国鉄木原線の写真

 先日、江戸川区にお住いのIさんという方からお手紙と写真が届きました。

「社長ブログ楽しく読ませていただいております。
私は昭和29年生まれで、昭和43年の中学2年生の時にヨン・サン・トー(昭和43年10月の白紙ダイヤ大改正)を前に蒸気機関車がなくなっていくということから鉄道写真の撮影を始めました。
このころから廃止が叫ばれていた「赤字ローカル線」ってどんなところなのかを見に、昭和44年7月10日に自宅の新小岩から一番近かったいすみ鉄道前身の国鉄木原線を訪れた次第です。」

このような文面のお手紙に撮影された写真が添えられていました。
大変貴重な画像ばかりですので、皆様にもご紹介させていただきたいと思います。


▲大原駅で発車を待つ木原線の列車。キハ30の2両編成です。外房線(房総東線)の線路も非電化だったのがわかります。
ちょうど今の大原駅1番線。改札口を入ったところのホームが木原線ホームでした。
跨線橋は今は反対側に新しくなりましたが、数年前まではこの写真のように茂原側にありました。
木原線は朝夕の高校生を中心とした利用者が多く、昭和30年代後半から通勤型ロングシートのキハ35系が投入されていました。日中はキハ30が1両。朝夕はこれにキハ30かキハ35がもう1両連結された2両編成だったようです。
列車によっては大原駅で外房線(房総東線)の列車に連結されて千葉まで乗り入れる列車もあったようです。
ちなみにキハ35系は、
キハ35:片運転台トイレ付
キハ36:キハ35のトイレ無し
キハ30:両運転台トイレ無
の3形式で、これにステンレス試作車のキハ35-900番代が潮風が車両に与える影響をテストするために房総に投入されました。
(クリックすると写真が大きくなります。)

国鉄形ディーゼルカーの話なら書籍を見なくても話ができる自分は古い人間ですね。

Iさんが撮影された昭和44年は私は小学校3年生でした。


▲上の写真の車両を横から見たところだと思います。
向こう側に見えるのは今のタクシー乗り場のところですね。
釣具店があったのでしょうか。
今はいすみ鉄道の売店があって向こう側は見えません。


▲大原駅の信号テコ扱い所ですね。
当時は外房線(房総東線)も非電化でしたから、駅構内に腕木信号機がたくさんあったことがわかります。
11個テコがありますね。
聞いた話ですが、大原駅の腕木信号機の1つには戦争中の艦載機による機銃掃射を受けた弾痕が残っているものがあったそうです。
肥薩線の大隅横川駅を見てもわかるように、今残っていれば歴史的宝物だったのにね。

ということで、中学生のIさんが撮影した木原線。
とっても素晴らしく撮れていますね。

数回に分けてご紹介したいと思います。

Iさん、貴重なお写真、ありがとうございました。