お尻の進化

まず最初にお断りしておきますが、お食事中の方、これからお食事をされる方は決してお読みにならないようにお願いいたします。
今夜は明るい話題? のバカ話です。
昭和30年代半ばに生まれた私たちの世代は、世の中が急速に変化する時代を生きてきました。急速に変化するというのは、煙を吐いて走っていた汽車がディーゼルになり、わずか数年で窓が開かないピカピカの特急電車が走り始めるということでもあるし、プロペラだった飛行機がジェットエンジンになったりと、とにかく社会が目に見えて新しく変わっていった時に私の年代は多感な時期を過ごしてきたわけですが、移動手段がそれだけ変わるということは、当然ですが人様の生活の「寝て起きて食ってたれて」のすべてが変化するということでもあります。
ということで、今夜はその「たれて」のお話です。
高校生の時に北海道の無人駅で汽車を待っていた時のことです。
その時はリュックサックを背負って2週間の旅をしていたのですが、ふと生理的現象をもよおしました。
構内の片隅にあるトイレに入るとそこはきれいな板張りで、靴を脱いで入るスタイルにちょっと驚きましたが、それだけきれいに管理されていたトイレでも、もちろん和式の汲み取り便所。下を見ると過去の利用者の排出したものがそのまま見えるのはもちろんですが、ハエやウジ虫が這いずり回っているのは当時としては当たり前でした。
用を足していると個室の左の隅に1冊の週刊誌が置かれているのに気付きました。
トイレの利用者が暇つぶしに見る週刊誌なのかなあと思って手に取ると、途中のページが数か所で引きちぎられています。
私は「ああ、そういうことか。」と思いました。
その週刊誌はトイレットペーパー代わりに個室の中に置かれていたんですね。
昭和50年代でもそういう時代だったんです。
ちなみに、トイレットペーパーなどというのは高級品で、庶民はちり紙を使っていて、ちり紙というのは鼻をかんだり尻を拭いたりする専用の質の悪い紙で、バンドで束ねて近所の雑貨屋さんの店先で売っていた、そういう時代ですから、公衆トイレに紙などあるわけもなく、ページをちぎって使えるように週刊誌が置いてあるなんてのは気が利いたサービス? だったわけです。
そのトイレを出るとほどなく列車が到着して私はその列車に乗り込みました。
蒸気機関車はすでにありませんでしたが、DD51に引かれた茶色い客車はリベットのボディーに小さな窓がたくさん並ぶ32・33型の車両で、背もたれは板張りで、トイレをのぞくと便器のむこうに線路が見えたのを覚えています。
つまり、列車のトイレはそのまま垂れ流し式だったのです。
それが今から37~8年前の日本ですが、その当時は外出先でトイレに行きたくなると、汲み取り便所が多かったものですから、扉を開けて水洗のトイレ(もちろん和式)だと「ああ、よかった」と思ったものです。
ところが、それから10年もしないうちに、世の中は洋式のトイレが主流になりました。旅行中や外出先でトイレに行きたくなる時には、いつの間にか和式を敬遠するようになっていて、洋式トイレを見つけると「ああ、よかった」と思うようになりました。
しかし、さらに時が進むと、その洋式トイレでも満足できなくなることになります。
それは、シャワートイレの普及です。
昨今では家庭ばかりじゃなく、公衆トイレにもシャワートイレが普及する時代です。
私は外でもよおした時にシャワートイレを見つけると「ああ、よかった。」と思うようになっている自分に気づきました。
今の日本ではたいていのところでこのシャワートイレに出会うことができるようになりましたが、困るのは外国旅行をしているときですね。
イギリスにはもう6年も行ってませんが、私が行っていた当時はイギリスにはシャワートイレなどというものはありませんでした。
アメリカでは日本人の家にお邪魔すると付けているところも多くなりましたが、それ以外ではなかなかないようです。
韓国や台湾ではある程度のグレードのホテルになるとシャワートイレが少しずつ普及しているようですが、一般的にはどうかというと、まだまだ「便所」は「不浄のところ」といった感じです。
最新式の飛行機は赤い会社も青い会社も機内のトイレにシャワーが付いているようですが、ひとたび海外に降り立つとそこはまるで無法地帯のように、トイレではなくて「便所」が待ち受けているのが現状です。
先日も台北市内で泊まったホテルの部屋にシャワートイレが付いているのを見つけて「ああ、よかった。」と思いましたが、50半ばの汲み取り便所世代の私たちでもそうなんですから、汲み取り便所など知らない世代から見たら和式どころかシャワーのないトイレですら受け入れられないようで、アラサ―のうちの息子たちも、「シャワートイレじゃないなんて考えられない。」と言っていますし、「だから外国旅行なんて行きたくないよ。」という始末。
そう考えると、進化する文明と歩調を合わせるかのように、私たちのお尻の方も進化しているのでしょうか。
いやいや、実は退化しているんじゃないかと思うのです。
たかだかケツを洗えるかどうかということで、行動力が左右されるというのは、実はこういうところからも日本人のたくましさというものが失われるきっかけとなっていて、それが現在、日本という国の国力そのものが弱くなっていると言われるゆえんなのではないかと考える次第でございます。
最近では自宅のトイレでも立小便じゃなくて座って小便をする男性が増えていると聞きます。
跳ね返ると奥さんに怒られるからなのかもしれませんが、そんな男が世の中を変えるような大きな仕事ができるはずないじゃないですか。
少なくとも、私はそんな男には重要な仕事を任せる気にはなれませんね。
小便くらい心置きなくしなさいよ。
そう思いませんか?
「結構毛だらけ、猫灰だらけ、お前のお尻はクソだらけ。」
昭和の時代のたくましさは、やっぱり忘れちゃいけないんじゃないでしょうかねえ。
「粋なねーちゃん立小便!」
これは余計な話ですが・・・
ということで、本日は失礼いたしました。