
私が子供のころから活躍されていらっしゃる先生方ですが、大変興味深いのは、プロの大先生方の皆さまに共通していらっしゃるのが、小さなカメラを使っているということです。
「今は良くなりましたから、これで十分ですよ。」
「いや、よく撮れるんですよ。」
手のひらサイズのカメラを持ってニコニコしていらっしゃる。
壁面広告のような大画面ならともかく、ルポルタージュのような作品では、手のひらサイズでもきっと性能的には十分で、自分が求める性能や機能があるのであれば、道具は小さい方が良いということなのでしょうか。
それに比べるとアマチュアの皆さんは実にすごいカメラを持っていらっしゃる。
寝台特急が無くなる直前の上野駅などは、なんだかカメラの品評会のようで、実に奇妙な光景に私には見えました。
「おいおい、そんなたいそうなカメラを使って、いったいどんな写真を撮っているのか。一度見せてごらん。」
そう言いたくなるような光景でありましたが、どんなカメラを使おうとも、きちんと目指す写真が撮れれば良いわけですから、反対に言えば、いくらたいそうなカメラを使っても、撮った写真を発表する機会がなければ、後は自己満足のマスターベーションと同じというもので、つまり、プロというのは、依頼主の求める写真をきちんと撮ってくることがお仕事であって、アマは自分が好きな写真が撮れれば良いということですから、結果に対する責任が求められない。だから、道具にこだわるだけで、その道具をほとんど使いこなしてはいないのではないでしょうか。
そういえば私も昔、ニコンFとか二コンF3とか使ってましたが、アラーキー先生がミノルタ・ハイマチックで女性の裸を撮影しているのを雑誌で見て、衝撃を受けた記憶があります。弘法筆を選ばずとは言いませんが、プロの写真家の方々は皆さん撮りたいシーンを撮影するのに必要最低限な機材をお使いになられていらっしゃるようです。
飛行機に乗っていつも感心するのは、滑走路に向かうタキシング中や、離陸滑走中に、プロのパイロットの皆様方は、きちんと前輪をセンターラインに合わせていらっしゃるということです。
飛行機の前の方の座席に座っていると、走行中に、コトン、コトンと音がします。
誘導路や滑走路のセンターラインに埋め込んである鋲を前輪がきちんと踏んでいる音です。
誘導路は30m、滑走路は60mぐらいの幅があります。
そのセンターラインに埋め込んである鋲はせいぜい15~20cmほどでしょうか。
別に、そこを多少ずれたってどうってことありません。
でも、プロのパイロットの方々は皆さんきちんとセンターラインをトレースし、前輪で鋲を踏んでいきます。
誘導路から滑走路に入って、センターラインに前輪を合わせて離陸滑走を始めると、コトン、コトン、という音の感覚がだんだん早くなっていきますが、かなりの速度になるまできちんとセンターラインをトレースしていきます。
横風の日など、方向舵で風を修正しながら、できるだけセンターラインをキープしようとしているのが客席にいてもわかるほどです。
私は自分で飛行機を操縦していた時期もありましたからよくわかるのですが、アマチュアパイロットが小型機を操縦しているときに、センターラインをキープしている人など見たことがありません。
滑走路に向かって誘導路を進んでいる時には、後ろから見ると皆さん右へ左へふらふらしながら歩っています。
大型機は地上滑走中にはステアリングで方向修正しますが、小型機は足のペダルで左右のコントロールをします。そしてこれがなかなか難しい。まして離陸前にはいろいろやらなければならないことがありますから、後ろから見ているとどうしてもふらふらしてしまうのでしょう。かといってセンターラインをキープしなければならないという規則があるわけでもなく、飛び出さなければ30cmや50cm、あるいは1mぐらいずれたって別にどうってことありません。
でもプロの方々はきちんとセンターラインを踏みながら歩いています。
例えば国内線のパイロットであれば、1日3~4回離着陸をします。年間にしたら数百回。それを何十年間やっている中で、40,50歳になった人たちが、基本に忠実に、毎日きっちりと仕事をしているのです。
プロとはそういうものなのでしょうね。

離陸だけではありません。
着陸だってそうですね。
昔、飛行場で着陸する飛行機を見ているときに教官がこんなことを言ってました。
「おい、あの飛行機、もう一度離陸するぞ。」
今着陸してきた飛行機です。
すると、どういうことでしょうか。その着陸した飛行機はもう一度滑走路に向かって行って、機種を合わせて飛び立っていきました。
そして、飛行場の場周経路をもう一回りしてから再度着陸しました。
それを見て教官は言うのです。
「あいつはアマチュアなんだよ。アマチュアってのは、今の着陸が気に食わないからと言って、もう一度やり直したがるんだ。」
つまり、着陸という最後の仕上げを美しく決めたいものだから、気に食わなければもう一回やり直すということらしい。
「お前さんはプロを目指しているんだから、どんな時でも一発できちんと決めろ。」
そう言われました。
着陸っていうのは、小型機の場合はパワーオフ、大型機の場合はパワーオン・ランディングと言って、それぞれやり方は異なるものの、滑走路端の接地点上空高度1mで、速度、機体の角度などが一定になるようにコントロールするわけで、それにはその手前の高度10mの時はこの位置と速度、さらに手前の高度100mの時はこの位置と速度と、あらかじめ逆算して、きちんと予定通りのコースを予定通りに飛んで来れば、よほどの横風にでも煽られない限りきちんと決まるんです。ところがアマチュアの人たちはそういう気持ちはないですから、いつもと違うことをやってみたりして、最終進入の接地直前でフラフラして、それが気に食わないからってもう一度着陸をやり直す。
