私の友人の澤田敬光さんのFACEBOOKページに興味深いお話が載っていました。
澤田さんは熱い男で、一癖も二癖もあるなかなか面白い人間ですが、子供のころにこんな思い出があるんですね。
どうぞお読みになってみてください。
▼ここから引用
今日はちょっとシリアスな話をしたいと思います。
私が「鉄道っていいな、人と人を繋ぐものだ」と感じたのは、忘れもしない昭和55年、私が9歳の時に北海道が鉄道100周年記念ということで梅小路機関車館に保存しているC56160を北海道に持ってきて、札幌-小樽間運行しました。
そこで私はこのSL列車に乗りたくて、父親にせがんだところ、うちの父親はとんでもないオヤジなので、「行きたいなら勝手に行け」と言われました。
一応、札幌駅のみどりの窓口にまでは連れて行ってくれたものの、親父は車で待っていて、私が早朝から一人並んでSL列車の切符を買いました。…
運行当日は母親が札幌駅までは見送ってくれたものの、わずか9歳なのに結局一人で小樽まで行かされたわけです。
9歳の子供にとっては大冒険ですし、当時は携帯電話も、スマホもありませんから、親の方から連絡を取るということもできません。
かろうじて公衆電話はありましたが、列車公衆電話はない時代、車内で何かあったら、もう自力で解決しるしかありませんでした。
しかし、事件が起きました。
切符をなくしてしまったのです。
往復切符で発売していたため、帰りの切符もなくなったという事です。
つまり、家に帰れない状態というわけです。
そこで公衆電話から家に電話したら親父は「自分で行ったんだから、自分で帰ってこい」と電話を切ってしまうありさま。
そこで小樽駅で車掌さんに「切符をなくしました」と私から話しました。
そうしたところ、乗車時切符を確認する時に記念のワッペンを配っており、そのワッペンを付けていたことから、車掌さんの方で「たしかに乗車時は切符を持っていた」と判断してくれました。
「ちょっとまっていて」と言われて、ホームから列車が発車したのを見送った後、車掌さんに連れて行かれ、改札を抜けて駅の外に連れ出されました。
どこに行くのだろうとドキドキしていたら、駅前の喫茶店に入りました。
そこで車掌さんがこう言いました。
「男の付き合いだからさ」
この言葉がとっても嬉しかったんです。
9歳なんてどこ行ってもガキ扱いしかされないのに、私を一人の「男」として認めてくれたのは、この時が初めてだからです。
そして、フルーツパフェをごちそうになりました。
親族以外からおごってもらったというのもこの時が初めてです。
とってもうれしかったんです、この時の事が。
そして、そのあと札幌駅まで送ってくれました。
札幌駅の改札を抜けて、一応その車掌さんから親に電話を入れてくれて、事情を説明し「札幌駅まで無事にお届けしました」と、連絡してくれました。
母親は「せめてお名前でも」と聞いたそうですが、「一国鉄職員です」としか名乗らなかったそうです。
今だにこの方が誰なのかは分かりませんし、ご健在なのかどうかもわかりません。
今ではコンプライアンス云々、こんな対応は絶対できないでしょう、おおらかな時代ではありました。
あれから35年経過しましたが、私はこの時のことを鮮明に覚えています。
「鉄道っていいな」「鉄道はただ人や物を右から左に運ぶ物では無く、その人の人生やロマンも運んでいるんだな」と感じたのはその時でした。
今からかれこれ7年ほど前、母親が他界し、いよいよ親には頼れない、すべて自分の責任で生きていかなければならないという人生最大の岐路に立った時、「自分はこの先どうやって生きて行こうか」と考え、思えば私はあの時の車掌さんにちゃんとお礼が言えていないし、現実的に言うことはできません。
そこでせめても鉄道の良さを知ってもらう何かできないかと考え、もっと鉄道の良さを知ってもらう仕事がしたいなと思ったわけです。
私、実に多彩な仕事を多数してきました。
日雇い派遣から、某大手通信キャリアで年間3000億円の巨大プロジェクトに携わるまで、ここまで人生経験豊かな人もいないんじゃないのかというくらい、色々な仕事をしてきました。
その色々な仕事を渡り歩いた結果、私はやはり子供のころから好きな「鉄道」が「自分の信じる最高の仕事」という結論に達しました。
そしてあの時の何か恩返しがしたい・・・
しかし、単に運転士になりたいとか、駅員になりたいということでは無く、自分の今までの経験と融合した、企画やプロモーションという視点から、もっと鉄道の良さ、楽しさを知ってほしいという思いからです。
そういった鉄道にロマンを感じ、人生をなげうって、鉄道にかける人達・・・
そういった人達とはロマンとビジョンが共有できるようです。
