寝台急行「はまなす」

青森と札幌を結ぶ夜行列車「はまなす」が来春で廃止されるというニュースが先月発表されました。
急行列車という列車種別は今ではほとんど聞かなくなりましたし、夜行列車で寝台車を連結していて、ブルーの客車を機関車がけん引するという列車のスタイルも、いよいよ最後だということを考えると、この「はまなす」はとても貴重な列車です。
いろいろネットを見ていると、昨今ではこの「はまなす」を「寝台急行」と呼んでいる人がたくさんいて、たとえば「ムーンライトながら」に見られるような座席の夜行列車からみると寝台車を連結していますから「寝台急行」と言いたくなるのは分かりますが、「寝台特急」とか「寝台急行」という呼び方は、寝台車と食堂車を主に構成される列車で、編成の中に1両か2両グリーン車や指定席車が入る程度の編成を「寝台特急」とか「寝台急行」と呼んでいた夜行列車全盛時代を知る身としては、寝台車2両の他はカーペット車、指定席車、自由席車で構成される「はまなす」は「寝台列車」ではないと考えていて、それはかつての急行「津軽」、「八甲田」など、寝台と座席の混成列車を見ても明らかなので、オジサン的にはちょっと違和感を覚えるのです。
同じように、ブルートレインというのは20系、14系などを使用した寝台特急列車ですから、「はまなす」はいくらブルーの客車で編成が構成されているとはいえ「ブルートレイン」とは言わないのです。
だから、「最後のブルートレイン・寝台急行はまなす」というような表現を見ると、体全体が痒くなるようで、どうもしっくりこない。そういうことを考えるのがオジサンだと言われればそれまでなのですが、やはり鉄道ファンたるもの、定義はしっかりしておかなければならないというのが時刻表世代のオジサンなのであります。

▲昭和の東北本線上野口の時刻表
「八甲田」「津軽1号」はそれぞれB寝台、A・B寝台車を連結していますが「寝台列車」の表記はありません。
「あけぼの」や「北星」には「寝台列車」と表記されています。
その理由は「八甲田」「津軽」はグリーン車や普通車も連結されているのに対し、「あけぼの」や「北星」は基本的に寝台車だけで組成されている列車だからです。
この「あけぼの」が寝台特急であり、「北星」が寝台急行ですから、昭和の定義では「はまなす」は寝台急行ではないということになりますね。
さて、理屈はともかく、いよいよ最後ともなると、この夏の「北斗星」や昨年の「あけぼの」のように、大混乱になるのは目に見えていて、3月の廃止が近付けば近付くほど、激しさを増してくるのも歴史が証明しています。
でも、青森と札幌を結ぶ夜行列車など千葉県民には無縁の存在で、意を決しなければなかなか乗りに行くことはできません。
ところが多忙の身としてはなかなか意を決することができない。
そうこうしているうちになくなってしまったのが「北斗星」と「あけぼの」ですから、意を決しなくても「はまなす」に乗れる方法はないものかと考えていました。
いよいよ「はまなす」の廃止が発表される直前の9月上旬、つまり、まだ発表前だった時ですが、大原駅で「はまなす」と言ったら、「ありますよ。取れますねえ。」と言われ、「はまなす」のB寝台券を入手しました。
私のポリシーはあくまでも意を決することなく、さりげなく「はまなす」に乗りに行こうということで、考えて実際に実行してみたのが本日のブログの内容です。

ということで、夕方大多喜で仕事を仕事を終えた私は、アクアラインを通って羽田空港へ向かいました。
何しろ、私がいつも申し上げている通り、大多喜から羽田空港まで1時間かからないで行けますから、新宿や丸の内で仕事を終えたのと同じ感覚で、大多喜で仕事を終えてからひと走りで羽田空港に到着です。

夜の飛行機に乗って出発。
といっても飛び立ってしまえば青森空港まで50分。あっという間の到着です。

青森空港から700円の空港バスで青森駅へ。
青森県民の友人が出迎えてくれて、居酒屋で乾杯。
小一時間ほど一緒に飲んで友情を深めたところで、「鳥塚さん、そろそろお時間です。」ということで、青森駅へ向かいました。



青森駅で発車を待つ「はまなす」を跨線橋の上から。
これから乗る夜汽車に期待が膨らみます。

夜汽車はやっぱり機関車がけん引する客車列車じゃないとねえ。
なかなか良い雰囲気でしょう。


半年後に廃止になるとはいえ、今なら鉄道ファンもまばらです。

2号車のB寝台が私のねぐら。
寝台車はまだ6割程度の乗車率でしたし、座席車は指定席、自由席ともガラガラでした。
青森で乗車前に友人と飲んだこともあって、発車と同時にウトウトし始めて、車掌さんが途中の停車駅を伝えるアナウンスを子守唄に夢の中へ落ちて行きました。
途中何度か目が覚めたものの、起きたのは苫小牧発車後に車内灯がついてアナウンスがあったとき。
実によく寝ることができました。

午前6時07分に札幌駅へ着いた「はまなす」。
おそらく最後になるであろう私の急行寝台の旅が終わりました。
ということで、踵を返すように6:31の快速エアポートに乗車。
7時過ぎに新千歳空港駅に到着しました。

新千歳空港駅は設計段階ではこれほどまでの利用を見込んでいなかったのかもしれませんが、列車が着くたびにお客様があふれるような状況が続いていて、うれしい悲鳴かもしれませんね。何しろ朝の7時でこの様子ですから。

駅の壁には来年の新幹線開業の宣伝が至る所に見られました。

空港ターミナルにはLCCの掲示が。
札幌からマレーシアへLCCの需要があるんですね。

空港内の食堂で朝ご飯を食べて、その後ラウンジでコーヒーをいただいて9:35の飛行機に乗り込みました。

今日はとてもよい天気で樽前山と恵庭岳がよく見えました。



離陸して旋回すると今飛び上った新千歳空港がよく見えました。

ふと眼を上げると先ほどの樽前山と恵庭岳の間に支笏湖が。向こうには羊蹄山が見えました。
と、ここまでで爆睡モードに突入して意識不明に陥りました。

目が覚めると飛行機はすでに関東平野に入り降下を開始しています。
東京湾に入り、アクアラインが見えてきました。
白く波が立っているのがわかります。
私は若い時に上空から波頭を見て風向風速を読む訓練をしましたのでよく見ると・・・
この進入コースの場合、偏流修正角を考えなければヘディングは330度ぐらいですから、この波頭を見れば風は右斜め前方向、つまり360度(真北)から20度ぐらいの方向から吹いていて、風速は15ノット程度でしょうか。

などと考えているうちに11:15に羽田空港に到着いたしました。
そして、夜駐車場に停めておいた車に乗って大多喜へGO。

今日はキハ2両編成で運転されていた516Dが上総中野方面から大多喜駅へちょうど到着したところでした。
ということで、会社を午前中だけ休みをもらっただけで、念願の「はまなす」に乗れたというわけですが、そう考えると、どんなに忙しくたって、その気になればできることってたくさんあると思いませんか?
何だかんだ言いながら「できない理由」を探しているような人生は面白くありません。
皆さん、どんどん行動しましょう。
というのが55歳のおじさんからの若者へのメッセージなのであります。