まあ、一言でいえば目的が違うんですね。
私は航空業界でプロとして働いてきましたからよくわかるんですが、航空ファンのアマチュアの人たちって、やたら航空の専門用語を使いたがります。
ところが、航空会社のプロの職員はお客様の前で専門用語はできるだけ使わないようにしています。
英語で「jargon」というのですが、チェックインカウンターや搭乗口でお客様に接する航空会社の職員は、お客様に対しては基本的にjargonは禁止です。
なぜなら、お客様はそんな専門用語を言われてもわかりませんから。
お客様にわからないことを言っても仕事にはなりませんから、プロとして失格なんです。
ところがマニアの人たちは、率先してこのjargonを使いたがる。
どうしてかというと、いかにも自分は知っているんだ、ということを表したいからなんでしょうね。
素人カメラマンも同じで、プロと同じ機材を使いたがる。
つまり、専門用語や道具にこだわって、目的や本質にはこだわらないんですよね。
私は航空のプロでしたが、鉄道のプロでもあります。
航空会社と鉄道会社の両方を幹部経験している人間は日本でもほとんどいないと思いますが、私はその両方のプロです。
だからわかるのですが、航空ファン同様、鉄道ファンも、鉄道のプロとは全く違います。
どう違うかって、鉄道ファンは実に知識が豊富で詳しい。
車両の運用や、編成の運用など、プロ以上に詳しい。
プロというのは仕事に必要な知識を持っているのですが、アマチュアの人たちは必要ない知識をたくさん持っているわけで、
「で、どうするの?」と思ったりしてしまいます。
日本には他にも同じようにいろいろな専門職があって、例えば経理のプロは税理士ですよね。
でも、世の中には税理士気取りで、経費がどうだとか、税金がどうだとか、やたらいろいろ言っている人がたくさんいます。
そういう人はプロの税理士ではありません。税理士になりたかったけど、税理士になれなかった人たちです。
プロの税理士は、プロですから、偉そうに業界の仕事の内容の話はしませんから、そんなことを言う人がいたら、アマチュアかプロになれなかった人です。
医者も同じですね。
本当の医者は、一般の人に向かって医療の話などしません。
でも、「お前、それは病気だよ。こういう症状あるだろ。気を付けた方がいいよ。」なんて言いたがる。
「検査方法はいろいろあって」などといって、ひどいのになると如何にもで数値までそらんじている。
弁護士だってそうです。
私の知人の弁護士の先生は、日常の会話で裁判だとか訴訟の話は一切しません。
「人はすべてのものと和解せよ。」というのが神の教えですから、訴訟なんて言うのは、人間の醜い心の現れで、神様の前では、本当は恥ずかしいことです。人間が人間になるためには、そんなことしない方がいいに決まっています。
そして、プロの法律家の先生方はそんなことはとうにご承知です。だから、いつも穏やかでニコニコしている。
ところが、少し法律の知識があるアマチュアの人間は、何か事あるごとにやれ裁判だ、やれ訴訟だと言いたがる。
いかにも俺は知ってるんだ、俺はお前たちとは違うんだと。
つまり、そういう人たちは能力不足でプロの法律家にはなりたくてもなれなかったアマチュアなんですよ。
映画を見ていて、やたらうるさい奴いるでしょ。
「俺だったら、こういうアングルで撮る。」
とか言っちゃって。
「だったら、お前、自分で撮ってみろよ。」
私ならそう言いますね。
でもそう言う奴らに撮れるはずないんですから。
だってアマチュアだもん。
私の航空会社時代の上司で、とても勉強家だった方がいらっしゃるんです。
ある時、その人が私に言うんです。
「鳥さん、俺はね、大学時代に5000冊の本を読んだよ。」って。
私ね、癪に障ったから言い返したんですよ。
「そりゃあ、すごいですねえ。で、何冊書いたんですか?」って。
そうしたら、「この野郎!」だって。
だってそうでしょう、書く人がいるからあなたは読むことができたんだって。
私だって2冊書いたもんね。
と、そういう私も、毎日毎日ダラダラと文章を書いている。
いかにも、俺はこう言いたいんだ! なんて感じでね。
だって私は昔から文学で、ペンで生きていきたいと思っていた文学青年でしたから。
だから、毎日毎日懲りずに飽きずにスラスラと長い文章を書いている。
これ、普通の人から見たら、「よく毎日書けますねえ。」って世界です。
でも、私にとってみれば大した作業ではありません。
だから7年以上も続けてこられたんです。
たいして推敲もせず、思うが儘にペンを走らせて。
だって、私は所詮物書きにあこがれていたアマチュアですから。
プロの物書きの先生方は、決してこんな風に文章の安売りはしないでしょうね。
つまりは、アマちゃんということなのです。
皆さんはプロですか、それとも、プロ気取りの、プロになり損ねたアマチュアですか?
世間様は、ちゃんと見ておりますから、知識をひけらかしてもすぐにばれてしまいますよ。
底の浅さが。
世の中、そういうものですから。
ゆめゆめ、お気を付けなされ。
そして本当のプロフェッショナルを目指しましょう。
こだわるのではなくて、極めるのです。
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