逆に生半可な、中途半端な人とは全く相容れません。
スティーブ・ジョブズの名言にこんな言葉があります。
「君の仕事というのは、人生の多くを支配する。だから、(人生を)本当に満足するには自分の信じる最高の仕事に就くしかない。そしてその最高の仕事というのは、その仕事が大好きでたまらないというものでなくてはダメだ。まだそれが何であるかわからないというなら、探し続けなさい。止まってはダメだ。それが見つかった時は、絶対にそうだと心の底から分かる。そして時間が経つにつれ、やればやるほどどんどん良くなる。まるで最高の人と出会ったように。だから、見つけるまで探し続けなさい。諦めてはダメだ。」
私にとって最高の出会い、心底好きなものは鉄道でした。
▲ここまで引用。(写真は澤田さんのFACEBOOKページから。)
いかがですか、皆さん。
澤田さんの鉄道に対する熱い思いの原点はここにあったようです。
今、鉄道好きなおじさんたちは、皆子供のころにこのような経験をされているのだと思います。
そして、今、私の考え方に心同じくしていすみ鉄道で働いてくれている運転士さんやスタッフの皆も、このような「鉄道マン」としての姿を見せてくれているのです。
「喫茶店でフルーツパフェを奢ってくれたこと」が論点ではありません。
だとすれば、今の鉄道マンだっていくらだって職業を通じて社会を良くしていくことはできるはずです。
問題なのは現場で働いている職員の皆さんではなくて、その会社を牛耳っている幹部連中の「企業家精神」なのです。
先日、上総中野から大多喜に到着したキハ52の前で、小学校低学年ぐらいの男の子を立たせてお母さんがカメラを構えていました。
私はちょうどその列車に乗務していて、大多喜のホームに降り立ったものですから、乗務員室のドアを開けて、「ここに乗ってごらん。」と手招きをして、ドアのところに立たせました。
そしてその子の持っていたカメラを借りて、ホームから「じゃあ、写すよ。」と言ったところ、その子はピシっと背筋を伸ばして、敬礼のポーズをとりました。
きっと、鉄道が大好きなんでしょうね。
別に社長権限でこのようなことをしているわけではありません。
いすみ鉄道は、楽しい思い出を作ってもらうために、職員がそれぞれの考え方で、可能な限りお手伝いをしています。
安全運行業務が最優先課題ですから、いつもいつもできるわけではありませんが、安全運行の最優先課題を理由にして、できることをやらないとか、気が付いても知らんふりをするようでは、何がサービス業かということを問われることになると思います。
スタッフも人間ですから、ミスもすればいろいろなことがあると思います。
私は社長として、お客様を安全に輸送するということはもちろんですが、スタッフにのびのびと仕事をしてもらうということも大切なことだと考えています。
お客様のために、自分が良かれと思ってやったことが、逆にクレームになることだってあります。
そういう時に、そのスタッフを守ることも、会社としてやらなければいけないとこだと考えています。
何かあったら会社に問題視されて、上に報告されて、処分される。
それがコンプライアンスだと思ったら大きな間違いです。
そういう考え方だと、お客様不在の自分たちの身内を守ることを第一優先の組織が出来上がることになります。
そして、今の世の中、そういう鉄道会社やそういう航空会社が存在していて、それが社会的に大きな問題になっているわけですが、なぜかというと、組織が大きくなればなるほど、そういう企業が出来上がるからであり、その根本原因は、きちんとした企業理念のないまま、図体ばかり大きくなってしまったことにあるわけで、そう考えると、急成長して大きくなるだけ大きくなってしまったどこかの国が、世界的な常識すら持ち合わせていないということも、同じ現象なのではないでしょうか。
結局はTOPがしっかりしなければならないということでありますので、私も身を引き締めなければならないということを再認識させられました。
これだけで澤田さんにはコンサルタント料金を払わなければならないという事ですね。
澤田さん、いいお話をありがとうございました。
(だからといってコンサル料はお支払いしませんので悪しからず・・・)
皆さん、明日に向かって夢を持っていきましょう。
▲お客様の記念撮影のお手伝いをする運転士。
いすみ鉄道では当たり前の光景です。
ただし、手が空いていない時や業務に支障があるときはできませんよ。
そのあたりは各自の判断に任せています。規定は不要です。
なぜならば、皆それぞれプロフェッショナルですから。
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