さようなら江差線

今度の日曜日、5月11日で北海道の江差線(木古内―江差間)が廃止されます。
北海道新幹線の新駅、木古内から分岐する路線でありながら、その新幹線開業を待つことなく消えていくのは何ともさみしい限りですが、北海道という特殊な地域の交通事情やJR北海道の経営状況を考えると、これは致し方ないことなのかもしれません。
私が初めてこの地を訪れたのは1977年で、リュックサックを背負って北海道を友達と歩いた時でした。
当時の北海道の玄関口は函館で、そこから北へ伸びる函館本線が一番重要な幹線でしたが、江差線はたぶん今とほとんど同じ位置だと思いますが、函館駅の駅舎寄りの片隅からひっそりと発着していました。
この時の旅行では、宿泊費を浮かすために函館本線や室蘭本線の夜行列車の自由席が私の定宿でしたが、札幌からの夜行列車が函館に到着するのは午前6時前後で、列車内ではよく眠れるはずもありませんから、函館に到着した時点では眠くてボーっとしています。
そのままリュックサックを背負って歩き出すには時間も早いし気力もありませんから、じゃあまた列車に乗ろうということで、それには江差線がとても便利だったんです。

とりあえず私が乗車したのは当時まだ残っていた上磯行の客車列車で、機関車はDE10だったと思いますが、これは函館近郊の朝の通勤通学列車として運転されていたものです。
上磯駅の海側には確か行き止まり式ホームがあって、この列車はそこへ入ったような記憶がありますが、朝6時に函館を出て、車内で爆睡しながら上磯を往復してくると8時過ぎ。
そこで、どうも上磯から先が気になるので、今度は函館を9時30分に出る急行列車「えさし」・「松前」に乗りました。
この列車は3両編成で、急行「えさし」(江差行)が2両、「松前」(松前線の松前行)が1両で、途中の木古内で分割する列車でしたが、私は急行「松前」が木古内から先、1両の急行列車になることに興味を持って、「えさし」ではなく「松前」に乗車しました。
東京育ちの身としては、急行列車が1両で走るなんてことは「ありえないこと」でしたから、江差に行くか、松前に行くか、そういうところが意思決定のポイントだったんですね。
その次に北海道を訪れた時に、私は乗り残していた江差線の木古内―江差間に乗りつぶし乗車していますが、松前線の方は昭和63年に廃止されてしまいましたので、あの時が最初で最後の乗車だったんですね。
今のように青函トンネルから列車で北海道に上陸すると、木古内が玄関口にあたりますが、当時の江差線は、函館から乗って進んでいくにつれてだんだんとお客さんが減って、さみしくなる先細り路線だったんです。


[:up:] 1977年の松前駅。まだ広い構内では貨物列車も運転されていました。構内の片隅には給水塔や給炭台などが残っていて、2~3年前までSLが走っていたことがわかります。江差線、松前線にはC58が走っていましたので、ある程度の輸送力が求められていたんですね。

[:up:] 1両の急行列車「松前」
函館からの「えさし」と「松前」は木古内で分かれてそれぞれ江差、松前を往復したのち、木古内で再度併合されていましたが、当時はこういう列車は全国にいくつかあって、いったん離婚したけど、再び同じ相手とくっつくような感じの印象をうける列車でした。
通常はキハ22が使用されていましたが、この列車は珍車のキハ21。
バス窓が特徴の車両でしたが、デッキがないので北海道用としては不向きでした。
ドア脇の二人掛けの部分に冷気を避けるガラスが張ってあったのを記憶しています。
さて、その江差線ですが、私は廃止になる前にもう一度乗車しておこうと、2月の下旬に再訪してきました。
私がその時期を選んだのは青春18きっぷが使えない時期だからで、3月に入って青春18きっぷが使えるようになると、混み合うことがわかっていましたので、今のうちにと考えたからでした。

[:up:] 函館まではもちろん羽田からひとっ飛び。
津軽半島を見ながら函館に向けて降下中です。
この便ならば函館10時半の江差線に楽勝です。



[:up:] お目当ての江差線は2両編成です。
早速、函館駅の駅弁で朝食です。


[:up:] 函館からの列車は木古内で15分ほど停車します。
木古内駅のホームには来年の新幹線開業の掲示が至る所にありました。
函館を出るときは車内はガラガラでしたが、木古内での停車中に青函トンネルを抜けてきた特急列車が到着すると、その筋の人たちがドバっと乗ってきました。
先細りの輸送だった昔の江差線では考えられないことですが、木古内からは2両編成の列車がほぼ満席になりました。
「まさかお前ら、東北新幹線で来たんじゃないだろうなあ。」という感じですが、おそらくファイナルを迎えた「あけぼの」とセットだったのかもしれません。
東京を朝6時半に出る「はやぶさ1号」でも、前の晩に出る「あけぼの」からもこの江差線の列車にちょうど良い時間で接続するわけですが、まさか、それを狙ってダイヤを組んでいるわけでもないと思いますが、鉄道のダイヤってやっぱり面白いですね。
ちなみに私は羽田発7時55分の函館行で、函館には9時20分に着きましたので、焦ることなく空港連絡バスで函館駅に着きましたが、空港の近さを考えると、函館だけが目的地ならば新幹線開業後も私ならやっぱり飛行機を選ぶでしょうね。



[:up:] 終着駅の江差です。
この列車の折り返し列車を逃すと3時間以上列車がありませんので、江差駅での滞在時間はわずか12分。
鉄道が廃止されればもう2度とここに来ることもないでしょうから、この12分滞在が私の人生で最後の江差駅です。


[:up:] 今回の江差線乗車の目的の一つ。江差駅の駅弁です。
近くの食堂のご主人が作っていて、電話で予約をしておいたので、たった1個の注文なのにご主人ご本人が駅まで持ってきてくれました。
駅の待合室でお弁当を受け取ると
「これですぐ帰るの? 乗りに来ただけ? 好きだねえ。」
と、ご主人に言われましたが、全くその通りで、私もその他大勢の「その筋の人たち」の1人ということです。
でも、この駅弁はまだあたたかくて、とにかく美味でした。
いわゆる駅弁というのは、最近では工場で作っていますが、駅弁協会に加盟していなくても、こういう手作りの駅弁がやっぱり一番うまいんじゃないでしょうか。
帰りの列車が木古内に着くと、なんと1時間の大休止。
その筋の人たちが全部降りてしまってがらんとした車内には、空き缶やごみ屑がたくさん落ちていましたので、私が気になってそれを拾い集めていると、やはり同じように車内のゴミを集めていた若い運転士さんが私に話しかけてきました。
「いすみ鉄道の社長さんですよね。ガイアの夜明け見ましたよ。」
最近ではどこへ行っても面が割れているようですが、まだ30代とお見受けする若い運転士さんが、もうじき廃止になる路線でも、きっちりとした仕事をしてるんですね。
JR北海道は会社の上層部にはいろいろ問題があるかもしれませんが、現場を守る職員の人たちは毎日一生懸命自分に与えられた仕事をこなしているんです。
だから皆さんも温かい目で彼らを見てあげてください。
さあ、この江差線も残りあと3日。
ファイナルフィーバーが予想されますが、その筋の方々はマナーを守って、江差線の最後を見届けてあげてくださいね。
記念乗車券やグッズなどをたっぷり買い込むのを忘れないように。
経済貢献も大事なことですから。